第12話 決意の夜
『魔道具:風呂』が完成した夜、誰よりも先に一番風呂を堪能するシャロンの姿があった。
元酒樽ということもあり、仄かに香る果実酒の香り、その香りに煽られて酒まで持ち込んでいた。
普段ほとんど外すことのないメガネを取り、イクミと雑貨屋で買ったリボンとクシで髪を纏めてアップにしている。
(イクミから聞いちゃいたけど、こりゃ~良いわ)
上機嫌になったシャロンは、自然と歌を口ずさむ。
このレナス城下町の酒屋で、よく歌われている陽気な歌で、女性が口ずさむ曲にしては豪快すぎる物である。
台所で晩御飯の片づけをしているリオは、上機嫌なシャロンの様子に満足気である。
リオにとっては理不尽に押し付けられた依頼であったとしても、依頼主の喜ぶ笑顔は何よりの報酬なのだ。
湯船から上がる水音がして、しばらくすると風呂場のカーテンが開いてシャロンが出て来た。
お風呂の所為か酒の所為か、頬を仄かに赤く染め、少し虚ろな瞳をしている。
もはや家族のようになっているリオで無ければ、艶やかで情欲的なその容姿に、完全に中てられていただろう。
完全な耐性を持っているリオとしては『シャロンが眠そう』としか見えていないのだ。
「先生、眠いのでしたら早めにご自分の部屋に行ってください。 今は熱くても冷えてしまえば、寒くなりますから。 もう季節も『色葉』から『白葉』に変わるんですし、気を付けないと風邪を引きますよ」
「ん~……それじゃぁ~先に休ませてもらうぞぉ~……おやすみ~……」
シャロンは、既に寝る前の状態から寝間着を着崩している。
もしかして服のサイズが合っていないのでは無いか? と、リオは考えていた。
シャロンが二階へと姿を消して行くと、入れ替わりにイクミが二階から降りてくる音がした。 シャロンに風呂から上がったことを聞いたのだろう。
やはり、リオが聞いたことのない軽快なリズムの音楽をハミングしながら、そのリズムに合わせているのか軽快に階段を下りてくる。
台所で作業をしているリオを目に止めたイクミは、風呂に入ることをリオに告げる。
「リオ君、お先にお風呂頂きますね」
「はい。 ごゆっくりして下さい。 あ! お風呂のお湯は冷めてませんか? 必要でしたら、焼け石を何個か入れますけど……」
「ちょっと待って下さい」
イクミが湯船に手を入れて湯加減を探る。
リオが差し出した布巾で手を拭うと、二コリと笑顔になる。
「ありがとうございます。 湯加減は問題無さそうです。 でも、私が入ったら冷めてしまいそうなので、リオ君が入る時は温めてくださいね」
「わかりました。 じゃあ~ゆっくり入って来てください」
リオも笑顔で、そう返すと、イクミも風呂に入っていった。
リオは片付けに戻る。
片づけも終わり、イクミが風呂から出てくるまで少し時間がありそうだった為、リオは読みかけの本を手に取ると、猫足のソファに足を組んで腰掛けた。
リオが三十ページほど読み進めると、イクミが風呂から上がってきた。
本にしおりを挟み、メガネを掛け直すと、イクミが正面に立っていた。
「良い湯加減でした。 それでは先に休ませて頂きますね」
「はい。 おやすみなさい」
リオは『グッ』と伸びをすると、本を本棚にしまい、予め用意してあった焼き石を入れた桶、トングと布巾を手に取り、風呂場に入るとカーテンを閉めた。
湯船に手を入れて湯加減を探ると、少し温くなっていた。
大小様々ある焼け石から小さめの物を一つトングで掴むと、お湯の中に入れる。
お湯は、投入された焼け石を中心に大きく泡立ち、忽ちその温度を高めていく。
程良い湯温になったところで、トングで焼け石を掴み出すと、持ってきた桶に戻して、自身は風呂に入る。
(コレが風呂かぁ……たしかにコレは良い……身体の疲労が、お湯に溶けて身体から出ていくようです……)
かなり大きな樽を使用して作っている為、三人とも座った状態なら余裕で足が伸ばせるのだ。 リオは、お湯に半分浮いたような状態で湯船で揺られていた。
(今朝のフレンチトーストという食べ物も、とても美味しかったし、この風呂も最高です。 イクミの世界は、楽しいことで溢れているのですね)
そこまで考えていたリオは、今の思いの中に少し疑問があった。
(でも……イクミは笑っていますが、どこか寂しげな笑顔をする時があります。 見知らぬ世界だからこその寂しさ? それとも……)
リオは湯船から立ちあがる。
(何にしても、僕がイクミに出来ることを可能な限りしてあげるだけです。 彼女が元の世界に帰りたいというのなら……もう一度、魔術を学ぶことも……)
リオは何かを決意するように、湯船から出ると、身体を拭いて服を着た。
ランプの火を灯すと、本棚から一冊のボロボロに草臥れた本を手に取った。
ほとんど表紙も背表紙も文字が掠れて読めない中、唯一文字として認識できる本の著者欄には『ダリル=アストラーデ』と書かれていた。