第1話 錬金術と魔術
錬金術という物を知っているだろうか。
錬金術とは鉛を金に変えたり、不老不死の霊薬を研究したりと、現代の医学と科学の先駆的な学問であった。
現代社会は科学文明が発達したが、もし……魔術が発達した世の中だった場合、はたして錬金術とはどんな性質を持つ物に成長していたのだろうか。
ここで一人の少年を紹介しよう。
彼はリオ=アストラーデ、十四歳。
亜麻色より少し赤味掛かったキレイな髪をした少年である。
少し男の子にしては長めの髪の毛だが中性的な顔の彼にはとても似合っている。
彼はこの世界では極少数派の錬金術を学ぶ子供で、学園に通うのではなく、彼の住む国で唯一の錬金術師が営む小さな工房で、日々勉学に励んでいる。
少年は明るく面倒見の良い性格の為、周囲から色々と厄介事を持ってこられては真摯に対応していた。
今日も彼の幼馴染がまた厄介事を持ち込んできたようだ。
*----*
(コレは一体なんだ……?)
リオ=アストラーデは、彼が住まう国に二つある魔法学校の一つ、王立魔術学園の一室に倒れていた。
天井は三メートル程、面積は一六畳ほどの部屋は、学園が生徒に魔術の練習等の為、貸し出している物だ。
部屋の中心の床には直径三メートルほどの円形幾何学模様、いわゆる魔方陣が描かれ、微かに青白く明滅している。
リオは現在自分の置かれている状態を、冷静且つ的確に分析しようと、自分の脳内演算能力を全力投入していた。
しかし、悲しいかな彼は年頃の男の子であり。現在の状況で彼の脳内演算能力の殆どは彼を悩ませる原因となった物に対して、その殆どの機能を強制的に奪われていたのである。
端的に状況を説明するならば、石灰で書かれた幾何学模様の魔方陣の上で気絶した黒髪の少女に裸で抱きつかれている状態だった。
(この柔らかくて暖かくて良い匂いがする……じゃなくて! 何故? どうして? この子は誰? どこから来た? どうやって?)
リオは混乱しながらも冷静に分析する為の基本事項、少し変則的だが5W1Hで疑問符を構成してみる。
しかし、現状を正解に導く為の材料も無ければ、考える為のベクトルがあっち行ったりこっち行ったりしている為、脳内で迷子になってしまう。
今の状態を詳しく説明する為には、二日ほど時を遡る必要がある。
~二日前~
太陽も一日の頂点を過ぎたばかりだと言うのに、この部屋は太陽を嫌うかの如く殆どのカーテンが閉められていた。
一番目を引く中央に配置された大きなテーブルには、フラスコやビーカー、試験管、知らない者には何に使うか分からないような実験器具が、所狭しと置かれていた。
しかし、一見乱雑に見えるその配置も、この部屋の家主が見れば、実に効率良く配置された状態なのである。
この部屋に不釣り合いなほど、上等な猫足のソファには、傍らに大量の書物を積み上げながら、カーテンの隙間から覗く光源で読書に耽っている少年がいた。
部屋の主であるシャロン=マクレガーの一番弟子、リオ=アストラーデである。
彼はずぼらな師匠の洗濯物など、家事全般を午前中で消化すると、決まって午後から一日中、錬金術に関わる書物を読み耽っているのだ。
そんな彼の許に、いつも通り騒がしい客が掛け込んでくる。
「リオぉ~~~!」
バタンと勢い良く工房の扉が開け放たれた。扉の鈴が勢いよく開けられたことを叱りつけるかのように大きくその音を鳴らすが、鈴の音が完全に負けるほど大きな声を上げて、一人の少年が泣きながら飛び込んでくる。
トラブルメーカーを地で行くリオの幼馴染であるティル=ガーラントだ。リオは、同い年である十四歳の男子が、声を上げながら泣いているのも、少しどうかと思いつつ、ゆっくりと本から顔を上げた。
「学園の自由研究課題の提出日が四日後なのにテーマも決まって無いんだよぉ~」
いつもの事だが、このティルはギリギリになるまで問題を放置し、見なかったことにし、本当に本当にマズイ事になってから問題に向き合うのだ。
とても解決できる状態ではないので、泣きながら周囲に助けを乞うのだが、周囲はそれを見越して事前に注意していたにも関わらず、毎回同じ状況に陥る彼に手を貸すことは無かった。
そうなると、ティルが助けを求めることが出来るのは、幼馴染であるリオということになっている。
持っていた本に、しおりを挟んで閉じると、少し呆れたように、小さくため息を吐き出した。
「ティルまた? たしか先月も同じようなことしてなかった?」
「俺にはリオしか頼れる人がいないんだよぉ~」
「僕は良いんだけど……僕が手伝ったらティルの課題じゃなくなっちゃうよ?」
「こういう応用とか苦手で……筆記試験なら全然大丈夫なんだけどさぁ」
このティルという少年は、基本を忠実にこなしたり、教科書に載っている内容を暗記するなどの才能は、素晴らしい物を持っているが、応用力の無さと言ったら壊滅的であった。
周囲の人間はティルを『勉強が出来るバカ』と表現している。酷い言われようだが、的を獲ているのも事実だった。
「しょうがないなティルは……それじゃぁ、自由研究ってことは、自分で何でも決めて良いんだよね?」
リオの反応に、顔をパッと輝かせると少し弾んだような口調でティルが説明を始めた。
「そうだよ。 学園の一番の子なんかで言うと……例えば魔方陣の形をイジってみて、発動結果の変動をレポートで提出するって言ってたぜ」
「ティルもそれと同じことをしたら良いんじゃないの? 自由研究なんだし」
「それだと真似したことになっちゃうからな……それに、同じことだと勝てないだろ!?」
ティルは無駄に負けず嫌いであった。
リオは更に呆れたように、先より少し大きいため息を吐き出すと、メガネを軽く抑える。
「……それじゃあ、魔道具でも自作してみる?」
心の中で面倒臭いと呟きつつも、世話を焼いてしまう自分に、顔には出さず苦笑いしていた。
提案に一瞬心を弾ませるも、その内容の難解さに訝しげにティルは尋ねた。
「魔道具の自作? リオそんなこと出来るの?」
「ん~……簡単な物なら僕らでも作れるよ。 僕が考えているのはカンテラなんだけど、普通は油と火種で火を灯すじゃない? あれを一般の人が持ってる程度の魔力だけで火を灯せるようにした物があれば便利だし、課題の内容としても面白いと思うんだ」
簡単な身振り手振りで説明を補足しつつ、ティルにも理解できるように説明する。
説明を聞いていたティルの表情が、段々と笑顔に彩られて輝き出していた。
「それ凄いじゃん! 上手く行けば商品化だぜ!」
「そうだね。 でも一般の人が点灯出来るのは精々五、六分位だと思うし、ティルが使っても十分位で魔力を使用した時特有の倦怠感に襲われちゃうから実用化は難しいと思うんだけどね」
「商品化は無理か……金儲けのチャンスかと思ったのにな」
指をパチッと鳴らしてティルは悔しがる。
ティルは何か気付いた時や、悔しい時に指を鳴らす癖があり、これを学校の授業中にも鳴らしてしまう為、先生から注意を受けることもよくある。
「まぁ~ティルみたいな、学生の自由研究の材料としては、面白いんじゃないかな? 実験の道具は、カンテラと純度の低いエーテル溶液、あと魔方陣を描く為の石灰があれば良いからさ」
「それじゃあ、道具を用意するのに、少し時間が欲しいから、二日時間貰えるかな!? 自習室も借りなきゃな!」
「明後日だね。 良いよ、そしたら明後日のお昼食べてから、学園の正門前で待ち合わせだ。 僕の部外者入園許可も貰っておいてね」
「オッケー! 部外者入園許可か! すぐに貰って来なきゃ! それじゃぁまた明後日な!」
入って来た勢いそのままに、外へと飛び出して行くティル。
勢いよく閉められた扉の鈴が、叱る様に音を鳴らせるが閉められた勢いが強すぎて床に落ちてしまった。
哀愁漂う音を一つ奏でて鈴が沈黙する。
「ティルは来るたびに扉の鈴を落として行くな……」
リオは「やれやれ」と、落ちた鈴を拾い元の状態に修理する為、ソファから腰を上げ鈴を拾い上げると、扉を開けて女性が入ってきた。
「お、リオ帰ってたのか」
「先生、おかえりなさい」
この女性が、リオの錬金術の師であり、この国唯一の正式な錬金術師のシャロン=マクレガーである。
大人の魅力満点な、年齢不詳の金髪メガネ美女である。
胸元の開いた服を普段から着用し、足元もタイトスカート、高めのヒール、黒いジャケットの上にグレーのフード付きローブを着用し、赤ブチのハーフリムメガネを愛用している。
ザックリした性格をしており、言葉使いは男ッポイが、その抜群のプロポーションにより町には大勢のファンがいる。
シャロンはリオの手元に視線を落とすと、訝しげに尋ねる。
「扉の鈴どうしたんだ?」
「ティルですよ」
シャロンは大きくため息をついて頭を振る。
この先生もリオの幼馴染とは交流が深く、よく遊びにもくるので良く知っていた。そして、こんな早い時間に帰るということで、どういうことなのかすぐに理解できるのだ。
「またか……で? 今度はどんな厄介事に巻き込まれたんだ?」
「なんだか自由研究の手伝いをすることになりました」
「自由か……あの子が一番苦手な言葉だな」
「はい……魔力で火を灯すカンテラを作ろうと思っています」
「仕組みは?」
「はい、完全に密封状態にしたカンテラ内にエーテル溶液を少量封入し、魔方陣による効果付与を行います。 エーテル溶液に火の属性を持たせる事で魔力によるエーテル溶液干渉を可能にしてカンテラ内で火を灯します。」
シャロンが「ほう」と感嘆の声を漏らし、ニヤリとヤラシイ笑みを浮かべる。
「なかなか面白い試みだな。 理論的には可能だろう、何事も経験だ。 何かあっても尻は拭いてやるよ」
「先生、女性なんですから下品な表現はちょっと……」
そして理論を詰め、問題点が無いかチェックをしたり、日々の雑用をこなしたりしていると、すぐに二日後の昼になっていた。
まだ待ち合わせの時間までには少し時間があったが、特にすることも無かったので、先に待ち合わせ場所で待つことにする。
この国には大きな魔法学校が2つある。 一つは町の中央の城を挟んで北側にある神聖魔法学院。 もう一つが今、リオの目の前にある王立魔術学園である。
神聖魔法学院はこの国の主教であるアーリア教が起こした学校である。 王立魔術学園はその名の通り王国が運営する学校である。
(久しぶりに学園なんて来たな……昔は魔法使いに憧れた時期もあったんだけどな)
学園を見上げると視界の隅を、ゆっくりと空から舞い降りる羽根が眼に映った。
ただの空を飛ぶ鳥の落し物のようにも思うが、リオは何故かとても気になっていた。
(なんだろう……何故かとても気になる……錬金の材料になるかもしれないし貰っておこうかな)
羽根を拾い上げて、自分の懐にしまった。
リオが懐から手を出したところでティルが息を切らせながら走り寄ってきた。
「わりぃ待たせて! 今日こそは俺が先に待ってようと思ったんだけどな……まさかこんなに早く来てるなんて……」
「いや、今日は暇だったから。 ちょっと早めに来てただけだよ。 それじゃぁ、早速中に入って実験を始めよう」
ティルに先導させて、リオも学園の中に入る。
以前、通っていたこともあるとは言え、何度入っても驚くほど豪奢なエントランスホールである。
五、六メートルはあるであろう天井には、大きなシャンデリアが掛けられていて、沢山の蝋燭が使用されている。
現在は昼間の為、火は灯されていないが代わりに大きなステンドグラスから差しこむ色とりどりの光がエントランスを明るく彩っている。
受付で部外者入園許可証を受け取ったティルに呼ばれて、実験棟の奥にある自習室に向かう。
「リオ久しぶりの学園の中はどうだ? やっぱり少し懐かしいか?」
「そうだね。 随分と久しぶりに中へ入った気がするよ」
「リオが学園を辞めて錬金術師の先生に弟子入りしてから2年だもんな。 時が立つのは早いよ」
「その言い方年寄り臭いよ」
自習室に到着すると、持ってきた荷物を部屋の隅に置いて必要な道具を準備する。
普段、自習室は今回のように生徒の希望があれば、自由に使用出来るようにしている。
どんな自習も行えるように、一通り魔術に必要な道具は揃っている上、基本的には使用は無料だ。
「ティル、必要な道具は揃ってるかな?」
「エーテル溶液とカンテラ! 後は魔方陣を描く為の石灰だよな!?」
ティルは自習室のテーブルに道具を並べて一つ一つ確認して行く。
「大丈夫そうだね。 それじゃぁ、今日やる実験の概要を説明する。 まず――」
カンテラの油入れのところに油の代わりにエーテル溶液を入れる。これが魔力と干渉して火を起こす素になるのだ。そして、エーテル溶液を注いだら、カンテラの油入れを完全に密封して、エーテル溶液が気化してしまうことを防ぐ。そこまでやれば半分終わりである。次に、火属性付与の魔方陣を描いて、その中心にカンテラを置く。エーテル溶液に火属性が付与出来たら完成である。
「――ここまでやって、試しに魔力を注いで点けば完了だね」
頷きながらメモを取っていたティルが、少し首を傾げる。
「手順は簡単だけど、魔方陣での火属性付与が大変かな? あと質問なんだけど、なんでカンテラを密封するの? 火は空気が無いと燃えないよね?」
「良い質問だね。つまり――」
たしかに空気が無いと火は燃えない、代わりに魔力を消費することで火を灯すのである。 カンテラを密封することで、明かりだけは得ることが出来る。 エーテルは気化する為、密封する必要がある。でないと油の代わりにエーテル溶液を消費してしまって、魔力で明かりを獲ることの利点が薄くなってしまう。魔力以外を消耗せずに明かりを得ることが、今回の実験のメインテーマということだ。
「――ってこと」
「なるほど! つまりコレがあれば油やエーテル溶液のお金も使わずに明かりが得られるってことだな!」
「そう! その代わり、明かりの点灯時間や明るさに個人差が出る上に、使えば使った分だけ疲れちゃうんだけどね。 とりあえず説明は良いかな? 早速始めたいんだけど……」
「分かった! 課題なんて早く済ませちゃおうぜ!」
リオはテーブルの上に並べられた道具から石灰を取ってティルに手渡す。
「僕は魔法が使えないから、魔方陣の設置はティルに任せるよ。 僕はカンテラにエーテル溶液を充填するからさ」
「オッケー! 教科書通りにやれば良いことなら俺の得意分野だぜ!」
ティルは石灰を使って自習室の床に魔方陣を描いていく。 さすがに教科書に載っている内容通りの為、寸分の狂いも無いキレイな魔方陣を仕上げていく。
魔方陣を描き終える頃には、リオもカンテラにエーテル溶液を充填し終えていた。
「描き終わったぜ! ってか、どうよ!? このキレイな魔方陣!」
「はいはい。 それじゃぁカンテラを魔方陣の中心に置くよ~」
ティルのささやかな自慢を完全にスルーして、リオは作業を進める。
ティルが少し不貞腐れながら、魔方陣から出て詠唱の準備に取り掛かると、代わりにリオが魔方陣に入ってカンテラを魔方陣の中心に置こうと屈む、すると懐から先ほど正門の前で拾った羽根が、零れ落ちた。
リオがそれを見た瞬間、何か咄嗟にマズイことが起きる気がして手を伸ばすが、伸ばされた手をすり抜けて、羽根は床の魔方陣へと落ちていく。
魔方陣の一部に接触すると、羽根を中心に魔方陣が青白く光りだす。
羽根を中心にして発生した光は、自習室を光だけの世界に変えてしまうほどの光になっていた。
「な、何コレ!? リオ何したんだ!?」
「僕だって分からないよ!」
瞼の向こう側で、光が徐々に弱くなるのを感じると同時に、リオは何か柔らかい物に寄りかかられ、咄嗟の事の為踏ん張りが利かず、押し倒されてしまった。
(コレは一体なんだ……?)
眼が慣れ、はじめて自分を押し倒した物の正体を確かめると、それは一糸纏わぬ黒髪の少女だった。