石の記憶外伝 トムくん奮闘記 その22
クリスティンのお産 それから
病院の陣痛室では、クリスティンが苦しみに耐えていた。
陣痛の間隔は、次第に短くなっていく。
男たちは励ましの言葉をかけ、女性たちは汗を拭いたり、手を握ったりしながら、懸命にクリスティンを支えていた。
しかし、一向に赤ちゃんが下りてくる気配がない。
医師はエコーで状態を確認すると、父親であるトムに告げた。
「お子さんは逆子です。緊急に帝王切開を行う必要があります」
その言葉を聞いたアンは、さっと顔を青ざめさせた。
そして、アーチーボルドは医師にすがりついた。
「金は……金はいくらでも払う! あの子を、赤ん坊と孫を、どうか無事に生まれさせてくれ!」
半泣きになって懇願するアーチーボルドに、医師は落ち着いた声で答えた。
「大丈夫です。お母さんも赤ちゃんも、無事ですから。私たちに任せてください」
クリスティンを乗せた担架は、手術室へと消えていった。
「おお……クリスティン……」
その場に立ち尽くし、狼狽えるアーチーボルド。
そのとき、ミルドレッドの一喝が飛んだ。
「しっかりおし、アーチーボルド! 今は先生を信じるしかないんだよ。医療だって昔とは違って、ずいぶん進んでいるんだからね。だから、落ち着くんだよ!」
トムも、思わず声をかけた。
「じいちゃん、クリスも頑張っているんだ。だから、今は信じよう」
しかし、アーチーボルドはトムの肩をつかむと、震える声で語り始めた。
「赤ん坊というのはな……あまりにも小さく、儚いものなのだ」
その目には、深い悲しみが浮かんでいた。
「ジョアンナは、生まれてすぐに神様のもとへ召されていった……」
その名を聞いて、キャサリンが顔を上げた。
「ジョアンナって……確か、私の双子の妹の……?」
「そうだ、キャサリン。お前たちは未熟児だった。姉のお前は、何とか一命を取り留めた。だが、ジョアンナは……ほんの数時間で神様のもとへ行ってしまった」
アーチーボルドの声が途切れた。
「あの悲しみは……もう二度と、味わいたくないのだよ……」
そう言うと、彼は泣き崩れた。
アンが、そっと夫のそばに寄り添う。
その瞳もまた、涙に濡れていた。
双子の我が子の片割れを失った悲しみ。その記憶が、アンの胸にもよみがえっていたのだろう。
誰もが言葉を失い、ただ手術室の扉を見つめていた。
そのときだった。
手術室の向こうから、元気な産声が響いた。
「生まれた!」
誰かが叫んだ。
一瞬の静寂のあと、皆の顔に喜びが広がった。
やがて医師が手術室から出てきた。
「おめでとうございます。可愛い男の子ですよ。瞳のきれいな子です。お母さんも処置が終わりました。赤ちゃんに会えますよ」
その言葉に、皆が安堵の息をついた。
ほどなくして、赤ん坊が皆の前に運ばれてきた。
母親と同じ、チョコレート色の肌。
アンが、思わず声を漏らした。
「なんて愛らしいの……」
アーチーボルドとトム、そしてキャサリンが、そっと赤ん坊を覗き込んだ。
母親の瞳は黒い。けれど、その子の瞳は、美しいヘーゼル色をしていた。
その瞳を見た瞬間、アーチーボルドの表情が変わった。
彼は赤ん坊の顔を見つめ、かすかな声で囁いた。
「ジョアンナ……」
涙が、その頬を伝った。
「男の子になって、私たちのもとへ帰ってきてくれたのかい……」
そう言うと、アーチーボルドは再び泣き崩れた。
長い年月を経ても消えることのなかった、幼い娘を失った悲しみ。その胸に、今、小さな命が新たな喜びを運んできたのだった。
「クリスティン、ありがとう……」
アーチーボルドは、涙を拭いながら言った。
「こんなに愛らしく、美しい曾孫を授けてくれて……」
キャサリンも、ミルドレッドも、ヒロも、アドリアンも、チョコレート色の肌に美しいヘーゼルの瞳を持つ赤ん坊に、すっかり見入っていた。
「私と同じ瞳の色だわ……」
キャサリンが呟く。
「ええ。ハーパー家の瞳の色よ」
アンが、娘に優しく答えた。
「本当にきれいな子ね……」
ミルドレッドも、愛おしそうに赤ん坊を見つめた。
そのとき、父親になったばかりのトムが、感慨深げに呟いた。
「アレックス……」
愛する妻と、腕の中にいる小さな息子。
トムはクリスティンにそっとキスをした。
「美しい子をありがとう」
クリスティンは疲れ切った顔に、かすかな笑みを浮かべた。
皆が喜びに包まれるなか、シモンズ牧師が提案した。
「皆さん、この子の洗礼式にいらしてくださいませんか」
一同が牧師に顔を向けた。
「この幼子が、今、皆さんを結びつけているのですから」
「ええ、喜んで」
皆が口々に答えた。
ハーパー家とヤマモト家。
両家の間に横たわる溝が、埋まったわけではない。互いに許し合ったわけでもない。
トムの胸に残る傷も、アーチーボルドが背負ってきた過去も、この一日ですべて消えるものではなかった。
ただ、今は。
両家の間に生まれた小さな命の誕生を、心から祝っていた。
その喜びを、皆が分かち合っていた。




