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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

今際の際

作者: 蔵樹りん
掲載日:2026/06/22

 処刑場しょけいじょう仕置場しおきば土壇場どたんば


 そんな言葉が似あうであろうその場所に一人の男が連れて来られた。両の腕は縄で後ろ手にきつく縛られている。足は自由だが役人たちが左右を固め、逃げるのを封じていた。

 男は反抗することもなく、介添かいぞえの役人たちによって両の膝をつく形で地べたに座らされた。男を連行してきた役人たちは向き直り、正面に向かって一礼する。

 そこには具足をまとい、顔をいかめしい面頬めんぼおで隠した武者が床几しょうぎの上に座っていた。その腰には刀が二本差してある。

 この武者は処刑人である。今日、これから腰の刀でその役目を果たすのだ。


 場を整えた役人たちが立ち去った後、向かい合う二人が残る。

 少しのあいだ沈黙が流れ……やがて、罪人のようにひざまずく男の頬を涙が伝った。


「やはり生きたいのか」


 陳腐ちんぷとも言える光景に、処刑人はたいした感傷かんしょうもなく尋ねた。しかし、男は処刑人の意に反して首を左右に振る。


「違う。このおよんでも生きたいという気持ちが湧いてこない、己の人生がむなしくて泣くのだ」


 意外な答えに処刑人が二の句を継げずにいると、男は涙を流しながら言葉を続けた。


「死にたいと思ってる時に死ぬことと、生きたいと思ってる時に死ぬこと、どちらが不幸なんだろうな」


 あくまでも独り言でしかないのか、男はしゃべりながらも処刑人に一瞥いちべつもくれない。その顔は処刑人に向けられているものの、見つめているのは自分自身の心の内、あるいはこれまでの足跡そくせきであった。


「死にたいと思って死ぬということは、今の人生があまりにも苦しいということだ。これは不幸だ。生きたいと思って死ぬということは、今の人生が満たされているのに強制的に終了させられるということだ。これも不幸だ」

今際いまわきわに、ずいぶんとおかしなことを考えるものだな」


 少々呆れを帯びた処刑人の声。しかし男は大真面目な顔を崩さない。


「俺はずっとそんなおかしなことばかり考えて生きてきたんだ。ただ皆と交わり、せい謳歌おうかすれば良かったのにな。……でもこんな風に後悔しているということは、今の俺は生きたいと思ってるということなのか? もし生き長らえたとしても苦しみが続くだけだというのに」

「さあな。いずれにせよ、お前の運命は変わらん」

「その通りだ。でも死にたいと願って死ぬのか。生きたいと願って死ぬのか。それは俺にとって大事なことなんだ」

「生きるか死ぬか、よりもか?」

「死にたいと思いながら死ぬのは、あまりに悲しすぎるだろう? 本当に自分の人生など無価値だと感じていることになる。俺は、わずかでもいいから生きたいと思いながら死ねたら嬉しい……そう願っているよ」


 言いたいことを全て言い終えたのか、男は口を閉ざし、再び沈黙が支配した。その瞳からあふれていた涙もいつの間にか止まっており、動くのはときだけだった。

 やがて、かすかな吐息が処刑人の口から漏れる。


「そろそろ時間だ。われに出来るのは、お前を一瞬で殺してやることだけだ」


 処刑人は己の役目を果たすために立ち上がる。さざめく具足に紛れて、腰に差してある刀がかすかな音を立てた。


「……最期に話せて気持ちがすっきりした。ありがとう」


 初めて処刑人の顔を見やった男は、感謝の言葉を述べると共に一礼するかのごとく頭を下げた。

 処刑人は男のそばへと歩みより、刀を黒塗りの鞘から引き抜いた。男ももう下げた頭を上げることもない。

 処刑人の頭上に刀が振りかぶられる。面頬の奥の瞳が首筋の一点を見据える。

 そして。




 ――ああ

 ――俺は

 ――生きたい?

 ――死にたい?

 ――生きたい死にたい生きたい死にたい生きたい死にたい生きたい死にたい生きたい死にたい生きたい死にたい




 刃が首を斬り落とした時、男が生きたいと願っていたのか死にたいと願っていたのか。

 それは処刑人にも分からない。

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