今際の際
処刑場。仕置場。土壇場。
そんな言葉が似あうであろうその場所に一人の男が連れて来られた。両の腕は縄で後ろ手にきつく縛られている。足は自由だが役人たちが左右を固め、逃げるのを封じていた。
男は反抗することもなく、介添えの役人たちによって両の膝をつく形で地べたに座らされた。男を連行してきた役人たちは向き直り、正面に向かって一礼する。
そこには具足を纏い、顔を厳めしい面頬で隠した武者が床几の上に座っていた。その腰には刀が二本差してある。
この武者は処刑人である。今日、これから腰の刀でその役目を果たすのだ。
場を整えた役人たちが立ち去った後、向かい合う二人が残る。
少しの間沈黙が流れ……やがて、罪人のようにひざまずく男の頬を涙が伝った。
「やはり生きたいのか」
陳腐とも言える光景に、処刑人は大した感傷もなく尋ねた。しかし、男は処刑人の意に反して首を左右に振る。
「違う。この期に及んでも生きたいという気持ちが湧いてこない、己の人生が空しくて泣くのだ」
意外な答えに処刑人が二の句を継げずにいると、男は涙を流しながら言葉を続けた。
「死にたいと思ってる時に死ぬことと、生きたいと思ってる時に死ぬこと、どちらが不幸なんだろうな」
あくまでも独り言でしかないのか、男はしゃべりながらも処刑人に一瞥もくれない。その顔は処刑人に向けられているものの、見つめているのは自分自身の心の内、あるいはこれまでの足跡であった。
「死にたいと思って死ぬということは、今の人生があまりにも苦しいということだ。これは不幸だ。生きたいと思って死ぬということは、今の人生が満たされているのに強制的に終了させられるということだ。これも不幸だ」
「今際の際に、ずいぶんとおかしなことを考えるものだな」
少々呆れを帯びた処刑人の声。しかし男は大真面目な顔を崩さない。
「俺はずっとそんなおかしなことばかり考えて生きてきたんだ。ただ皆と交わり、生を謳歌すれば良かったのにな。……でもこんな風に後悔しているということは、今の俺は生きたいと思ってるということなのか? もし生き長らえたとしても苦しみが続くだけだというのに」
「さあな。いずれにせよ、お前の運命は変わらん」
「その通りだ。でも死にたいと願って死ぬのか。生きたいと願って死ぬのか。それは俺にとって大事なことなんだ」
「生きるか死ぬか、よりもか?」
「死にたいと思いながら死ぬのは、あまりに悲しすぎるだろう? 本当に自分の人生など無価値だと感じていることになる。俺は、わずかでもいいから生きたいと思いながら死ねたら嬉しい……そう願っているよ」
言いたいことを全て言い終えたのか、男は口を閉ざし、再び沈黙が支配した。その瞳からあふれていた涙もいつの間にか止まっており、動くのは時だけだった。
やがて、かすかな吐息が処刑人の口から漏れる。
「そろそろ時間だ。我に出来るのは、お前を一瞬で殺してやることだけだ」
処刑人は己の役目を果たすために立ち上がる。さざめく具足に紛れて、腰に差してある刀がかすかな音を立てた。
「……最期に話せて気持ちがすっきりした。ありがとう」
初めて処刑人の顔を見やった男は、感謝の言葉を述べると共に一礼するかのごとく頭を下げた。
処刑人は男の側へと歩みより、刀を黒塗りの鞘から引き抜いた。男ももう下げた頭を上げることもない。
処刑人の頭上に刀が振りかぶられる。面頬の奥の瞳が首筋の一点を見据える。
そして。
――ああ
――俺は
――生きたい?
――死にたい?
――生きたい死にたい生きたい死にたい生きたい死にたい生きたい死にたい生きたい死にたい生きたい死にたい
刃が首を斬り落とした時、男が生きたいと願っていたのか死にたいと願っていたのか。
それは処刑人にも分からない。




