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推しの処刑エンドを回避しようとしたら、推しに溺愛されました

作者: カルラ
掲載日:2026/04/26

 推しを守るためにこの世界へ来たのに、どうして推し本人に「逃がさない」と壁ドンされているんでしょう。

 ——三ヶ月前の私に教えてあげたい。推し活は時として、推しに捕まる。


 三ヶ月前の話をする。

 目が覚めたら、見知らぬ天蓋付きのベッドの上にいた。

 天蓋には白いレースのカーテンが幾重にも垂れ、朝の光がそこに滲んで、全体がぼんやりと夢の続きみたいな色をしていた。起き上がると、柔らかい絹の夜着が体に纏わりついて、鼻の奥に薔薇と白檀を混ぜたような香りがした。私の安アパートには存在しない、貴族趣味の朝の匂いだ。

 落ち着いて考えよう、と思った。

 二十六歳のOLが昨夜、乙女ゲーム「薔薇の誓約」の周回プレイ中にソファで寝落ちして、目覚めたら異世界だった。冷静に整理すると、これはよくある話だ。よくある話として処理することにした。深呼吸を一回。壁際の姿見に近づく。

 映っていたのは、直前まで攻略していたゲームの——悪役令嬢だった。

 黒髪に紫の瞳。整いすぎて逆に近寄りがたい顔。カサンドラ・ヴェルデ、十二歳。公爵令嬢にして、ゲームのほぼすべてのルートでヒロインを苛め、最終的には断罪される運命のキャラクター。

「…………本物だ」

 声に出したら少し落ち着いた。鏡の中の自分が、同じタイミングで口を開いているのを見て、妙な感慨を覚えた。私はゲームのカサンドラになってしまったわけだが、前世の記憶はしっかり残っている。つまりこれは「転生もの」というやつだ。ジャンルは把握した。

 問題は、このカサンドラという女の子が、攻略ヒロインでも脇役でもなく、全ルート共通の障害キャラであるという点だ。

 そして私が——十数万円を費やして「薔薇の誓約」を周回した廃人ゲーマーであるという点も。

 推しのルートを百回クリアした。そのうち九十七回は涙で画面が滲んだ。残り三回は号泣して画面が見えなかった。

 推しの名は、レイ・アシュフォード。

 王国騎士団の副団長。二十四歳。黒髪に金の目。寡黙だが部下の信頼は厚く、剣の腕は団長より上だという噂のある、物静かな男。ゲームでは主にフレンドリールートの攻略対象だが、彼のルートにだけ、他にない分岐がある。

 「処刑エンド」だ。

 ヒロインがレイを選ばなかった場合。あるいはヒロインが特定の選択肢を誤った場合。第一王子の側近が「レイが謀反を企てた」という偽の証拠を流し、レイは断罪される。微笑んだまま処刑台に上るレイのスチルは、ゲーム界隈で「人を廃人にする絵」として語り継がれており、私もそれで三日間立ち直れなかった。

 だから決めた。

 私はカサンドラとして、このゲームの筋書きを書き換える。悪役令嬢の役割は全部投げ捨てて、ひたすら推しを守る。

 それが、この転生における私の唯一の使命だ。


 作戦を立てたのは転生から一週間後のことだった。

 当時十二歳のカサンドラ——つまり私——には、公爵令嬢という立場がある。社交界への正式デビューは三年後だが、貴族の子女として顔は広い。それを利用するしかない。

 まず、処刑エンドの引き金になる「謀反の濡れ衣」を防ぐ必要がある。

 ゲームの知識によれば、謀反の噂を流すのは第一王子の側近・ガレン男爵だ。ガレン男爵は、特定の貴族派閥——シュタット派——を後ろ盾に持っており、そこがレイを政治的に排除したがっている。だからレイが無意識にシュタット派と接触するのを防げば、少なくとも「濡れ衣を着せる動機」がなくなる。理屈の上では。

「レイ副団長。少しよろしいでしょうか」

 王城の廊下で呼び止めた。レイは振り返り、公爵令嬢を見下ろして静かに「はい」と答えた。初めて間近で見る推しは、ゲームのグラフィックよりずっと立体感があって——というか当然そうなのだが——私は一瞬、言葉を失いかけた。

 いけない。ファン脳を発動している場合ではない。これは推し活の一環だ。プロデューサーの目線で動かなければ。

「シュタット派の方々とは、あまりお近づきにならない方がよろしいかと思いまして」

 さらりと言えた。完璧だ。意味深で、でも具体的すぎない。これで伝わるはずだ。

 レイは少し間を置いてから、「……ご忠告、感謝します」と言った。

 完璧な対応だった。

 ところが翌週、なぜか王城の政治的緊張が一段階上がった。

 私の発言が「カサンドラ公爵令嬢がシュタット派を敵に回した」という意味に受け取られたらしく、公爵家とシュタット派の間に不穏な空気が流れ始めた。貴族社会というのは言葉の裏を読む文化があるようで、「近づくな」は「潰す気だ」に翻訳されたのだ。

「なんで!?」

 夜、自室で声に出した。一人だったので許してほしい。

 ……作戦は練り直しだった。


 次の策は、もっと根本的なアプローチだった。

 処刑エンドの直接の引き金は、「レイとヒロインの絆が深まりすぎて、王子が嫉妬してレイを排除しようとする」という流れにもある。だからヒロイン——今回は聖女として召喚されたフローラという少女——とレイが必要以上に親しくなるのを防げばいい。

 そのために、フローラを私が引き受けることにした。

 友人になる。ヒロインの時間と注意を私が占有することで、レイとの接触頻度を自然に下げる。完璧な作戦だ。

「カサンドラ様、今日もお会いできて嬉しいです!」

 フローラは、会うたびに目を輝かせた。

 私のことを明確に「好き」だと言う。天然なのか人たらしなのか判断がつかないが、悪役令嬢のはずの私に怯えることなく、ぐいぐいと距離を詰めてくる。お茶の時間には手作りのクッキーを持ってきて、私の好みを覚えようとする。

 ……困った。なついてきている。

 しかも、私自身がフローラのことを嫌いになれない。純粋に良い子なのだ。裏のない笑顔を向けられると、ゲームでこの子を苛めていたカサンドラのことが申し訳なくなってくる。

 だから私も、なんだかんだ本気で友人として接するようになっていた。

 問題は、それをレイが遠くから観察していたことだ。

 悪役令嬢がヒロインに近づく。当然、怪しい。彼の目には、私がフローラを何らかの形で利用しようとしているように映っていたはずだ。

 ただ——後から聞いた話では——レイが引っかかったのは「でもカサンドラの笑顔が、嘘じゃなかった」という点らしかった。


 書庫で見つかったのは、転生から三ヶ月が経った夜のことだった。

 私の悪癖が原因だ。前世でゲームの攻略をノートにまとめる習慣があって、転生後もつい同じことをやっていた。今のカサンドラが置かれた状況、処刑エンドへの分岐条件、それを回避するための行動リスト——そういったものを細かく書き記したノートを、王城の人気のない書庫に隠し持っていた。

 誰にも見られないと思っていたのだ。

「そのノートは、何ですか」

 声がして、心臓が止まるかと思った。

 振り返ると、棚の陰から出てきたレイが、私のノートを視線で示していた。灯明の橙色の光の中で、金の目が静かにこちらを見ていた。

 逃げ場がない。書庫の奥まった一角で、二人きりだ。

「……ち、違います、これは個人的な覚え書きで」

「三ヶ月前から、あなたは私の周囲で何かを変えようとしている」

 低い、静かな声だった。責めているのではなく、ただ観察した事実を述べているような口調。それがかえって、言い訳の余地を奪った。

「シュタット派への牽制。フローラ嬢への接近。そして——」彼は一瞬だけ間を置いた。「私が立ち寄る場所に、理由なく現れること」

 全部見えていた。

 頭が真っ白になる感覚があった。悪役令嬢の仮面がぺりぺりと剥がれていく音がした。このままではいけないと思いながら、絞り出せた言葉はひどく正直だった。

「……あなたに、死んでほしくないんです」

 言ってしまった。

 本音だった。推し活の文脈で処理するつもりだったのに、口から出てきた言葉には「好きなキャラクターを守る」とは少し違う熱があった。

 静寂が落ちた。

 レイはしばらく私を見ていた。何を考えているのか読めない顔で、でも怒ってもいなかった。

「……なぜそこまで」

「わかりません」

 正直に答えた。本当にわからなかったから。ファンとして推しを守りたいという気持ちが、いつの間にかもっと切実な何かに変わっていて、自分でもそれが何なのか名前をつけられないでいた。

「あなたが陥れられる未来を、予感しています。根拠はうまく言えない。でも確信があります」

「……信じがたい話ではあります」

「信じなくていいです」私は顔を上げた。「ただ、何かするときに私を一人で動かせてください。あなたに何かあったら、私が——」

 そこで言葉が詰まった。

 私が、どうなる? 悲しむ? それはそうだ。でもそれだけじゃない気がして、続きが出てこなかった。

 レイは長い沈黙の後、静かに言った。

「……協力しましょう」

「え」

「ただし条件があります。次から何かするときは、一人で動かないこと」

 それは私への牽制のようで——でも、守ると言っているようにも聞こえた。


 それから二週間、私たちはひそかに共同戦線を張った。

 ガレン男爵の動きを追い、証拠を集め、シュタット派の内部分裂を静かに誘導する。公爵令嬢の立場と騎士団副団長の立場、両方からアプローチできることが強みになった。フローラにも、核心は伏せたまま協力を頼んだ。フローラは「カサンドラ様が大事な人を守ろうとしているんですね」と言って、あっさり手伝うと言った。

「大事な人……」

 無意識に繰り返したら、フローラが少し首を傾げた。「違いましたか?」

「……違わないです」

 その言葉を口にしたとき、自分の胸の中に妙な熱があることに気づいた。

 レイが実在している。ゲームの中のグラフィックではなく、血が通って、声があって、金の目で私を見る人間として、そこにいる。

 気づかないようにしてきたが、二週間で少しずつ、その事実が積み上がっていた。

 夜遅くまで資料を並べていたとき、黙って温かい茶を持ってきてくれたこと。人前では滅多に見せない、困ったときに眉だけが動く癖を見てしまったこと。私が無茶な計画を言うと「……それは無理があります」と静かに却下して、代わりにより確実な方法を出してくること。

 だめだ、と思った。

 これはもう、推し活の範疇ではない。

 でも今は、それを考えている場合じゃなかった。


 断罪の日は唐突に来た。

 王城の大広間。第一王子が「レイ・アシュフォード副団長の謀反の証拠を掴んだ」と公衆の前で宣言したのは、私たちの準備が八割方整っていたところだった。

 反証の書類は手元にある。ガレン男爵が証拠を偽造した記録、シュタット派との資金のやり取り、全部揃っていた。

 ただ——気づいたら、レイの姿が見えなかった。

 嫌な予感がした。彼は私が巻き込まれることを察知して、先に動いたのだ。

 広間の端で、息をひそめて状況を確認する。王子の告発は進んでいる。レイは一人で証人台の前に立っている。冷静な顔をしているが、動ける状況ではない。

 今だ、と思った瞬間——

「少しよろしいでしょうか」

 フローラの声が、広間に通った。

 聖女という立場の彼女が声を上げると、場がざわめいた。フローラは小さく私の方を見て、それから真正面を向いた。

「カサンドラ様が集めた証拠が、ここにあります」

 彼女の手には、私が渡していた書類の束があった。

 その後のことは、あまりうまく覚えていない。証拠が示され、告発の根拠が崩れ、ガレン男爵の偽造が白日の下に晒された。第一王子は言葉を失い、広間がざわめき、誰かが「謀反などなかった」と言った。

 私は広間の端で、柱に背を預けて、膝が震えているのを感じながら、それを見ていた。

 終わった。

 レイは生きている。処刑エンドは消えた。私がやろうとしていたことは、全部終わった。

 涙が出そうになったのを、慌てて袖で押さえた。泣くのは後でいい。今はまだ、終わっていない場面がある気がして——

「カサンドラ」

 呼ばれて、顔を上げた。


 書庫と同じ金の目が、私を見ていた。

 広間の人々がまだざわめいている中で、レイはそこだけ静かな場所を作っているようだった。歩み寄ってくる彼から逃げようと思ったのに、足が動かなかった。

「一人で動くなと言いました」

「フローラに頼みましたから、一人じゃないです」

「……詭弁ですね」

「副団長こそ、さっき一人で出ていきましたよね」

 言い返したら、レイは少しだけ目を細めた。ゲームでは見たことのない表情だった。困っているのか、それとも笑っているのか、わからない顔だ。

「あなたが巻き込まれるのが嫌だった」

「私だって、あなたが——」

 言いかけて、止まった。

 広間の喧騒が遠い。柱と柱の間の、この狭い場所で、私は自分の言いかけた言葉の意味に気づいて、黙るしかなかった。

 レイが、一歩近づいた。

 私の背後の壁に、静かに手が置かれた。壁ドン、と前世的な言葉が浮かんで、でもそれを笑う余裕がなかった。

「ずっと、見ていました」

 低い声が、静かに言う。

「三ヶ月、あなたのことを。笑うとき、困るとき、必死に何かを守ろうとするとき。悪役令嬢のはずのあなたが、誰かのために動き続けている。それが何なのか、ずっと考えていた」

 金の目が、まっすぐ私を見ている。

「答えが出ました」

「……なんですか」

「私はあなたを、愛しています」

 その瞬間、何かが崩れた。

 三ヶ月、ずっと整理して、処理して、「これは推し活」「これはプロデューサーの視点」と言い聞かせてきたものが、音もなく崩れた。推しが実在している。幸せになった。処刑台に上ることなく、ここに立っている。それだけで十分だと思っていたのに。

「……ずるい」

 声が震えた。

「私は、あなたのことが好きで、でもそれを認めたら、もう推しって呼べない気がして」

「呼ばなくていいです」

「でも——」

「カサンドラ」

 名前を呼ばれた。それだけで、もう終わりだった。

 涙が出た。止められなかった。三ヶ月分の緊張と、安堵と、認めたくなかった気持ちが全部出てきて、私は柱に凭れてぐずぐずと泣いた。

 レイは何も言わなかった。ただ、静かにそこにいた。

 しばらくして、大きな手が頭の上に置かれた。不器用な、でも確かな重さがあった。


 推しが幸せならそれでいいと思っていたのに。

 推しに愛されるのは、もっと幸せだった。



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