第2章 対話の兆候
最初に「それ」が発見されたのは、無人化が進んだ地方都市の駅だった。
始発前の薄暗いホーム。
ベンチの背もたれに、白い線が引かれているのを清掃員が見つけた。チョークでもペンでもない。爪で削ったような、執拗で正確な刻み跡。
―――ヒト キク
文字だった。
稚拙ではない。誤字もない。
子どもの落書きでも、いたずらでもない。
監視カメラの映像が解析され、世界は息を呑んだ。
深夜二時十七分。カラスが一羽、くちばしで何度も金属を削り、交代するように別の個体が続く。作業は無言で、無駄がなかった。完成まで、正確に七分三十二秒。
「……文字の意味を、理解している」
IBEOの会議室で、誰かが呟いた。
否定する声は出なかった。
同日、世界各地で同様の事例が確認される。
歩道のブロックに刻まれた「ミル」
高架下の壁に並ぶ「ミナ ミテイル」
破壊された広告パネルに残された一行。
―――コワレルノハ ソラカ ヒトカ
脅しではない。
警告でもない。
問いだった。
言語学者、動物行動学者、AI研究者が緊急招集された。
分析は一致していた。
「模倣ではありません。文法を使っています」
「抽象概念を扱っている」
「しかも……文化差がない。言語の核だけを抜き出している」
誰かが、言ってはいけない言葉を口にした。
「……対話を、求めているのでは?」
沈黙が落ちる。
軍の代表が低く言った。
「対話は、主導権を渡す行為だ」
だが、すでに主導権は渡っていた。
その夜、世界同時刻に異変が起きた。
都市の雑音が、消えた。
信号機がすべて赤で固定され、航空機は空港上空で待機を強いられ、ドローンもヘリも動かない。混乱はあるが、事故は起きない。制御されている。
そして――
空に、文字が現れた。
数十万羽のカラスが高度を変え、位置を揃え、夜空に巨大な“文章”を描き出す。
ライトアップされた都市を背景に、黒い群れが浮かび上がらせたのは、世界共通語に翻訳された、同一の一文だった。
―――ワレワレハ マナンダ
―――ヒトヲ ミテ
―――コレカラハ ハナス
人類史上、初めてだった。
人間以外の知性が、自ら名乗らず、要求もせず、ただ対話を宣言した瞬間。
誰かが震える声で言った。
「……返事を、しなければならない」
同時に、別の声が重なった。
「返事をしたら、終わりだ」
空を覆う黒い文字は、崩れなかった。
待っている。
人間が、どういう存在なのかを。




