第1章 観測者たち
最初に異変へ気づいたのは、研究者でも軍でもなかった。
清掃員だった。
夜明け前の湾岸地区。男はいつものようにゴミ袋を集めていた。ふと視線を感じ、見上げた瞬間、動きが止まった。
電柱、フェンス、クレーン、ビルの縁。
すべてにカラスがいる。
鳴かない。羽ばたかない。
ただ、こちらを見ている。
数は把握できなかった。数えようとした思考そのものが無意味だと、直感で理解してしまったからだ。群れではない。配置だ。監視カメラのように、死角なく、男を囲んでいた。
「……チッ」
男が地面に唾を吐いた瞬間、ひと羽が首を傾けた。
それを合図にしたかのように、全羽が同時に同じ角度で首を傾ける。
人間なら、ありえない。
男は逃げなかった。逃げられなかった。
次の瞬間、カラスたちは一斉に飛び立ち、何事もなかったかのように空へ溶けた。
残されたのは、恐怖だけだった。
同日午前九時。
国際生物進化監視機構(IBEO)緊急会議。
「“知性の共有”が起きています」
スクリーンに映る研究員が言った。
各地で記録されたカラスの行動パターン。実験個体が学習した内容が、数時間以内に数千キロ離れた群れへ反映されている。
「個体学習では説明できません。群知性……いえ、それ以上です」
「女王個体は?」
「確認されていません。指令塔も、中心もない」
会議室が沈黙する。
「……では誰が決めている?」
誰も答えられなかった。
その頃、ある都市の高層ビル屋上。
風の中で、一羽のカラスが羽を休めていた。
いや、**一羽に見える“代表”**だった。
都市を見下ろす黒い瞳に、感情はない。
あるのは計算だけだ。
――人間は、まだ気づいていない。
――主導権が、すでに移っていることに。
その瞬間、世界各地で同時に、カラスたちが鳴いた。
初めての、意図的な合図だった。




