石段の彼方へ
苔むした石扉の両脇には巨大な石段が壁をなしていて、扉の向こうの宮殿を守っているかのようだった。
私は扉の外に立ち尽くして、宮殿にたどり着くためのヒントを探している。
両側の壁は絶壁で登れそうにない。扉を開けるための仕掛けもなさそうだ。
八方塞がりだった。このままいけば私はいずれ、この扉の前で力尽きるに違いなかった。
だが実際には、私は最初から扉の開け方を知っているのだった。
扉は私だ。私そのものなのだ。
私は今、閉じてしまっている。だが、元は開いていただろう。必ず閉じた方法があり、開くための方法がある。
そしてそのやり方は、知っているじゃないか。
そうだ、鍵穴は見えない。私が、視認できないようにした。
鍵は右のポケットに入っている。全てわかっている。自分のしたことだ。
鍵を取り出すにはそれ相応の覚悟が必要だ。そう、自分を開く覚悟が。
鍵には名前がある。人はそれを勇気といった。
最初から気づいていたのに。こんな単純なことのために、随分と長い時間がかかってしまった。
私は生唾を飲みこみ、ポケットをまさぐった。熱い光が手のひらに伝わる。もう一息だ。汗を垂らしながら私は、白く輝く何かを取り出した。恐る恐る手を開いてみる。それは勾玉の形状をしていた。
私は石扉に歩み寄り、左の手で苔むした表面を撫ぜた。これ程まで。これほど長い間、扉を閉ざしていたのか。冷たく厚い壁の向こうで、何も知らぬまま、体をこわばらせて。
扉の中には何があるのだったか。何か隠すべきものは置かれていただろうか。
いや、知っている。中に特筆すべきものなどないことは。財宝や希望をあてにしても無駄だ。
分かっている。この扉が開かれた暁には。その時には。
扉の中では、小さな傷ついた子供がひとり、私の帰りを待っているだろう。
右手の勾玉がうねるように輝きを増した。扉ががたがたと震えている。とりついていた苔がばらばらと落ちる。
私は扉の中央に勾玉を押し付ける。瞬間、勾玉は扉に吸収され、何らかの文様が太く石扉全体に現れた。息を呑むような風の音が耳をつんざき、扉がきしんだ。扉の隙間から溢れた光りが辺りを白く染めた。目がくらむ。
光が落ち着き、目を薄く開いた。私は青く、穏やかな光景を門の先に見た。
神殿だった。私の身長ほどの低い柱が十数本、中央に椅子をしつらえた円形の石畳の空間を守るように囲んでいる。柱より高いのは空。空しかない。めくるめく青のただ中に、糸をまいたような雲が何重にも線を描いている。
神殿の中央で、小さな子供が本を読んでいた。
ふい、とその子が顔を上げる。つるんとした頬、長く伸びた髪。どこかで見たことがある。
目が合う。と、私は急に自分のみすぼらしい外見が恥ずかしくなった。ローブは苔にまみれて所々破れ、体は痩せて血色が悪い。
驚いたような一瞬きの沈黙の後、その子は優しく笑ってこう告げた。
「おかえり。お疲れ様」と。
そうだった。私はこの子を守るため、城壁を築いたのだ。そしていつしか、扉を開けられなくなった。城壁を築いた時に持っていた鍵をなくしてしまったから。それを取り戻すのに酷く時間がかかった。
ははは、と失笑が漏れる。自嘲気味の笑声が神殿に響く。空の青さと雲の白さの中で、実に不似合いな光景だった。
すると、目の前にさっきの子供が立っている。神殿の椅子には本が開かれ、ページが風でめくれている。
黒っぽく丸い瞳が真っすぐに私を見上げている。これは私だ。私のはずなのだが、どうにも現実感がない。
幼子が倒れるように私の腰に頬を寄せる。体重を預けられ、弱々しい私はとっさに倒れることを覚悟したのだが、不思議なことにこの幼子の体からは生気がひりひりと伝わってくるようだった。
「どこに行ってたの?」と幼子が問う。「お話きかせて」
不意に目頭が熱くなり、私は手で顔を覆った。なんだか分からないが、涙がこぼれて止まらない。
幼子が私にひしと縋りつく。慰めてくれるのか。こんな私を。
視界がぼやけて立っていられない私を、幼子が抱きとめた。額にそっと口づけし、いとけない声でぽたりぽたりと言葉を紡ぐ。
「ゆっくりでいいよ。もうずっと、一緒なんだから」
「……ああ、そうだな。ずっと、ずっと一緒だ」
涙をぬぐい、鼻をすすりながら、私はこれまで出会ってきた人や艱難辛苦の数々を幼い私に語り始める。
扉は開いており、風が門の間をすい、と通り抜けた。