お地蔵さんが半額
お地蔵さんの額に、半額シールが貼られていた。
赤色の円の上に、ゴシック体の「半額」の文字が白抜きで記されている。スーパーのお惣菜から剥がしたシールをそのまま貼り付けたのだろう。
登下校のたびに毎日お地蔵さんの前を通っている訳だが、自転車を降りて彼に近づくのは今日が初めてだった。
屋根も頭巾もなく、ひとり裸で立つ彼は、半額姿になっても微笑みを崩さないでいる。まさか本当に無人販売が行われていることは無いだろうから、大方誰かのイタズラだろう。
値段をつけるだけでも失礼なのに、そのうえ半額とは…。行為のしょうもなさの割に不愉快だ。
失礼しますよと呟いて、半額シールを額から剥がす。
その辺に捨ててしまおうかと思ったが、神様の前でポイ捨てをするのもバツが悪く、ポケットへしまうことにする。
よくよく彼の足元を見ればお菓子だのおもちゃだのがいくつか供えられているから、今も意外と信仰されているようだ。
それにしても、いったい誰のイタズラだろうか。
道端のお地蔵さんというのは、ムラとムラの境界辺りに建てられることも多いそうだ。
隣町の高校へ自転車通学する私が、通学路のちょうど中間あたりで彼と出会うのもむべなるかなといったところだろう。
それはつまり私の家からも学校からも自転車で20分ほどかかるということで、最寄りのスーパーとの距離感も大体そんなところだ。
車ならもう少し早いだろうが…そうはいっても、スーパーからわざわざお地蔵さんに半額シールを貼りに来る輩はいったいどんな奴なのか?
まあ田舎町には娯楽がないから、そんな酔狂な人間がいてもおかしくないのかもしれない。
私は再び自転車にまたがり、お地蔵さんはいくらで買えるのかしらんと罰当たりなことを思いながら家路についた。
■
普段は私くらいしか通らない通学路に人だかりができていたのは、翌日の下校中のことだった。
ちょうどお地蔵さんのあたりがブルーシートで囲われ、その周囲をさらに野次馬が囲っている。少し離れたところにパトカーも止まっていた。
どうも交通事故が起きたようだった。騒ぎの大きさを見るに人命が絡む規模かもしれない。
私は自転車を降り、野次馬に紛れて聴き耳を立てた。
漏れ聞こえた所によると、6歳の少年に車が突っ込んだとのことだった。
一体何を願っていたのか、少年はこのところ熱心にお地蔵さんの元へ通っていたらしい。
しゃがんで祈りを捧げる彼の姿に車が気付かず、そのまま跳ね飛ばしたようだ。
運転手がすぐに救急車を呼び、少年は運ばれていったという。
事故後も大事に握りしめていた、お供え物のミニカーとともに。
私は昨日の光景を思い出す。
お地蔵さんの足元に転がるおもちゃやお菓子は彼が供えたものだろう。
そして今日は車のおもちゃを供えるつもりだったのだ。厄介なオマケもついてきたわけだが。
ミニカーと事故車。
二台の車と昨日の半額シールが私の脳内でぼんやりと紐づき、胸中に不快なもやが広がる。
あのシールはおそらく、少年が藁にも縋る思いで貼り付けたものだろう。
もしもシールを剥がさなければ、必要な捧げ物は半分で済んだだろうか?
例えば今日お地蔵さんが少年に要求したものは?
さっさと家に帰ろうと思った私は、少年の無事を祈って手を合わせようかと一瞬考えるが、すぐやめにする。
無垢な祈りにせよ何にせよ、何かを求めるのなら相応の代償を支払う必要がある。