忠犬と呼ばれた犬
その犬はいつも門の傍でご主人の帰りを待っていた。時に夜、時に日をまたぎ夜明けになろうとも、不動の姿勢で大好きなご主人を待ち続けた。
「──ワン! ワンワン!!」
「すまない、遅くなった」
ご主人は帰ると必ず彼の頭を撫でた。
彼も、頭を撫でられるのを楽しみにしていた。
「行ってくるよ」
「……ワン!」
彼は、ご主人が出掛ける時も見送りをした。
雨の日も晴れの日も、ご主人を見送り、待ち続けた。
ある日、ご主人が朝になろうとも帰らない日があった。
彼は、それでも待ち続けた。
昼になり、近所の老人が可哀想にと食べ物をあげたが、彼は賢い犬だった為、他人から貰った食べ物に口をつける事はしなかった。
「なんだべ、煎餅は嫌いかえ?」
道すがる人々が、これならばと次々に食べ物を彼へと与えた。しかし、彼は決して口にしなかった。
二日経ち、三日過ぎてもご主人は帰ってこなかった。
何も口にしていない彼は次第に痩せ細り、首輪が外れてしまった。
それでも彼が門の傍から離れる事は無かった。
カラスが群がる食べ物の山をかき分け、近所の老人が五日ぶりに彼を見ると、彼は門の傍に横たわり、かすかな返事だけをするのがやっと状態だった。
「ハチ!?」
すぐに救急車が呼ばれた。
「五十代男性、意識レベル2-30、極度の栄養失調と脱水。すぐに搬送します!」
彼と病院へ運ばれた。
その時体重は五十キロを切っており、ブリーフは半分ずり下る程に痩せてしまい、頭皮が著しく露出していた。
「……あっ」
「目が覚めましたか? 名前は言えますか?」
彼は目が覚めると、点滴を外した。
「何をするんです!?」
「帰ります。ご主人様の帰りを待たないと」
「死んでしまいますよ!?」
「……良いんです。私がそうしたいのですから」
彼はよろよろのまま、病院の外へ出た。
すると、彼の前に胴長のリムジンが止まった。
「社長!! やっと見つけましたよ! 今すぐ帰りましょう! 会社が大変な事になってるんですから……!!」
「専務が居るだろう」
「その専務が横領騒ぎで五日前から姿をくらましているんですよ! お陰で関係先との支払いやら取引やらの修復に現場が駆けずり回っているんですから……!!」
「……なん、だと!?」
彼は迷った。葛藤した。
今すぐ帰らねば会社は大変な事に。
しかしここで帰れば犬としての生を放棄する事に。勿論ご主人との関係もコレっきりだ。
彼は迷い、葛藤した。
「……くっ!!」
そして胴長のリムジンに乗り、会社へと向かった。
勿論、ブリーフは交換した。
「「──社長……!!」」
「すまない。後は任せてくれ」
スーツに着替え、社長としての顔をした彼が出社すると、社内は混乱の極みに陥っていた。
「まずば現場へ行こう」
取引先との最前線へ向かうと、電話応対に右往左往するご主人が居た。
「……同じ会社の人間だったのか」
彼はすぐに納得した。
ご主人は騒ぎの火消しの為に、帰れなくなっていたのだと。
彼はすぐにご主人へと駆け寄った。
そして、ご主人の肩へと手を置き、電話を代わるようにジェスチャーした。
「ワン」
電話を代わった彼は、開口一番に失言をかました。
まだクセが抜けきっていなかったのだ。
「誰あれ?」
「社長だって」
「……マジ?」
「マジ」
ご主人は社長の顔を知らなかった。
「あー、久々に帰れる」
「ワンワン!! ワン!!」
久方振りのご帰宅に、彼は大きく尻尾を振った。
「あ、ヤバ……ポチの事忘れてたわ」
「ワンワン!!」
「痩せ過ぎてブリーフめっちゃ下がってるし……立つなって。見えちゃうから」
「ワンワンワンワンワンワンワンワン!!!!」
頭を撫でられ、彼は喜びの声を上げた。