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雨と傘とこいつ

作者: 白浜ましろ


 コンビニから出てきた水無みずなしは、ざあという音を聞き留めて、弾かれたように空を振り仰いだ。

 言葉が詰まって出て来ない。


「なんてこったパンナコッタ……」


 そして出てきたのが、そんなしょうもないこと。

 思わず呟くも、それはざあという雨音に呑まれて消える。

 唖然とした面持ちでしばし彼女は空を仰いでいたが、やがて、はあと嘆息をひとつして項垂れた。


「……うちの手にあるのは、ほかほかに温めてもらったチーズドリアとサラダとカフェラテ――」


 と、水無は自分が手にするレジ袋の口を広げ、その中身をしげしげと見下ろす。

 が。


「……だけかぁー……」


 この中に雨を凌げるスーパーアイテムはなかった。


「……おのれぇ」


 低く呻く。まるで恨み言のようなそれで、ほんの数十分前の自分を呪った。

 コンビニに昼食を買いに行こうと家を出る際に、どんよりと重たい雲を見上げていたのに。

 それはもう、しっかりと。

 なのに、なのにだ。


 ――まあ、だいじょーぶっしょ


 と気楽に考えて、財布と鍵だけ引っ掴んで飛び出してきた。

 その結果がこれだ。

 もう一度空を見上げるも、相変わらずにざあと勢いよく水を落としている。

 どうしようかなあ。ちらと肩越しに振り返る。

 ここはコンビニの前だ。ビニール傘を買って来ようか。

 でも、結局そのあとにビニール傘を使うことはない気がする。

 そうすると勿体ないよなあ。


「……けどなぁ」


 今度は己の手を見下ろす。

 手にしているレジ袋はひとつだ。

 つまり、温めてもらったチーズドリアと同じレジ袋に、サラダと冷え冷えのカフェラテは同居している。

 これはいけない。早く帰って別居していただかなければ。

 空を睨む。が、雨足が弱まる気配はない。

 だが、ビニール傘を買うのは何だか勿体ない。

 ならば残された道はただ一つ。

 幸いに家へはそれ程遠くはないし。


「突撃あるのみ」


 ぐっと手を握った水無が、水が降り落ちる世界へ飛び出そうと足を一歩踏み出した時。


「――水無?」


 ひとつの声が彼女をその場に留まらせた。

 反射的に振り返る。

 閉まるコンビニの自動ドアを背景に、こちらを見やる男子の姿に覚えがあった。

 そう、彼は中学時代に意気投合した同級生。

 好きなゲームの話で盛り上がり、それ以降はよく、通信してみたりと仲良くしていた。

 それが高校に入学してからはすっかりと会わなくなってしまい、それなりに経つ。

 理由は簡単。高校に入学して、別のクラスになったから。

 クラスが違えば、たったそれだけなのに、途端に会わなくなるもんだなあと思っていた。

 その、彼である。


桐谷きりや……?」


 おそるおそる訊ねる水無に、桐谷は屈託のない笑顔を向ける。


「やっぱ水無だった。おもしろ」


「……おもしろくないし、つーか笑うなし」


「いや、無理でしょ。あんな百面相ひゃくめんそーもどき」


「そんなことしてないしぃー」


 いや、充分に心当たりがあった。

 相変わらずだなあと肩を揺らして、くつくつと喉奥で笑う桐谷をねめつけて。

 水無は誤魔化すように軽く彼の足へ蹴りを入れるフリをする。


「ちょ、やめろ。濡れるじゃん」


 案の定桐谷の服裾には、水無の靴から飛んだ雨水がまだら模様をつくっていた。


「別にいーじゃん。ジャージくらい」


 桐谷は上下黒のジャージ姿。

 汚れたって別に構わないだろう。

 そう思ったら、水無の悪戯心に火がついた。

 にやりと笑うと、えいやっ、と再び彼女が靴を蹴り上げる。

 彼女が靴を蹴り上げる度、雨水が桐谷に襲いかかった。

 これには桐谷も慌てる。


「マジでやめろよ、水無。替えのジャージねーの、これだけなの」


 そこに真剣な響きを感じ取って、さすがの水無も動きをとめた。

 ジャージはまだら模様を通り越して、濃い黒の色になっている。

 瞬間、ちょっぴりの罪悪感に苛まれる。が、ふとそれに思い至って目を瞬いた。


「いや、ジャージ買えよ」


 思わず桐谷の顔を見上げると。


「まあ、そーなんだけど……」


 ばつが悪そうに彼は笑った。

 出かけんのめんどうで。と。


「今度買えや」


「そーする」


「てか、学校のジャージでよくね?」


「あれはダサい」


「それな」


 それから、二人で笑った。




   *




「んで? 水無はなに一人で百面相ひょくめんそーもどきしてたん」


 桐谷の改めての問いに、水無がはっとした。

 そうだ、そうだった。

 かばと己の手元を見下ろす。

 レジ袋に手を突っ込んでカフェラテを掴んで。


「あぁー……、やっぱカフェヌクになってるしぃー……」


 すっかり温まってしまったカフェラテに落胆した。

 が、すぐに水無の瞳に気力が戻る。


「まだほんのりと冷たさが残ってるし……望みはある……」


「いや、それって普通はさ、『まだほんのりとぬくもりが残ってる』的な使い方じゃね?」


 水無が桐谷の声に顔を上げれば、また彼が肩を揺らしながら、くつくつと喉奥で笑っていた。


 ――あ、またこの笑いだ……


 何だか桐谷らしくていい。


「んー? どーかした?」


 じいと桐谷を見上げていた水無は、はっと我に返って慌てて顔を逸した。


「な、なんでないしっ……!」


「ふーん……」


 桐谷の声尻の調子が上がり、彼の瞳に愉しげな色が浮かぶ。


「……おもしろ」


 ぽつりと言葉を落とす。

 だが、水無の耳にその声が届いた様子はない。

 それがまた愉しく、桐谷はまたもや肩を揺らして笑った。

 ふふっと笑うそんな彼の声を聞き留め、水無が顔を上げた。


「なに」


 と、不機嫌そうな顔で。


「いや、それであの百面相ひゃくめんそーもどきだったんかと思ってさ」


「……まあ、そんなとこ――てか、どこからっつーか、いつから見てたんっ?!」


「んー、あそこから」


 桐谷がくいっと背後を親指で指し示した。

 それを水無が追うと、コンビニの中の雑誌コーナーが見えた。

 壁がガラス張りになっているから、つまりは中から外が丸見えということだ。


「――っ!」


 羞恥が駆け上がる。

 頬に熱が灯った気がした。


「もお、帰るっ!」


 勢いのままに身を翻し、未だ衰える気配のない雨の中へと水無は駆け出そうとした。

 けれども、そんな彼女の肩を桐谷が掴む。


「ちょっと待ち、水無」


 とんっ。体が跳ね上がった。

 瞬間、水無の体が硬直する。

 思わず振り返りざまにその手を振り払う。

 が。


「おっと」


 ひょいと桐谷が先に手を上げてかわされた。

 それが何だか水無の気に障り、彼女の眉間にしわが刻まれた。


「――おもしろ」


 ふふっと小さく鼻で桐谷が笑ったかと思えば、彼は水無に背を向けて。


「ちょっと待ってて」


 と言い残して、コンビニの中へと戻って行ってしまった。


「……なんか、ムカつくんだけど」


 水無の不機嫌そうな声は、ざあという雨音に呑まれていった。




   *




「ほれ」


 コンビニからビニール傘を手に戻ってきた桐谷は水無を促す。

 雨の中で、傘をさして。

 それに対して彼女は。


「はあ?」


 まるで意味がわからないとでもいうように、困惑と戸惑いが多分に含まれた声を上げた。


「だから、送ってくってこと。入れや」


「どこに」


「ここ」


 ここ、と。桐谷が示したのは彼の隣。

 つまり、こいつは相合傘をしろと言うのか。

 のろのろと水無は桐谷を見上げ、目を瞬かせる。

 だが、瞬いても見える光景は変わらなかった。

 雨の中、傘をさす桐谷。という光景は。


「ん?」


 視線を感じたのか、桐谷が不思議そうに首を傾げた。

 けれども、水無はそんな彼の様子には気付かない。

 そういえば、いつの間に自分は彼を見上げるようになったのか。

 それは一体いつ頃から。


 ――てか、背が高くない……?


 そんな当たり前のことに、今更ながら水無は気付く。


「んんっ。水無、はいんねーの?」


 と、そこへ咳払いが聞こえて。

 急に彼から声をかけれたから、きゅっとどこかが狭まった気がして、彼女は息を詰まらせた。


「――っ! はいんねーしっ!」


 反射的に叫ぶ。


「んじゃ、濡れてかえんの?」


「……もともと、そのつもりだったし」


「意地張んなよ」


 ほれ、と。

 桐谷は促すと同時に、自身がさす傘も傾ける。

 ちょうど傘の下に二人が入れる感じに。

 水無の目に、桐谷の隣に一人分の空間が見えて。

 刹那。せり上がってきた熱が瞬時に頬へ集まり、体に緊張が走って強張る。


「――っ」


 弾かれたように、水無はぐるんっと桐谷に背を向けて叫んだ。


「うちも傘買ってくるっ!!」


 ばっと飛び込むような勢いは、まるで危機迫っているようで。

 コンビニへ駆け込んで行った彼女の背を。


 ――水無の反応、何か楽しいんだよなあ


 桐谷は肩を揺らしてくつくつと喉奥で笑いながら見送った。


「おもしろ」






 その後、水無と桐谷はそれぞれ傘をさし、二人並んで歩いた。

 互いに傘をさしているため、それ以上は近付くことはないし、近づけない。

 その距離感が、水無にはちょうど良かった。

 同時に心地も良くて、そして、ちょっぴりそわそわした。

 ただ。そのあと彼女は、なぜか桐谷と彼のジャージを買いに行く約束をさせられて。

 約束の日が近付くにつれて増す緊張と不安。

 そして、ちょっぴりの期待に、落ち着かない日々を過ごすことになる――。

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