ドーナッツ!
私には、とても大切な物がある。命に変えても大切な物。
それは、ドーナッツだ。
「チアキ、早くドーナツ選ばないと席無くなっちゃうよ」
「ゴマちゃん、先に取っておいて」
今日もトングでガチャガチャと威嚇しながら、私はドーナッツを選ぶ。選ぶ時が肝心なのだ。ここを疎かにしてしまえば、私の今日の一日が台無しになってしまうのだから。
今日は、特にいい日ではなかった。けど、特に悪い日でもない。なんて事ない毎日の一日に相応しい日だったから。出来れば、最後迄平々凡々。hey! ボンボン!! で在りたい。そう思うのが女子高生の常だろう。
明日からはテストの返しが始まるんだから。今日ぐらいは穏やかであって欲しいのだ。
「イチゴチョコレート……。こっちの形の方が、かかりかたが綺麗だよね。でも、赤い粒々が偏ってる。こっちのは、ドーナッツの形が駄目。こっちは、ドーナッツの色がダメ……」
ブツブツと独り言に取り憑かれながらの品定め。初めて私を見るお客さんは異物を見る目だが、定員さんとよく居るお客さん達は慣れた物だと私の事を気にしない。悪癖と呼ばれてもいい。笑うのも、気味が悪いと思われるのも構わない。それぐらい、私に取ってドーナッツとは精神を研ぎ澄まして選ぶ物なのだ。
「これ、かなぁ……」
開始五分。ようやく選んだドーナッツは、正にドーナッツと呼ぶに相応しい形に香りにいちごチョコレートのかけ方をしていた、ドーナッツの王様だった。
となれば、私も嬉しいが、そんなものは中々お目にかかれない。
比較的、ドーナッツがドーナッツに近い。それだけである。
味は最高。そんな事は分かっているが、私が求めるのは形なのだ。いかに美しいドーナッツを選ぶか。それが大切。それが命綱。
けど、今日のドーナッツはそうではない。渋々選んだドーナッツをトレイに乗せて、飲み物を頼んで、一緒に来ているゴマちゃんが取ってくれた席に座る。
「ありゃ。今日のドーナツは駄目だったか」
戯けた彼女の声が、私の頬を膨らます。
「そー。だめな日だった」
私はドーナッツには手を伸ばさず、一緒にトレイに載っているアイスココアに手を伸ばした。
「そんなドーナツの形が大事?」
「滅茶苦茶大事っ! 多分人生で一番大事なのっ!」
呆れる彼女を他所に、私はガッカリとした表情を隠さずにストローを口に含んだ。甘い甘いココアが冷たさと一緒に口の中に広がっていく。
「そんな人間、初めて見るよ。チアキだけだよね?」
「誰だって、綺麗な物を眺めたいと思うでしょ?」
「そうかもしんないけどさ、ドーナツは別にだね」
「ゴマちゃんにはこの微妙な乙女心わかんないかぁ」
「微妙過ぎるんだよ、チアキは」
そう言って、ゴマちゃんはいつも飲んでるカフェオレを啜る。
「明日からテスト返ってくるって言うのに、ついてないかも」
「前から思ってたんだけど、テスト当日の星座の運勢が一位の方がいいのか、テストが返ってくる日に星座の運勢が一位の方がいいのか、どっちがいいんだろうね?」
「えー。私は帰ってくる日の方がいいと思う。テスト当日最下位でも、テスト返ってくる日に一位なら意外に出来たって奴じゃない?」
「テスト当日が駄目でも?」
「駄目でも。一点でも多い方がいいでしょ?」
「一点ぐらいなら変わらなくない?」
「変わるって。ゴマちゃん今回自信ない教科なに?」
「世界史と英語」
「私、数学と英語」
「赤点被るの英語だけかぁ」
「そう言って、チアキはなんだかんだで赤点にならないんだよね」
「そんな事ないし」
真っ黒なゴマちゃんの短い髪が、店内に入ってくる風に揺れる。
ゴマちゃんは高校に入ってから仲良くなった友達だ。ボーイッシュな所もあるけど、明るくて可愛い女の子。私と良く、学校の帰り道にこのドーナッツ屋さんでバスの時間迄二人で話しては帰っていく。
多分、学校では一番私が彼女と仲が良いだろう。
「チアキはさ、彼氏とか作らないの?」
「えー? 何? 突然。ゴマちゃん出来ちゃった?」
「まさか。でも、しょーことか、いるじゃん?」
「いるね。休み時間の度、彼氏来てるよね」
「周りの子もさ、バイト先で見つけたとか言うじゃん。チアキも彼氏できたら、このドーナツ屋さんで二人で時間潰すのも無くなるのかなぁって」
「あははは。そんな事心配してんの? それよりもテストの結果の方が私は心配なんだけど」
「それはアタシもだ。チアキ好きな人いないの?」
「居るよー」
私の言葉に猫の様に目を見開いて驚くゴマちゃんの顔が少し面白い。
「え! 知らない! 同じクラスの人!?」
「かもー」
「かもー、って何? 何で教えてくれなかったの!? 中学から!?」
「うんん。高校に入って一目惚れ」
「一目惚れ!? えー。ショックかも。全然知らないんだけど。どんな人!?」
「ゴマちゃんぐらいの髪の長さでね、滅茶苦茶カッコいいの! 彼の事、何も知らないんだけど、多分カフェオレが好きなんだと思う。いつも飲んでるし」
「えー。誰々? 何で教えてくれなかったの?」
「別に好きだけど、付き合いたいとかはないからなぁ。見てるだけで十分幸せなの。あ、他の子に言わないでよ? ゴマちゃんだから教えたんだから」
「言わないって。乙女じゃん!」
「うん。乙女でしょ? ドーナッツと一緒!」
そう言って、私は選び抜いたドーナツを持つと、ドーナッツの穴からゴマちゃんを見る。
「あっ!」
「え? 何?」
「ヤバい。今日の、私運いいかも」
「突然どうした? ドーナツ占いでもしてんの?」
「最高のドーナッツだったみたい!」
噛み合わない会話に、ゴマちゃんは首を傾げる。
そうだね。噛み合わないかも。私達が見えている風景は、違うんだもん。
私には、生まれた時から不思議な力が一つある。凄くしょうもない力なんだけど、今はそれが私に取っては命にも変えがたい大切な力なのだ。
それは、最高のドーナッツの穴から目を覗かせると、その人の本当の姿が見える力。
最高のドーナッツって何だ? って思うけど、それ以外は言いようがない。作った人が今日最高の出来だ! と、思ったドーナッツとか、見た人がこのドーナッツは最高に美しいと思えば、最高のドーナッツになるのだ。どうやら今日のドーナッツは最高のドーナッツだったらしい。
「ちょっと、チアキ。意味わかんないよ?」
ドーナッツの向こう側に映るゴマちゃんは、短い青色の髪を揺らし、人よりも少し長い耳をピコピコしながら、オデコには小さい小さなツノが二本。前髪の間から見えている。男の子みたいな着物っぽい服を着て、恐らく好きなのであろうカフェオレを飲んでいた。
多分、ゴマちゃんは人間じゃない。
鬼か何かなんだろうなって思う。
ドーナッツを通して見る世界では、人間も人間じゃない人も沢山いて、人間みたいに暮らしてる。恐らく、ゴマちゃんもその一人なんだけど、私は今日も知らないふり。
「今さ、好きな人が近くにいたんだよね」
「えっ!? 何処何処?」
「見えたの運いいよねー。明日のテスト、きっと点数いいよ? 私」
「それより、何処? もう行っちゃった? どんな人? ヒント頂戴よ!」
「だから言ったじゃん? ゴマちゃんぐらいの髪の長さで、多分カフェオレが好きな人だってば」
だって、私はゴマちゃんの本当の姿が大好きだもん。
本当は男の子って、知ってるよ。
本当は人間じゃないって、知ってるよ。
長いお耳、可愛いね。
小さなツノも、素敵だね。
全部大好き。
「もう、いい加減教えても良くない?」
そうゴマちゃんが不貞腐れるが……。
「ダメーっ!」
言えないものは、言えないなぁ。
だって、ゴマちゃん、本当は私知ってるんだよって言ったら、近くにいてくれなくなるんでしょ?
知ってるよ。そう言うお話、沢山読んだもん。
だからね、もう少し、近くで見てたいもん。
これはドーナッツと私だけの秘密なんですっ!
完