犬を拾ってポチと名付けた。
肌寒さが残る関西の片田舎の山中、天候は晴れ。廃家電を大量に積み込んだ白い軽トラックを、左右に揺らしながら走らせる。
山の中腹につくと、細い脇道へとハンドルを切り、更に走らせること数分。急に道が開けて、砂利の中に乗り捨てられたトラクターや建築資材が山のように積み上げられた広場に出る。
既に通いなれたこの場所で、広場の片隅へとトラックを向かわせる。
そして、いつものように駐車し、廃家電を降ろそうと車から出ると・・・
「ひ・・・ひやぁぁぁぁ!!」
敷地内に叫び声が響き渡る。裏返った男の声。
ここにはもう何度も来ているが、これまで誰かと遭遇した経験は一度もない。ましてや、叫び声が響くことなど。
全身が緊張感で包まれて、その後に起こるであろう何かに備えるようにして、体を縮こませて身構える。
しかし、何も起こらない。叫び声が上がったのも一瞬だけで、その後は再び静寂に包まれた。何なら、周囲を取り囲む森の中から鳥のさえずりが聞こえてきそうだ。
どれくらい時間が経過したのか。
俺は、声がした方へと恐る恐る近づいていった。
そこは、木材が山と積み上げられていた。その山の脇を通り抜けると、
ドクン
鼓動が早まり、喉が渇く。男が一人、仰向けに倒れていた。
俺は、そっと男の元へと近づき、様子を観察した。別に血だまりの中にいるわけでもなく、ケガをしているようには見えない。胸も上下に動いている。良かった。死んではいないみたいだ。
「おい・・・ちょっと、あんた。」
そっと声を掛けてみる。反応はない。
「もしもし・・・。大丈夫ですか!?」
今度は少し大きめに声を出しながら、肩を軽く揺すってみる。
「ん・・・・・うぅ・・・・」
呻き声を上げながら、男はゆっくりと目を開けた。まだ意識は覚醒していないようだ。
「もしもし、大丈夫ですか。何かあったんですか。」
「何か・・・って・・・。は・・・はぁ!!」
男はいきなりカッと目を見開くと、顔を恐怖で引き攣らせながら上体を起こした。
そして、
「ば・・・化け物!化け物―――――――!!!」
と叫びながら、俺を押しのけ、足を絡ませながらその場から走り去っていった。
一瞬の出来事に、呆気にとられる。
「びっくりした~。何だ、あいつ。化物って、なんのことだ?」
俺は立ち上がり、周囲を見回した。すると、男が倒れていた場所から10メートルほどの場所に、何かが転がっている。子犬だ。さっきは、男に気を取られていて気が付かなった。
近づいてみると、その無残な姿に言葉を失った。
子犬は、茶色の柴犬だったが、前足と後足、どちらも針金で縛られて血が滲み出ていた。体毛でよくは分からなかったが、おそらくは殴られたであろう跡が全身にあった。
「おい、ワンころ!」
軽く突いてみると、僅かながら反応があった。良かった。生きている。
「ワンころ、頑張れ!直ぐに病院に連れて行ってやるからな!!」
俺は、ワンころをそっと抱き上げると急いで車へと戻った。そして、助手席にワンころを寝かせると、荷台に廃家電を積んだまま、つい今しがた走ってきた山道を猛スピードで逆走する。
軽トラには「ナビゲーション」などという今どきあって当たり前の機械もついていないので、スマホに語り掛ける。
「オッケーグーグル。近くの動物病院までナビして。」
スマホの画面が立ち上がり、画面にマップを表示する。検索結果は2件。
「モクテキチヲタップシテクダサイ」
合成された音声で目的地を求めてくる。俺は、左手親指で押しやすい方の病院をタップした。
「モクテキチマデオヨソ20フンデス」
20分か。ワンころ、死ぬなよ。
俺は、アクセルを更に強く踏み込んだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
井上動物病院は、山の麓から約10分、川沿いの場所にあった。
こんな場所の病院に客がやってくるのか?という疑問は一先ず置いておく。時刻はまだ午前9時半。5台分の駐車場にはまだ一台も停まっていない。良かった、すぐに診てもらえそうだ。
ワンころを抱える腕は繊細に、足は迅速に動かして院内へと駆け込む。
「すみません、この子、今すぐ診て下さい。」
まだ開院準備中だったのか、白い医療着の女性スタッフが奥から出てきた。
「申し訳ありません。まだ時間前ですので、少しお待ち頂いて・・・」
そう告げる途中、ワンころの姿が目に入ったようで、女性の顔色が変わった。
「あ、ちょっとお待ち下さい。先生を呼んできます。」
慌てて奥へと引き返す。そして、1分も経たないうちに先生が出てきた。シワシワのお爺ちゃん先生が出てくるかと心配だったが、見た目40歳前後の頼れる感じの先生だった。
「こりゃ酷い。すぐ中へ。」
ワンころを一目見るなり、先生は険しい顔をしながら俺を診察室へと手招きした。
「お願いします!」
「えっと、あなたは飼い主さんでは・・・ないですよね?」
ワンころを診察台に置くと、先生が確認してきた。
「あ、はい。違います。ケガをしているこの子を拾ったんです。」
「分かりました。取り合えず、治療をしないと。どれくらい時間が掛かるかは分かりませんが、こちらで待たれますか?」
「あ・・・と、そうですね・・・」
軽トラに積んだ廃家電の映像と共に、社長の顔が脳裏を過った。
「スミマセンけど、仕事が残っているので片づけてきていいでしょうか。終わればまた直ぐに戻ってきますんで。」
「ええ、大丈夫ですよ。」
「スミマセン。じゃあ、この子お願いします。」
俺はそう言うと、慌てて病院をとび出した。
軽トラを先ほどの資材置場へと走らせながら、社長へと電話をする。
ワンコールで出た。
「社長、スミマセン。伊藤です。」
「おう、何やどないした。もう帰ってきよるんか?」
「いえ、それがまだ終わっていませんで・・・。」
「ああ!?何しとんやお前。サボっとるんちゃうやろな!!」
予想通りの怒声に、スマホを耳から遠ざける。
「いや、違うんですよ。廃棄しようと行ったら、資材場に人がおったんですよ。しかも、何か奇声を上げてて揉めてるような雰囲気でして。」
うん。これはウソではない。
「あ、ほんまかいな?ケンカでもしとったんか?」
「いや、それは分からないです。ヤバイと思って、直ぐに離れたんで。で、もうほとぼりが冷めたかなと思って、今現場に戻ってるところです。」
これは、ウソ。さて、社長の反応はどうだ?
「はーん。まあ、あそこやったらそういうこともあるかもな。まあしゃーないか。おう、戻るんはええけど、もしまだ人がおったら無茶すんなよ。事件とかに巻き込まれても面白くないしな。最悪、一度荷物持って帰ってきてもええわ。」
「はい、分かりました。」
良かった、ウソが通じた。それどころが心配までされてしまった。
まあ、こっちも法に抵触する行為をしようとしてるのだから、用心深くなるのは当然なのだが。
資材置場で廃家電を軽トラから降ろすと、俺は井上動物病院へと踵を返した。
☆☆☆☆☆☆☆☆
病院に戻ると、駐車場には車が三台停まっており、待合室では飼い主が犬やら猫やらのペットと一緒に待機していた。
「あ、どうぞ。入って下さい。」
院内に入ると同時、スタッフに診察室へと促された。待機中の飼い主さんたちの視線を感じながら部屋へと移動する。
診察台には、治療を施されて包帯を巻かれた状態のワンころが横たえられていた。
「先生、この子どうやったんですか?」
「そうですね。検査したところ、幸いにも骨折はしていませんでしたが、全身打撲の状態です。あとは、ワイヤーで縛られていたので四肢が擦過傷を負っていましたが、こちらも思ったよりも重傷というほどではなかったので、今のところ命の心配はないです。」
「そうですか。良かったです。」
俺は、ホッと胸を撫でおろした。
「ただ、かなり衰弱はしています。暫く様子を見て、出来れば今日一日は入院させた方がいいかと思います。」
「そうなんですね。えっと・・・治療費とかはどれくらいで・・・」
「今日の検査・治療費で大体2万円です。プラス、入院すれば一泊3,000円になります。」
「あ、なるほど。」
頭の中で電卓を弾く。今月の水道光熱費、給料日までの残り日数、一日あたりの食費代、銀行の残高。2万円超の出費は正直言ってかなりきつい。既に受けた診療分は仕方がないとしても、出来れば入院費は免れたい。
「分かりました。それじゃあ、今日の夕方までお願いできますか。仕事が終われば引き取りにきますので。」
「この子、飼われるんですか?」
「正式に飼うかどうかはまだ分かりませんが、拾ったのは私ですし、当分は面倒をみようと思います。」
「そうですか。それでは、夕方までお預かりします。」
「お願いします。仕事が溜まってますんで、失礼します。」
俺はワンころを病院に託すと、急いで事務所へと戻った。社長は俺の説明に何の疑問も抱かなかったようで、遅れたことに関して特に何も言われることはなかった。
ただ、説教がなかったとしても、仕事の量が減ったわけではない。俺は午前の遅れを取り戻すべく、午後から獅子奮迅の働きぶりをみせた。
それでも、仕事が終わって病院にワンころを迎えに行くころには8時を回っており、病院スタッフに遅くなったことを平謝りして会計を済また。
ちなみに、治療費以外にもワンころ用のペットフードやらトイレシートなど必要最低限の物資を購入したので、結局3万円ほどかかってしまった。これで、当分の間は白飯に納豆だけで決まりだ。
アパートに帰りついてみると9時を回っていた。
地元沿線の無人駅近く、敷金礼金無、家賃1万8千円、築30年超のワンルームマンションが俺の城だ。
確かペット禁止だったような気もするが、別に気にしない。このマンションには、規約なんてものは無いも同然だ。俺は部屋の隅にワンころのスペースを作り、そこに寝かせてやった。
そこで漸く一息つき、改めて思う。
えらい拾い物をしてしまった。
と。連れてきたはいいが、日中の世話はどうするのか。アパートで放っておくのか、職場に連れて行くのか。ケガが完治したとして、その後もずっと飼い続けるのか、里親を見つけるのか。
冷静になると、厄介ごとを抱えてしまったなと思う。
しかし・・・
包帯に巻かれて横になっているワンころを見ていると、心から「良かった」と思えた。
ワンころに力がかからないよう、人差し指でそっと撫でる。
「おい、折角助けたんだ。早くよくなれよ。」
小声で話しかける。
「そうだ。当分の間はここで暮らすんだから、名前をつけてやらんとな。ワンころでいい気もするが、ちょっとな。お前も、ワンころが名前なんて嫌だろ。そうだな~、どうしようかな~。」
俺は暫くブツブツと呟き、試行錯誤した。
そして、
「よし。やっぱり、犬の名前はポチだろ。色々こねくり回しても仕方ないしな。決まり。お前の名前はポチだ。宜しくな、ポチ。」
そう、ポチに語りかけた瞬間だった。
・・・・・・ポゥ・・・・・
ポチの体が、うっすらと発光した・・・ような気がした。
目の錯覚か?
疲れが溜まっているのかと思い、右てで目をこすり、頭を振る。もう一度ポチを見ると、特に変化はない。いや、あった。
ポチの目が開いている。
「ポチ!良かった、気が付いた。えっと、どうしたらええんかな。水、水飲むか?」
俺が慌てて飲み水を用意しようと立ち上がると・・・
「お前・・・誰だ・・・」
俺とポチしかいないはずの部屋で、誰かの声が聞こえた。