第八話 ~幸鳥の話も、よく分からないよ~
僕が千鶴との電話に後。お風呂に入り終わり、髪を乾かし、学校貰った宿題をしていた時。
ピンポーンっと家の中に鳴り響く音が聞こえた。
きっと、生徒会の仕事を終わらせた千鶴が来たのだろう。
玄関の扉は家にいる家政婦が開けてくれるだろう。その間にもう少しで終わる宿題を千鶴が部屋に来る前に終わらせておこう。
宿題とはいえ、千鶴の嫉妬を駆り立てるには十分だ。
きっと、千鶴がいる中で宿題をしたら、拗ね、あらゆる手を使って勉強机にさえ座らせてもらえなくなるだろう。
流石にそれは勘弁してもらいたい。
そんな事を考えている内にもう終わりそうだ。
千鶴も家政婦の長い話から解放されて、僕の部屋に向かっているだろう。
そうこうしている内に、スリッパでパタパタと歩く音が聞こえてきた。
「こーとーりー!」
扉が開くと同時に疲労が見える声で千鶴が僕の名前を呼ぶ。
「はーい。いらっしゃい、千鶴」
返事をしながら、やり終えた宿題を片付ける。
千鶴はバサッ!と倒れながら僕のベッドに横たわる。
「はぁああ! 疲れたぁ! 生徒会の仕事で面倒臭いことばっかやらされて、挙句の果てにはおばさんのどーでもいい話をされる。もうっ、いい加減にしてよね!!」
疲れている筈なのに、手足をばたつかせて自分の不満さを表す。
僕は椅子にもたれかかりながら、千鶴の方を見る。
「家政婦さんの千代子さんをおばさんなんて言わないの。まだあの人、三十後半か四十だよ」
「その歳なら十分おばさんだよ! ていうかなにあの人。幸鳥の話をするならまだしも、永遠と自分の話しかしないじゃん!」
「あはは……」
僕は苦笑を浮かべる。
確かに千代子さんはそういう所があるかもしれない。でも、僕からしたら話し掛けられること自体が羨ましいけどな。
「もーいいや! 幸鳥、早く来て」
千鶴は自分の隣をパタパタと手で叩き、ここに来てと僕に促す。
僕は椅子から立ち上がり、千鶴の所まで行く。
千鶴の言う通り、千鶴の隣に横たわると千鶴は僕に抱きついてきた。
「はぁ……。やっぱり、幸鳥の匂いが一番……ううん。一番じゃなくて唯一安心する」
そう言いながら、僕の体に顔を埋める千鶴の頭を撫でる。
触り心地の良い、よく手入れされている髪を指で梳かしながら撫でていると、僕の背中に回している千鶴は手が僕は背中が叩く。
「ん? どうしたの、千鶴」
いつもならすぐにでも寝息を立てる千鶴が僕の胸から離れる。
「今日、話があるって言ったでしょ」
でも、眠たそうに目を擦り、欠伸をする千鶴はムクリと起き上がる。
僕も起き上がり、千鶴の話を聞く。
「進路希望調査の紙、貰ったよね」
「うん、貰ったよ」
こくり、こくりと頭を上げては落とす千鶴に笑いそうになるのを抑えながら答える。
あの電話を受けてから、捨てようとしていた紙を皺を伸ばしながら、机の引き出しにしまった。
その事がどうしたのかと、疑問に思っていると千鶴はすぐに答えてくれた。
「なら良かった。その紙の第一希望、木五倍子学園にして」
キブシ……? 聞き慣れない名前に頭が? を浮かべるが、すぐに該当する学校が思いついた。
木五倍子学園。
なかなか見掛けない漢字の列びをするこの学園はいわゆるお坊っちゃん学園だ。
裕福な家庭の御曹司等が多く通う全寮制の学園で、清く正しく美しく、人の上に立つ子を育て上げるという教育方針だ。
難問校で、入学できるのはひと握りの優秀な人だけだ。金を積んでも、受け入れない清い学園だと噂だ。
普通の家庭の子も優秀であれば、学費免除で入れるそうだが、普通よりも更に狭き門だとか。
入学出来ても、在学中学位ランキングで上位をキープしていないと即刻退学らしい。
そんな学園を何故、千鶴は選ぶのだろうか。
手を出してきた千鶴に僕は引き出しにしまっていた進路希望の紙とペンに差し出す。
千鶴はその紙を取って、近くにあるテーブルで木五倍子学園の名前を書き始めた。
別に第一希望を木五倍子でも僕は構わないが、千鶴がどうしてそこを選んだのか知りたかった。
「ねぇ、なんで木五倍子なの?」
「んー……。ちょっと幸鳥にサプライズをしたいから、かな」
「なにそれ」
千鶴の謎の言葉に頭を傾げる。その様子を見た千鶴はクスクスと笑いながら言った。
「入学したら、すぐに分かるよ。ふふっ、入学するのが楽しみだな」
「まだ受験もしてないのに……気が早いよ」
「えー? 大丈夫だよ。僕も幸鳥も入学出来るよ。そのぐらい僕らは頭が良いんだから」
「そう言って油断して、落ちないようにね」
僕が近くにあった小説を開き、斜め読みしながら言うと千鶴はまた笑う。
「落ちないよ。…………勿体ないじゃないか、幸鳥の絶望した顔を見れないなんて」
「んー? 何か言った?」
千鶴は落ちないよっと言った後に何か言った気がしたが、よく聞き取れなかった。
「なんでもないよ! 気にしないで」
そう言って、進路希望を書き終えた千鶴は僕の隣に座り、僕が読んでいる小説を覗き込んだ。
「何のお話?」
「恋愛小説で二人は想い合ってるはずなのに、片方が余命宣告されて、お互いに想いを告げずに二人で旅に出るお話」
「ふーん。結末は? 最後まで見たんでしょ?」
「気になるなら読んでみなよ。人に聞かずにさ。人から言われても、つまらないだろう?」
僕がそう言うと千鶴は勢いよく後ろに横たわる。
「興味無いよ。僕は幸鳥が読んでたから聞いただけ。ほら、幸鳥の声で聞かせてよ」
「全く……。二人は旅の途中で仲間が増えるんだ。そして、行き着いたのは余命宣告をされた男の故郷。でも町はとっくに朽ち果てて、ただ花畑が広がるだけの場所になっていたんだ。その光景を見て、余命宣告された人が倒れてしまうんだ。もう自分は死んでしまうと悟った男は愛する人に言うんだ」
『アイボリー、愛してる』
小説の文字を撫でながら、言葉にする。
「それを聞いた愛する人も言葉を返す」
『私も愛してる。シックス、あなたを誰よりも愛してる』
「その言葉を聞いて男は息を引き取った。仲間達はバラバラになったけど、男が愛した人だけはずっとその土地から離れなかった……。っていうお話」
「結局、死んじゃうんだ」
「うん。本当は死に場所を探していただけだったのかもね。どう? 興味出た? 本、貸そうか?」
僕が千鶴の顔の上に本の表紙が見えるように見せるが、ちらりと僕は顔を見て目を閉じてしまった。
「いーよ。元々、興味なかったけど、結末知ったら余計見たくないよ」
「悲哀系、千鶴は苦手だった?」
「そーかもね。それに僕にはそういう、ヒアイ?系は理解出来ないし」
体を横にして、僕に背中を見せる形になった千鶴の顔は見せないけど、声色は少し寂しそうに聞こえた。
「理解?」
「そう。主人公の二人に対してのね。なんで自分の気持ちを言わないのか、僕には理解出来なかったよ。好きなら、愛してるならさっさと言えば良かったのに」
千鶴の言葉に僕は本の表紙に描かれる二人を指でなぞる。
「きっと、情が湧いてしまうからだよ」
「情なら、元々持ってたでしょ。愛情とか恋慕の」
僕がボソリと口に出すと千鶴は起き上がり、問い詰めるように僕に近付く。
「そうだけど……、言葉にして、結ばれてしまったら二人は恋人になる。明確な繋がりが出来てしまう。もう時間は無いのに、恋人としての短い期間よりも長い親友以上の方が傷つかずに済むって、お互いの為になるって、考えたんだよ」
表紙の絵の二人の小指には赤い糸で繋がれていた。
きっと、この糸で結ばれる事を恐れたのだろう。
「短い結ばれたばかりの恋人の絆よりも長い年月が重ねて、強固になった親友の絆で終わりたい。変化を恐れた結果だね」
愛さないことが愛情表現なんだ。
少し違うけど、ちょっとだけ僕と父に似ている。
お互いの為に近寄らない。下手に近付いても、傷つくだけなんだから。
「最後には言ったのに……」
不満そうな千鶴の声に苦笑を浮かべる。
「うん、そうだね。でも、きっと故郷に行けたのは二人が恋人じゃなかったからだよ」
「………………幸鳥の話も、よく分からないよ」
千鶴の方を見たら、悲しそうに顔を俯かせていた。
僕が千鶴の膝で握られている手を取る。
いつの間にか冷えている手を温めるように僕の手で包む。
「無理に理解する必要はないんだよ。千鶴は千鶴、二人は二人で良いんだ。ごめんね、別の本を貸そう」
そう言い、本棚にある別の本を取ろうと千鶴から手を離そうとすると。
千鶴は僕の服を掴んだ。
顔を上げて、目には涙を貯める千鶴に僕は驚き硬直する。
「なんだか、幸鳥が遠くに行ってしまいそうだよ。幸鳥に理解出来ることが、僕に理解出来ないのが怖い…! 怖いよ幸鳥。いなくならないで…!」
ポタリと千鶴の瞳から零れた一滴の涙が千鶴の手に落ちる。
それを合図にどんどん涙が出てきた。
まるで寒さに体を震わせるかのような千鶴は自分の体を抱きしめた。
服を握っていた手から解放された僕は千鶴の体を抱きしめる。
「大丈夫。大丈夫だよ。僕は千鶴の傍から離れないよ。ずっと、これからもずっと」
___僕はこの鎖がある限り、千鶴の鳥籠から逃げないよ。
幸鳥は千鶴がお怒りモードだと分かると、異常なまでに怯えますが、それ以外は恋人の対応をします。
たまにストーキング千鶴に不気味だと感じた時も怯えますが。
木五倍子学園の木五倍子は実際にある植物です。お暇な時でも、花言葉などを調べてみると良いかもしれません。
花言葉でこの名前にしようと決めました。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたら幸いでございます
追記:2020.4.29に後半の幸鳥の台詞を変更修正致しました。一部、文章も少し付け加えたりや新しく致しました。