第五話 ~僕を怒らしたら、怖いもんね?~
ナコという名を貰った後、BARに置かれた振り子時計がボーンと重たい音で鳴り出した。その音に釣られるように時計を見ると零時を指していた。
その音を聞いた九重はずっと黙っていた口を開け、椅子から立ち上がった。
「もう時間か。さぁ、帰らないと。明日に響いてしまうよ」
そう言った九重は各自のグラスを片付け始めた。
燈弥さんも店内の掃除を始める為に、準備をしだす。その準備にランも手伝い始め、僕も掃除を手伝おうと席を立った時。
僕が着ている黒のパーカーのポケットから音楽が流れ始める。ポケットに入れていたスマホから流れている、ポップなメロディーは電話がかかってきていることを知らせてくれる。
僕はメロディーを聞いただけで身体中から血が引けている感覚に襲われる。
浅くなる息を一生懸命しながら、震える手をポケットの中に入れる。
ポケットに入っているスマホを掴み、液晶が自分に見えるように持ってくる。
「……………」
やっぱり。
液晶に映る名前は僕が予想していた名前で、世界で一番出たくない電話だった。
でも、電話と後が辛いだけだ。
「すみません、少し出てきます」
自分が出そうとしていた声のトーンよりも低くなり、九重達の返答など聞かずに早々と店内を出た。
「…………もしもし」
重たい扉を開けて、外に出ると夜風が僕の汗を冷やす。
壁に寄りかかり、暗い気持ちで電話に出る。
「幸鳥様ですね? 少々お帰りが遅いようですが、どうかなさいましたか?」
スマホから流れ出し、耳元で聞こえてくる聞き慣れた声に悪態をつきそうになるのをグッと拳を握り、堪えた。
「別に何もありません。少しお友達の家で勉強をしていたら、遅くなっただけです」
勉強などしていない。友達などいない。
全部が嘘だ。それにこんな嘘、普通なら嘘だと見破られるだろう。でも、この人にはこれぐらいで構わないのだ。
「そうですか」
スマホから、興味が無いと言わんばかりの一言に返答が分かっていても、心が冷めていく。
「では、お気を付けて帰ってきてくださいね」
そう言い、電話が切れると思ったが。
「____あっ、千鶴様」
その名前を聞いた瞬間に僕の体は強張る。
口から小さな悲鳴をあげそうになるのを、口で必死に抑える。
立つのも、足が震えまともに立てなくなる。
ズルズルと座り込む。
お願いだ! 変わらないでくれ!
その祈りも虚しく、電話から「変わりますね」と聞こえた。
「もしもし? 幸鳥?」
聞こえてきた声はさっきの声とは違う。他人が聞けば、優しくて癒される声だろうが、僕には違った。
スマホを落としそうな手を反対側の手で支えながら、声を出す。
「はっ……はい。幸鳥です」
裏返る言葉を言い直し、電話に出る。
「わぁ! 久しぶりだね! 最近会えてなかったよね。僕、ずっとお家にお邪魔してたんだよ? でも必ず幸鳥がいないんだもん! 僕は今、拗ねてるんだよ?」
僕の返答など、端から聞く気がないのだろう。
電話の相手、音無 千鶴はどんどん言葉を続ける。
男とは思えぬ、可愛らしい高い声に秘められている感情に僕は体をブルリと震わす。
「ねぇ、いつ帰ってくるの? 今から? ねぇ、今からだよね? 僕をいっっっぱい、待たせてるもんね? すぐに帰って来ないとダメだよね?」
次々とスマホから聞こえてくる言葉に涙が出そうになる。
あぁ、これは_____
「僕を怒らしたら、怖いもんね?」
完璧に怒っている。
僕は自分の意識が暗闇に落ちるのを感じながら、目を閉じた。
*~*~*
僕はあの後、クラクラする頭の中。
千鶴が車を手配すると言われ、九重達にもう帰る事と掃除を手伝えないお詫びは言った。
九重と燈弥さんは優しく、大丈夫だと言ってくれた。でも、ランだけは訝しげに僕を見ていた。
だが、そのランに突っかかる程の気力は僕には持ち合わせていなかった。
その後、車が来る待ち合わせ場所まで移動をし、迎えの車を待った。
程なくし、来た車に乗り込もうとした時。僕の体は硬直した。
「やぁ、幸鳥。久しぶりに顔を見れたね」
サラサラとした蜂蜜の様な綺麗な色合いをしたブロンドの髪と瞳、キメ細やかで日焼けを知らない純白の肌。
可愛らしい声は先程、スマホ越しで聞いたよりも高くて綺麗だ。
白いワイシャツに黒のセーター。膝が見える黒のパンツにレギンス。
千鶴は僕と同年代だが、短い丈のパンツを履いても似合ってしまう。
客観的に見て、天使と言われる容姿をしている千鶴は笑みを浮かべながら、動かなかった僕の手を引いた。
千鶴のなすがまま、千鶴に倒れるように車に入ると、千鶴は僕を抱きしめながら扉を閉めた。
そして、車は動き出した。
「おかえり、幸鳥」
そう言いながら千鶴は僕の体を抱きしめ、僕の首元に顔を埋める。
千鶴の頭が首元で少し動く度、擽ったくて体を揺らす。だが、僕が体を揺らす度、動くなと言わんばかりに体を抱きしめる腕の力が強くなる。
「ねぇ、幸鳥。今までどこに居たの?」
千鶴の言葉に動揺するが、千鶴に悟られないように平然とする。
「友達の家だよ。勉強会をしてたんだ」
「ふーん。その割に手ブラだね」
突っ込まれるだろうと予想をしていた言葉を言われる。
でも、大丈夫。ちゃんと回答は用意してある。
「うん。勉強会って言っても、僕が教える側だったし。僕が頭良いのは知ってるだろう? 別にノートとか無くても記憶出来てるから、問題無く教えられるし、シャーペンは借りれば良い話だし。かさばるから荷物とか持って行かなかったんだ」
「ふーん……」
ノートが無くても記憶しているのは嘘じゃない。実際にノート無しで勉強を教えてと言われたら教えられる。嘘が前提の話だが、荷物を持っていなかった理由自体は嘘じゃない。
こうやって、嘘と真実をごちゃ混ぜにすれば、そう簡単には嘘だとバレる事は無い。
「じゃあ、勉強している時にそのお友達と密着する機会があったんだね」
「えっ……?」
予想もしていなかった言葉に呆気を取られる。
千鶴は固まる僕の首元に手を滑らせる。
「ここから臭うんだよ。幸鳥の匂いじゃない、誰かの臭いが」
その言葉にさっきの出来事を思い出した。
そういえば、さっき燈弥さんに抱き着かれた。その時に燈弥さんの匂いが僕の体に移ったんだ。
明らかに不機嫌になっている千鶴に体が震え出す。
ダメだ! ここで怯えたら余計に疑われる。落ち着け。冷静になれ!
「ぁ、あぁ! 思い出した! 実はその友達がお手洗いに立とうとした時に足が痺れて、僕の方に倒れてきたんだ。多分、僕が受け止めたその時に匂いが移ったんじゃないかな? しばらく足が痺れて動けなかったから」
咄嗟に出た言葉で、信じてくれるかは五分五分といった所だ。
お願い、信じてくれ……!
「…………なーんだ! そういうことか!」
暫くして、千鶴は笑顔になった。
そして、僕の首に手を回し、体を寄せる。
「てっきり、僕は幸鳥が"裏切った"のかと思っちゃったよ。そっか! それなら仕方ないね」
明るい声色に僕は千鶴に気付かれないように、いつの間にか入っていた体の力を抜く。
「僕が千鶴を裏切るわけないじゃないか。僕は千鶴が大好きなのに」
僕も千鶴の体に腕を回し、抱きしめる。その事で僕と千鶴の体の距離はもっと近くなる。
「そうだよね! 幸鳥は僕が大大大好きだもんね!」
首元から顔を上げた千鶴は僕に顔を近付けた。キスでもするのかと思ったが、違った。
「帰ったらお風呂、一緒に入ろうね。この臭いを取らないと。それで一緒のベッドで寝ようね」
光の無い瞳が真っ直ぐに僕を顔を見る。
笑みを浮かべているが、目は一ミリも笑ってなどいない。
「それにそのお友達と縁を切ってね」
千鶴の言葉に抱きしめていた腕をピクリと揺らしてしまう。
「幸鳥には僕しか要らないでしょ?僕以外の人間と関わって欲しくないの。僕の気持ち分かるよね? 幸鳥が僕しか要らないのと同じように、僕には幸鳥しかいないの! それなのに僕が知らない間に友達なんか作って……」
千鶴は僕の首に回していた片腕を自分の胸に置いた。
「僕、凄く傷付いたんだよ……? 今も心がズキズキ痛むんだ。ねぇ、幸鳥のせいなんだからね。分かってる?」
首を傾げ、僕に問いかける千鶴に汗が一筋、流れる。
「…………ごめんね」
「ごめんねじゃないでしょ? ごめんなさいだよ」
僕の言葉を遮り、怒鳴りはしないが先程の声とはまるで違う低いトーンで叱られる。
「ごめんなさい。千鶴に黙って、友達を作って。すぐに縁を切ります。僕には千鶴だけです。だから、だから捨てないで……捨てないでください……」
何も考えられない。暗い、暗い道を歩いているかのようだ。でも千鶴に捨てられたら、きっとこの暗い道も歩けなくなってしまう。
それは、怖い。凄く怖いんだ。
千鶴は僕の言葉を聞いた後、優しく僕の頭を胸に抱き寄せる。
頭を撫でられながら、僕は千鶴の言葉を待った。
「よしよし……よしよし。良い子だね、幸鳥は凄く良い子。頑張って謝れたね。うん、許してあげる。幸鳥には僕だけだもんね、僕以外はゴミだよ。幸鳥には要らない物なんだ。寂しかったんだよね、だからゴミと仲良くなっちゃったんだよね。ごめんね、前よりも、もっとずっと長く幸鳥の傍にいるからね」
良い子、良い子と繰り返す千鶴に僕は子供のように抱き着く。
僕と千鶴の関係は主人と従者で、親友で、恋人で、誰よりも大切にしないといけない。
だから、僕は千鶴の傍にいないといけないのだ。それが一番の幸せだから。
今流れている涙は、どうして流れているか、僕には分からなかった。
今回からタグに【ヤンデレ】【共依存】【依存】を追加致しました。今後も途中でタグが追加される可能性がございます。申し訳ございませんが、ご了承ください。
2020.3.9に「本家と分家」を「主人と従者」に修正致しました。純粋な間違いです。なんで、本家と分家と書いたんでしょうね。申し訳ございません。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたら幸いでございます