第二話
「だからアンタねぇ、ここは中世じゃないって言ってるでしょっ!? 何で勝手に他人の机漁ってんのよ、ヘンタイっ!!」
教室の片隅に、私の叫び声が響き渡った。突如現れた鉄仮面の大男は、近くの机をひっくり返し、当然のように中を物色し始めた。クラスメイトたちは教室でじっと固まったまま、奇行を続ける侵入者を見つめている。あくまでもゲームのキャラクターである彼らは、プログラム上で設定された行動しか取れなかった。この場で動けるのは侵入者と、それから私だけだった。ライノルドが顔を上げ、仮面の向こうから、獣のような鋭い目を私に向けてきた。
「しかし小娘よ。得てしてこう言う所に、【回復アイテム】が隠されているものだ」
「その『小娘』ってのやめてくれない? 何か鼻につくから」
私はイライラと黒板を振り返った。ライノルドがやってきた空間の裂け目は、すでに修復され元のドット絵に戻っている。きっとネットの海を流されている間に、プログラムに綻びが出て、このゲームが別の世界と繋がってしまったのだろう。ネット上には【コンピューター=ウィルス】と呼ばれる存在もいるから、そこまで不思議な現象ではない。しかしまさか、別のゲームのキャラクターが侵入して来るなんて……このン十年にはない、初めての現象だった。
「ねえ、あなた。ライノルドさん? ライノルドさんって、一体どこの世界から……」
……そう言いかけて、私は言葉を噤んだ。私が目を離した隙に、甲冑の騎士はクラス中の机の引き出しを全部、とりあえず開けて確かめようとしていた。他の世界のことはよく分からないが、これも彼のいるARPGでは当たり前の行動なのだろうか。教室の端の方で、ライノルドが首をひねった。
「妙だな。何も入ってない……だと?」
「だから言ったでしょ、ここに【回復アイテム】なんてないのよ。ここはARPGの世界じゃないの、恋愛SLGの世界なの!!」
「ムッ!?」
ライノルドは私の叫びを無視し、急に立ち上がると、警戒心丸出しの声を上げた。
「何だ!? このサイレンは……!?」
「サイレンって……ああ、チャイムのこと?」
私は肩をすくめ、黒板の上のスピーカーを指差した。ようやく進行を再開した我が世界は、朝のホームルームが始まるチャイムを鳴らしていた。
「これから学校が始まるのよ。プレイヤーは、授業を受けたり、部活や放課後の時間を使って私たちヒロインの好感度を……って、聞いてる? ライノルドさん?」
ライノルドは教壇の上に鉄の靴のまま登り、大剣を振りかぶった。そして目にも留まらぬ速さで、ドット絵のスピーカーを破壊した。
「ちょっと!? 何やってんのよ!?」
粉々になった電子の塵が頭に降ってきて、私は思わず悲鳴を上げた。
「気をつけなされいッ!」
「はいっ!?」
ライノルドはなおも警戒を緩めぬまま、鋭い眼光で教室全体を見渡した。
「我が国では、魔物が夜の街を徘徊し出す時、かのような音楽がどこからともなく流れ始めていた。気をつけなされい、小娘よ。今にもその扉から巨大な牙を携えた狼が入ってくるやもしれぬ……」
「だからそれは、ARPGの世界の話でしょ!? 恋愛SLGには、そんな化け物いないんだってば……」
「はいはーい、みんな席についてー。ホームルーム始めるわよー」
すると、教室の扉から間の抜けた声が聞こえてきて、副担(名前はまだない)が教室に入ってきた。その声が合図になって、不測の事態に停止していたゲームキャラたちも、やっと動き始めた。全員分の引き出しが物色されてはいたものの、彼らは何事もなかったかのように自分の席へとついた。
このゲームではオープニングの【名前入力】が終わると、次はホームルームで【自己紹介】をし、そこでメインヒロイン(つまり、私だ)やサブヒロイン、それから恋敵と言った主要メンバーの名前を決定し(もちろん【西園寺真子】のように、デフォルトネームにも設定できる)、そこで初めて皆と出会う。そう言う風に、プログラムされているのだ。
「今日はみんなにぃ、転校生を紹介しちゃいま〜す!」
副担(名前はまだない)が、楽しそうに教壇から手を振った。
まだ教壇の上には、大剣を構えたライノルドが残ったままだった。ライノルドの巨体のせいで副担の顔はほとんど隠れ、せっかくの副担の笑顔は全然見えなかった。
「新しい転校生はぁ、【ライノルド=シュヴァぷしゅっ!!」
……残念ながら副担は、最後まで転校生の名前を紹介できなかった。
途中で、ライノルドが大剣を振るい、彼女の顔をぷしゅっと真っ二つに切り裂いてしまったのである。
「な……ななな……!?」
「こやつは、聞いたはずのない我が真名を知っていた。恐らくは悪魔の手先であろう」
ライノルドは低い声でそう呟き、背中のマントで返り血を拭った。私が口をパクパクさせている間に、副担の顔は電子の塵になってバラバラと床に散らばった。
「何やってんのよ、ばかぁっ!?」
「よろしくね、【ライノルド=シュヴァルツリッヒ3世】くんっ!!」
だけど私の怒鳴り声は、クラスメイトたちの、プログラムされた歓迎の合唱に掻き消されて行った。
□□□
「ねー、【ライノルド】くんって、すっごく強いんだねー」
放課後、夕日に照らされた帰り道の途中、クラスメイトのサブヒロイン(名前はまだない)がライノルドに話しかけた。これももちろん、プログラムされた予定通りのセリフである。ゲームを始める前に、筋力やら知力やら、主人公の能力値を設定してあるのだ。例えば筋力を予め鍛えてあれば、『強いんだねー』というセリフになり、知力を鍛えていれば『頭いいんだねー』というセリフに変わる。
冗談ではない。強いどころか、オープニングから殺人犯である。副担の頭を粉々にしたライノルドは、昼休みには恋敵を語る級友(名前はまだない)を窓から放り投げ、電子の藻屑にした。ライノルド曰く、『”敵”と名乗る以上、容赦はできない』だそうだ。私は頭を抱えた。別の世界から来た彼には、恋愛SLGの常識がほとんど通用しなかった。
「……そんなことはない。我はまだ【剣術】の技能はLv.5だし、【青の魔法】も習得していない。祖国を守るため、やるべきことはたくさんある」
「中学では何か部活やってたの?」
「我が国は遥か昔から、魔物の脅威に晒され続けておるのだ。男子は皆、幼い頃から【剣術】を叩き込まれる。才能や、向き不向きの問題ではない。出来ない者は道端で化物に襲われ、【死】あるのみ……」
「そうなんだぁ、道理で」
サブヒロイン(名前はまだない)があはは、と笑った。私は、噛み合ってるんだか噛み合っていないんだか、よく分からない彼らの会話にさらに頭痛を酷くした。
「ねえ、ちょっと」
「ム?」
私はゲームの進行を妨げないように、こっそりとライノルドの脇を小突いた。
「ライノルドさん、もういいでしょ。早く元の世界に帰ってよ」
このままでは、私のいる世界がメチャクチャにされてしまう。
幼馴染(名前はまだない)や片想い中の先輩(名前はまだない)がぷしゅっと真っ二つにされてしまわないうちに、早いとこ帰ってもらわなければ。ゲームをリセットしてまた一から始めれば、砕けた副担たちがまた元に戻るかどうかは、正直私にも分からなかった。
「ム……そうだな」
ガシャガシャと、およそ恋愛SLGには似つかない金属音を響かせて歩いていたライノルドが、はたと立ち止まった。
「我も最初は、悪魔の仕掛けた、幻術の世界にでも迷い込んだかと思っておったが……」
「そもそも悪魔とか殺し合うとか、コレそんなゲームじゃないから!」
「しかし……どうやって帰れというのだ? 我が通って来た【血の池/地獄洞窟】は、すでに閉ざされてしまったようだし」
ライノルドが肩をすくめた。
確かに、彼がやって来た空間の歪みは、すでに閉じてしまった。
「この世界に、別の【血の池/地獄洞窟】があるか、探してみるか?」
「あるワケないでしょ! イヤでしょ。楽しいラブコメやってる時に、ヒロインたちが急に【血の池地獄】に放り投げられちゃ……」
どんなバッドエンドだ。そんな身の毛もよだつ場所も【イベント】も、この世界では聞いたこともなかった。
「……こうなったら、正攻法で帰ってもらうしかないわね」
「正攻法?」
「ええ」
私は小さく頷いた。
「つまり、ライノルドさん。あなたにこの恋愛SLG【こいぶみ】を正式クリアーしてもらう。ゲームクリアーしたプレイヤーは、晴れてエンディングを見られるの。そうすれば、この世界から脱出できるかも……」
「なるほど」
ライノルドが納得したように頷いた。
「……断る!」
「……は?」
私はぽかんと口を開けて、隣に立つライノルドを見上げた。
「何でよ!?」
「それはつまり、我に、貴様のような小娘を好きになれということであろう?」
「こ、小娘……」
ライノルドは冗談もほどほどにしろ、とでも言いたげに肩をすくめた。私も、この世界で曲がりなりにも恋愛SLGの正ヒロインを数十年張って来て、これほどの屈辱はなかった。
「それはできないッ! 我には、祖国に置いて来た妻がある。それに、貴様と同い年くらいの娘も……たとえそれがこの世界の掟だと言われようと、それでは我が守るべき者、戦うべき理由を失うに等しいッ」
「あ、アンタねぇ……」
私は小刻みにドットの体を震わせた。今にも殴りかけそうになったが、フルCGで製作された鉄の鎧はいかにも硬そうで、ヤメにしておいた。
「……冗談じゃないわよっ! この私がお願いしてるんだから、素直に好きになりなさいよっ!!」
「断じてそれはできないッ! 別の道を探さなければ……クソッ! ここに【血の生贄/祭壇】さえあれば、我にも転移魔法が使えるというのに……ッ!」
「だからあるワケないでしょ、恋愛ゲームにそんなものっ!?」
坂道の上では夕日を背景に、サブヒロイン(名前はまだない)が私たちの様子を見てあはは、と笑った。
「ねー、【ライノルド】くんって、すっごく強いんだねー」