表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

令和はどんな世の中になるのか予言しよう(都市伝説含む)

作者: AG党

令和=ワールドオーダー、上と下の戦いか


4月1日わが国に平成に代わる新しい元号が発表された。

その名も「令和」


元号とは最も短い和歌であり、国民はこの日、この二文字に振り回された。


これからの新時代がどうなるのか予測していきたい。

「令和」の御代は歴史上、初めて日本の人口が減少して迎える新時代になる。


少子高齢化は深刻な問題である。

景気(特に労働者)にも悪影響を与える。


最近、よく就業者総数における有効求人倍率が上昇したと、ニュースなどでよく聞く。

しかし、それは少子高齢化により市場の労働者数が減少してた結果、需要と供給の関係上、人手不足になっただけで、当然の帰結とも言える。


バブルは昭和の終わりに崩壊したが、わが国はリーマンショックからいまだに立ち直れずにいる。

平均賃金は平成9年にピークを迎えたまま、物価を考慮しても、名目の賃金が上がっておらず、実質賃金にいたっては社会保障費や増税により家計を圧迫、1992年に比べてなんと「年間50万円も低下」している。



国別で見ると、カタールや中国は過去20年間で1000パーセント以上の成長率。

世界平均でみても130パーセントだが、それに比べて日本だけマイナス20パーセント。

評論家はデフレというが、もはやスタグフレーションに陥っており、会社でいえばとっくに倒産している状態である。


平成は経済の成長線も「平らに成った」時期であった。


改元騒動は、そんな時代の政治不信とただれた厭世観をなんとか誤魔化そうとしているフシもある。


なんにせよ、わが国はこの二文字に振り回される運命にある。

天皇陛下即位と相まって、改元は誰もが注目するイベントとなった。

元号の深意、和歌の背景を詠むべきだろう。


さて、「令和」の準拠となったのは万葉集の序文。

命令の令と取る向きもあるが、天平二年の正月の十三日、当時の大宰府の長官大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で詠まれた、「初春の令月にして気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を香らす」からとったということらしい。


大宰府の歌はおそらく災害の多かった平成の災除けのために、道真公の力を借りたのではないか。

延喜3年に死去した菅原道真は、改元に関わる人物ともいわれ、その死後に呪いの力でいくつもの天災や政情不安をもたらし、ついには当時の皇太子を殺したとまでいわれている。有名な道真公の呪いである。

その怨霊を鎮めるために、延喜から延長に改元された。これは日本で初めて、呪いのために改元された例である。

呪いの強さを逆に利用しようというわが国さながらの発想だ。

道真公と関わりの深い梅を唄ったことから1300年続いた藤原氏の時代に終止符が打たれるというメッセージともとれる。


もしこれが逆の「和令」なら命令と同じ意味になるだろう。しかし「令」は「令月」をなど物事の雅な振る舞いを表し、物事を始めるのに「よい月」という意味で、日本や中国の古典ではよく使う語らしい。"令月、氣淑風和"を雅楽のファンなら、朗詠「嘉辰令月かしんれいげつ」を連想するかもしれない。

(ちなみに令月とは如月(2月)のことであり、今回「令和おじさん」として名をはせた菅官房長官は政策グループ「きさらぎ会」に所属している)


話題になったのは万葉集の元ネタである「帰田賦」「仲春令月、時和し気清し(仲春のよき月に、時は調和し気は清らかに澄んでいる)」について、始めて国書が原点の元号とはいえ、万葉集の中の漢詩、それも五世紀前の漢詩から本歌取りをした恰好となった。


張衡は腐敗した権力者、順帝を批判して「田に帰る賦」を残したといわれる。

この解釈については、SNSやYouTubeを通じていろいろ論じられている最中だ。

「帰田賦」は首相を暗に批判するアイロニーになっているというものもいる。

ユニークな見方だが、予測としては経済が東京の都市部から地方へ移るのではないかとみえる。


国は令和のテーマに「美しさ」を挙げていた。

梅の花言葉は「気品」と「優雅」だ。

そういえば、街頭インタビューで令和について「音の響きが綺麗」と言っていた。

政府も海外の記者クラブで「令和」を説明するとき命令(order)ではなく美しさ(beautiful)であると盛んに強調していた。

外患がなくなり、平和が訪れ、薫り高い文化が花咲く「美しい国」ということを主張したいようだ。

美しさで裏の意図を隠したいのかもしれない。

万葉集18巻の大伴家持の長歌から一部を採った「海行かば」は戦前に軍歌の歌詞として採用され、第2国歌とも言われたことを忘れてはならない。

もっとも、皇室が戦時体制に突っ切る安倍政権に対して平和になるように勅令したと考えれば、国民にとって喜ばしいものになるが、、、

この「令和」は天皇陛下が御譲位されて初めての諡となるため、権力に対して二重の意味があるのかもしれない。




ところで、「令和」は論語の「好色令仁少なし仁」で表面だけ繕ったイメージもあるせいか、中国人にはなにかと評判が悪い。

まず、「令」という字は、中国人からすると「零」と音が同じで、どちらも諧音となり中国語では「リン」と発音するため、「令和」すなわち「零和」(平和ゼロ、平和な日はない)という極めて縁起のよくない元号ととらえられる。

しかも「令」自体「命令」の意味が強く、元号にするには冷たい感じがすると散々だ。


今回歴史上始めて国書から元号を用いたことは、中国政府に対してのメッセージともとれる。

(満州派が好きな桜でなく、台湾の国花でもある梅を詠んだことも深読みできるかもしれない)



それと、この説についてはあまり言及している人は見かけなかったが

「初春の令月にして気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を香らす」

この歌について、大宰府に着任した大伴旅人と「愛人の関係」を詠んだものという説がある。


昔の女性は名前に花をつけることが多かった。

新しいお札に決定した「津田梅子」、トイレの花子さん、最近は聞かないが、女子がお手洗いに行くことを「お花を摘みに行く」という言い回しをしたり、なにかと女性と花に関する関連性が多かった。


旅人が詠んだ鏡の前で粉を化粧したり、珮後、つまり腰の紐から下げるお香を焚いている蘭についてだが、旅人が「梅」(梅壺?)という愛人と一夜を共にしたあとで、詠んだシチュエーションとみれば面白い。(初春の令月にして、とあるのは旧正月からの男女関係を風流に演出したかった?)

万葉集は風流に色恋を隠喩しているケースがかなり多いので、おそらくこれもそのパターンだろうと思われる。


元号が地方官人のエロネタを基にしているということが分かれば滑稽だ。


順序を追って説明しよう


まず万葉集のネタ元である大伴氏からおさらいしたい。

万葉集の歌人、大伴宿禰旅人おおとものすくねたびとは、文武天皇から聖武天皇にまで仕え、神亀5年(728年)に大宰府に士官。太政言二位にまで上り詰めた人物である。

彼は全盛期の藤原氏と対立してしまい、大した活躍ができないまま没してしまったようだが、父親の経歴は面白い。

旅人の父親、大伴宿禰安麻呂おおとものすくねやすまろは壬申の乱に吉野方(のちの天武天皇)として参戦。

蝦夷を征伐し、功績が認められ遣新羅使のため筑紫に派遣された。

公卿補任くぎょうぶにん』によれば藤原不比等(ふじわらのふひとに次ぐ大納言兼大将軍正三位、兼太宰師となり、元明天皇に仕えたようだ。 

吉野方に仕えていた大伴一族のルーツは最も古くに朝鮮半島から渡来してた高句麗系一族といわれている。大伴氏はのちに新羅使も仰せつかっていたし、彼らとのやり取りもできたことから高句麗系の可能性が高い。


大伴氏の氏始祖伝承に神武東征に出てくるヤタガラスの説話がある。

都市伝説界隈では八咫烏というのがよく出てくるが、鳥類を氏祖とするのは北方系鍛冶神信仰種族の特徴である。

また、氏祖伝承に顔を見せる高魂神の後裔とされる氏族は、高句麗系に属すとされている。その中の少なからぬものが、朝鮮半島東岸に沿って南下し、日本海を渡って、弥生時代から次々と渡来し、越から近江路、大和山間部に広がった。

こうした高句麗系の山民が、大伴氏が統率する八十伴緒やそとものおであるという。

おそらく大伴氏は、畿内の豪族の中でも最も早く渡来した氏族の一つである。後になって、今来の百済系氏族や新羅系氏族も組み入れたと思われる。(このルーツを官邸は知っていたはずである)


大伴氏から連なる九州出身の麻生氏が新札を発表したのも興味深い。


さて、令和の未来予測というのは、いろいろな人がブログや経済紙を通じて取り上げているので、ここでは未来予測というより、元号に秘められた予言というスタンスで取り上げたい。


まずはYouTubeから引っ張った元号についての言葉遊びから取り上げる。

例えば令和の「令」は三角形にひざまずく形に見える。これはメーソンの支配の象徴を意味しているというもの。

総画数13で支配層イルミナティのアピール

reiwaのRは13番目のアルファベット

御代替わり日5月1日の一桁を合わせると666の日

令月で月の時代、宇宙時代に突入、などなど

raywarで光の戦争


しかし、宇宙時代などはビジネス誌にも載っているし、ローマ字のeiなんてのは寛政や文政や安政にも当てはまるのでただのこじ付けにしかならない。

光の戦争は自分の解釈だが、指向性エネルギー兵器(レーザー兵器)や5G(電波は光の一種)のことを指しているのではないかと思われる。このポスト核兵器時代の到来を予見している。



令和の令の字は二つ書き方がある。

一つは令と最後の書き順が伸ばし棒になるパターンだが、もう一つは下がマの字になるパターンだ。

後者は、二つの三角形△▽とみえなくもない。

そして和は〇と表記できる。

全部組み合わせると、六芒星と日の丸になるというものだ。



「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」と政府は説明していた。

表向きは美しいメッセージだがおそらく「令和」とは「和を以て貴しとなすの令を出す」と云うことだろう。(「和をもって~」で有名な聖徳太子はペルシャ人説がある)

そしてちょうどこの日、入国管理法が施行された。


人種やジェンダーに至るまで、「和をもって貴しとなせ」と律する社会を目指すのだろうが、果たしてそううまくいくのだろうか、、、

疫病や飢饉が起きて、大仏を鋳造するような世の中にならなければよいが、、、


とはいえ水を差す様だが、次代がこの文字の通りになるとは限らない。


この動画のロジックで平成を見ればわかる。

昭和の大戦の惨禍を内省し、平和な世になる様にとの思いが詰まった元号だが、平成の世は平和ではあったが、民は堕落し、災害が頻発し、国民の所得格差は拡大した凄惨な時代でもあった。


平成の御代が元号の示す通り、平らなる時代だったかといえば、必ずしもそうとはいえず、うわべの元号の良し悪しでは令和時代の予測は出来ない。


令和の希望を語るには、平成の御代をいま一度検証する必要がある。


なぜ平らかなる世がここまで荒んでしまったのか。


平の字の特徴としては「十字が入っている」ことと「対称シンメトリー」なことだ。

十字が入っている字はキリシタンが残した字という逸話がある。

平成は社会構造が右と左の対称に分断され、イスラムとキリストの宗教戦争に成ったのが特徴である。

ちなみに成るという字には「戈」が隠されている。


さて、平成という御代はたしかに国内の上辺は平和ではあったが、一方で宗教紛争や貧富の格差など社会問題となった時代であった。

昭和世代はこんな世の中を想像していなかったはずだ。


これはメーソン式の逆の思考、「反転思想」が必要なのであろうと考える。


例えば平の字にみる十字を反転してみる。

すると、反キリストの逆十字サタニストが表出する。


「平成」の反転=「混沌カオス」=格差社会と自然災害とテロリズム


反転思想によって、平成は静寂を保とうとするも、混乱が起き、均衡を保とうとするも、格差が広がるという、上辺だけの平和のなかの「静寂な混乱」というメッセージが読み解ける。

平成の大格差社会は支配層によって、作られたともいえる。


この「逆から読む」という反転思想を理解すれば、「令和」時代に何が起こるかが見えてくる。


それはともかく、この「令」の字は「神のお告げ」、「上位者による指示」、「よい事」として

逆さまの口がひざまずいた人に話す、お告げを聞くこと、との意味がある。


これをメーソン式の反転思想で考えてみよう。


「平成」の反転=「混沌カオス」=格差社会、自然災害、テロリズム


「令和」の反転=「革命レボリューション」=血税一揆、格差崩壊、洋式の多様性カルチャー


平成は左右の対決だったが、令和は上下の対決にステージが変わる。

規律を重んじるメーソンに対し、支配層イルミナティが革命を起こし、現政権は倒される。


そのあとはどうなるか分からないが、日本が築いてきた秩序や文明は、西洋式の多様性政策が主導権を握ると、移民政策によって完全に崩壊することになる。


世論では「神のお告げ」の反転である「悪魔のささやき」によって文明の継続性について否定し、無秩序を是とする風潮が生まれる。

洋式の多様性主義は他人への無関心を招くというデメリットがあり、日本社会で馴染むには工夫が必要だ。

その時に「和の精神」が世界中から注目されるようになるだろう。



「令和」は大化から数えて248番目となる。

元号のうち「令」の字が使われるのは初で、国書を基にした初のケースとなった。

幕末に元号が「元治」に決まる際、令の字を含む「令徳」も候補になったという。

だが、「徳川に命令する」という意味が込められていると幕府内から反発があり、結局使われなかった。大河ドラマや時代小説では、この駆け引きを幕府の衰退をうかがわせるワンシーンとして描かれている。


おそらく幕末のように混沌とした状態から革命がおこるかもしれない。


令和は平成の不満が噴出して革命が起きるだろうが、

その後、平和な御代となれば

世界は米国でなく、日本や中国を中心に動くようになる。


それが技術特異点シンギュラリティの到来なのかもしれない。


ちなみに、特異点理論はキリスト教の終末思想に影響されている一種の信仰である。


改良された身体、永遠の知恵で満たされた完全な知性ができるとではないかという発想はあくまで知性的なコンピューターに神の役割を担わせて、キリストの再臨を目指そうとする、いわゆる終末ビジネスの片棒を担いでいるに過ぎない。



技術特異点が令和の時代に訪れるのかどうかわからないが、世界は確実に管理社会に向かっているのは確かである。

管理する権力ははたして信用たるべきものなのか。どこまで許容するべきなのか。

我々一人一人が見極める必要がある。


「令和」がつくる社会は傲慢は身を焼かれ、実力が評価される時代になるだろう。


若人の力を信じたい。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ