覚えのないご主人様
元看守の消滅を見送ったエレシス達は,互いに示し合わせて先を進むことにした。
今更立ち止まることは出来ない。
開錠の力で開けた扉を抜け,奥の通路を歩いていく。
土を固めたトンネルのような空間に,二人の足音が小さく響く。
もしここから出られなければ,自分も彼女のように黒化し,消滅するのだろうか。
悪い方向に考えるエレシスは,顔には出さないまま,少しだけ手を震わせる。
するとその様子に気付いたクレイヴが声を掛ける。
「寒いのか?」
「な,何でもないわ。大丈夫よ……」
エレシスは令嬢らしく,どうにか気丈に振る舞う。
すると彼はゆっくりと視線を前に向けた。
「さっきのこと,気にするのも仕方ない。でもあの人は,エレシスに本当のことを知ってほしいと言って力を託したんだ。責任を感じるのは,少し違うと思うな」
「そうなのかしら……」
「あぁ。だってあの人は,満足そうな顔をしていたじゃないか」
そう言われて,彼女は思い返す。
消滅する老婆の表情は,何かをやり遂げたような清々しいものだった。
一片の後悔もなく,死を望んでいたようにも見えた。
あまり思い詰めるのは,その思いに反するかもしれない。
「そうね……。ありがとう,クレイヴ……」
励ましてくれたのだろうと,エレシスは少しだけ穏やかに答える。
するとその表情を見たクレイヴが微かに笑った。
その意図が分からなくて,首を傾げる。
「何で笑うの?」
「いやいや,言ってることと表情が一致してなくてな。何だが可笑しくって」
「べ,別にいいじゃない。ちゃんとお礼言っているんだから,もう……」
しおらしく答えたのに,わざわざ言わなくても良いことを言う。
どうやらクレイヴは,からかいたがりの性格らしい。
雇い主である令嬢相手でも,物怖じすることがない。
真っ直ぐと言うべきか,自重を知らないと言うべきか。
「よし,良いことを思い付いたぞ」
「嫌な予感しかしないわ……」
「まぁまぁ,そう言わずに。簡単な話さ。ここから脱獄するまでに,俺がエレシスの表情を正確に読み取ってみせよう」
挙句の果てには,そんなことまで言い出す。
「失礼しちゃう。私の顔は,玩具じゃないんだから」
「分かってるさ。でもエレシスはお嬢様なんだろう? 外に出てもそんなムスッとした顔じゃ,誰も付いてこないぞ?」
「う……」
しかし,一部正論でもあるから下手なことが言えない。
仏頂面すぎて令嬢っぽさがないと言われれば,反論のしようがない。
仕方なく彼女は彼の発言を認めることにする。
「さ,あの婆さんのためにも,頬の筋肉上げて一緒に頑張ろう」
「ま,まぁ,別に良いけど……」
「じゃあ,先ずは一回目……。ふむ,腹でも減ってるのか……?」
「……別に減ってないわよ」
「くそう,外したか」
今の会話でどうすれば空腹であると,考えてしまうのだろう。
両手で頬を上げ下げしながら,エレシスは小さく息を吐く,
このよく分からない流れは,まだまだ先が長そうだと感じるのだった。
暗闇のトンネルを抜け,突き当りの隠し扉を開錠する。
先にあったのは,看守専用の個室とも言うべき広間だった。
どうやら下層に出るための近道だったようで,奥には上階に上がるための階段がある。
そこから漏れ出る僅かな光が,牢獄の中の光明にすら見えた。
たが二人は足を踏み出すことに抵抗を覚える。
看守の広間は,明らかに雰囲気が異なっていたのだ。
「何なの,この広間は……」
広間の天井は10m程の高さがあったが,そこから多く剣が鎖によって吊るされている。
看守の趣味によるものだろう。
剣山を逆さにしたような光景で,立ち入る者にその切っ先を向け続けている。
ユラユラと揺れている武器もあり,あまり通りたくはない場所だった。
「落ちてきたら大変だな。注意して進もう」
しかし,ここを進まなければ脱獄できない。
エレシスは唇を強く結び,クレイヴと共に歩き出す。
微かな風に揺られ,鎖の音が頭上から鳴り続ける。
上を見てはいけない。
彼女は自分の足元だけを見て,ひたすらに足を動かした。
すると直後,静まり返った場にわざとかと思う程の強い足音が響く。
驚いて前を向くと,奥の階段から大男が降りてくる。
それはこの広間の住民であり,この最下層を管理する看守・ヘルターだった。
「よォ。待ってたぜェ」
「あ,貴方は……!」
階段に立ち塞がるヘルターは,既に剣を抜いていた。
逃げても意味はない。
クレイヴはエレシスを背中で庇いながら,シャベルを両手に持ち替えた。
「クレイヴ,どうする気!?」
「決まってる! ここを押し通るのさ!」
「待って! 危険すぎるわ!」
エレシスは胸が締め付けられるような思いだった。
相手は見るからに戦闘に長けている。
ここで戦えば,無事では済まされない。
エレシスは確かにクレイヴを雇ったが,所詮は口約束に過ぎない。
だというのに,そんなことのために自分の命を賭けてくれるというのか。
そんな間の後,相対する看守が口元を吊り上げた。
「つれねぇじゃないかァ。俺を置いて,何処に行くつもりだァ? ご主人様よォ……」
「え……?」
一瞬,意味が分からなくて,エレシスはヘルターを見上げる。
他の誰でもない,大男は彼女を見て,仕えるべき主だと口にしていた。
「主人……? 私が……?」
「え? もしかして,あの男もエレシスが雇ったのか?」
「そ,そんな訳ないわ……! 私,あんな人のことは知らない……!」
二重雇用じゃないか,と間の抜けた視線を送るクレイヴに,彼女は全力で否定する。
ヘルターは最近来た看守であり,今までも面識が殆どない。
会話はおろか,雇用の話すらしたことがない。
一体何を考えて,そんな出まかせを口にしたのか。
そう思うエレシスを見て,ヘルターは剣を持ち上げて深くため息をついた。
「ったく,酷い反応もあったもんだなァ。でもまぁ,そうなるのも仕方ねぇかァ」
「私のことを知っているの……?」
「よーく知ってるぜェ。ご主人が全てを忘れちまった,どうしようもなく哀れな女だってことをなァ」
全てを忘れた。
その言葉に,エレシスは違和感を抱く。
確かに彼女は幼少の頃の記憶がおぼろげで,不確実な部分があった。
そしてそれは,幼かったが故の忘却だと思い込んでいた。
しかし改めて指摘されたこと,不思議そうな顔をするクレイヴを見て,一つの解に辿り着く。
記憶喪失。
そのことに思い至ると同時に,目の前の看守が剣を振るう。
空を切った余波で周囲に吊り下げられた剣たちが音を立てる。
「悪いが,アンタに出て行かれちゃ困るんだよォ。この場所で,死ぬまで生きてもらうぜェ?」
ヘルターに明確な殺意はない。
エレシスを殺すことは不都合なようで,拘束と監禁を優先する。
ただ,配管工であるクレイヴは話が別だ。
囚人の脱獄を手助けするなど,情状酌量の余地もない。
無事でいられる保証は何一つない。
それでも彼はシャベルを手にしたまま,看守に向けて構える姿勢を取る。
「やるしかないかな!」
「クレイヴ……!」
「言っただろう? 俺もエレシスを放っておけない。それにこれでも,雇われの身。俺が奴を押さえてみせる!」
恐れることも,逃げることもしない。
次の瞬間,クレイヴは巨大シャベルを持って,襲い掛かるヘルターに応戦した。




