黒化
老婆が明かした看守という素性に,二人は少しだけ身構える。
既に脱獄がバレていたのかもしれない。
だが彼女は苦笑するだけで,指一本動かさなかった。
「そう警戒しなくて良い。言ったろう? 私は元看守。あの頃の立場は剥奪されているし,脱走を告げ口するつもりもない」
「……つまり,私と同じ囚人ということですか?」
「そう思ってくれて構わないよ。まぁ,他の連中には失踪扱いにされているだろうけどね」
老婆はゆっくりと息を吐いた。
ここは隠し通路の奥にある秘密部屋。
他の囚人と違い,手足を鎖で拘束されている訳でもない。
仮に捕える気があるのなら,こんな回りくどい手段は取らない。
彼女は看守達の目を盗み,この場に潜伏していたのだろう。
エレシス達は,とりあえずその言葉を信用することにした。
すると代わりに問いが飛んでくる。
「それにしても,そちらのお兄さんは誰かな? 私の知らない新しい囚人だろうか?」
配管工のクレイヴが物珍しかったようだ。
囚人でもない風貌ということもあって,少し探りを入れてくる。
当の彼は,特に深く考えずに答える。
「え~と,クレイヴと言います。色々あって記憶が飛んでまして,今は彼女に雇われてる感じっすね」
「雇う?」
「ほら。この姿とこのシャベル,配管工っぽくないですか?」
「……ふむ。成程,そういうことかい」
何故か納得する元看守。
エレシスはそんな彼女の姿を見て,もう一度思い出す。
最近は全く姿を見せていなかったので忘れかけていたが,この老婆は姉との面会に付き添ってくれた人物だ。
彼女がいなくなってから,姉も来なくなった気がする。
「貴方は,お姉ちゃんと面会させてくれた看守さんですよね? どうして,こんな所に?」
「簡単な話だよ。私は追放されたのさ」
エレシスの疑問に,自嘲気味にそう言った。
「監獄の方針が変わったんだよ。お陰で穏健派だった私は,弾き出されてしまった。代わりに入ってきたのが,最近出てきたヘルターという野蛮な男。アイツは怒りを収めるために,此処にいる連中に暴力を振るっている」
「さっきの人,ですね。確かに,とても看守とは思えません」
「だろうね。看守というよりは,アレは暴漢だ」
「逃げようとは思わなかったんですか?」
「この老体に,上層まで行く元気はないさ。それに私も限界が近い」
彼女は,自らの腕を差し出して見せた。
既に痣は無数に広がっていたが,よく見るとそれは痣ではなかった。
黒く塗り潰されたような影。
正体不明の闇そのもの。
「コイツは一体……?」
「黒化,と呼んでいる。この監獄に存在する病だよ。進行を遅らせることは出来るが,患えば全身を侵し消滅する」
「消滅?」
「言葉の通り,ここから消えてなくなるのさ。そうなる前に,こうして会えて良かった」
一体何処で,どのような経緯で感染したのかは分からない。
ただ,安堵に近い声で語り掛ける。
「エレシス,私は貴方があの部屋から出ようとする,その瞬間を待っていたのさ」
「私を……?」
「あぁ。手を出しておくれ」
言われるがまま,エレシスは手を伸ばす。
唯一肌色の残った彼女の右手が,その手に触れる。
瞬間,光が灯った。
何処か懐かしい温かさがあった。
光は収縮し,エレシスの体内に取り込まれる。
老婆は何かしらの力を,彼女に託したようだった。
「これは,ちょっとした切っ掛けを与えただけ。本来の力が,これで戻った筈だよ。奥の扉を開けてみなさい」
指を差したのは,エレシスの監獄部屋と似た形状の扉だった。
鋼鉄で出来ており,取っ手には錠前も取り付けられている。
一応エレシスは近づいて触れてみるも,やはり鍵が掛かっていて人力では開けられそうにない。
どうやって,開けばいいのか。
そこまで考えた彼女は,先程の光が何か関係しているかもしれないと思い付く。
他に考えられる手もないので,心の中でそれを思い浮かべる。
するとカチリ,と何かが外れた音が聞こえた。
驚いて扉を見ると,外れた錠前が音を立てて足元に落ちた。
「鍵が開いたわ!」
「凄いな……! まるで超能力だ……!」
エレシスに与えられたのは,開錠の力。
これがあれば,あらゆる扉の鍵を開けることが出来る。
脱獄への手段も幅広くなったと言える。
力の実感を得た彼女は,礼を言おうと振り返ったが,そこで息を呑む。
いつの間にか,老爺の全身が黒く染まりつつあった。
クレイヴも,突然の変貌に驚きを隠せない。
「その通路を通れば,最下層を抜けて下層に出られる。さぁ,行きなさい」
「まさか,病が進行して……!?」
「これが私の望みなんだ。気に病むことはないよ」
「貴方は私の何を知っているの……!?」
「今明かさなくても,上を目指せば必ず思い出す。自分が何者なのかを。ただ,上層を管理する看守,ゴーズには気を付けて。ヤツに出会ったら最後,二度と出られないと思った方が良い」
力を託した時点で,彼女は全ての余力を使い切ってしまったらしい。
黒化という病がその全身を呑み込み崩壊へと導く。
エレシス達はそんな様子を見続けることしか出来ない。
すると最後に,老婆はクレイヴを見てこう言った。
「君は介入者。もう,自分の望みは叶えている筈」
「……!?」
「だから,彼女の願いを叶えてあげて」
その言葉を最後に,牢獄の元看守は闇に呑まれて消滅した。




