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光の先へ




ヴェスタの惨劇で生き延びたディー家の一人娘。

エレシス・ディーが意識を取り戻したことは,直ぐに広まった。

無論,精神状態も踏まえて取材や面会は,院内の人々が塞き止めた。

会えるのは限られた者だけ。

その辺りのことは,思ったよりもしっかりしていたので,彼女も周りの状況に急かされる必要はなかった。

ただ,暫くは病院内での行動を強制された。

何が起こるか分からないため,時期を見て退院することになるだろう。


一応手錠や足枷も外され,ある程度の自由は約束された。

とは言え,病院内で出来ることは少ない。

大抵のことは病室の中で完結している。

今までの経緯もあって,簡単には外に出られない。

ある日,医師の一人が彼女に問い掛けた。


「何か必要なものはありますか?」

「絵を……」

「?」

「絵を描くものを頂けますか……?」


筆と絵の具と,真っ白なキャンバス。

何もない中でエレシスはそれを求めた。

最下層にいた頃から,忘れることのなかった唯一のものだ。

医師が用意したそれに,彼女はただひたすらに色を描き滑らせた。

忘れていたものを思い出していくように。

描くのは,ヴェスタに聳え立つ大樹。

彼との思い出が残された,とても大切な場所だった。


またある日,エレシスの前に一人の男が現れた。

口の利けなかった彼女と半強制的に結婚をしようとしていた人物だった。

呼んだつもりはなかったもの,遠い親戚ということで面会が許可されたのだろう。

彼は意識を取り戻したことが信じられないようだったが,それ以上に伝えるべきことがあったので,ハッキリとそれを口にする。


「貴方と結婚は致しません」

「な,何故……!?」

「ご自分の胸に問い掛けてはどうですか?」


寧ろ頷くと思っていたのだろうか。

それでも男は,慌てた様子で言い聞かせようとする。


「お前は一人では生きられない! 俺が守ってやると言っているんだ!」

「貴方に守られる義理はありません」

「ディー家の格が落ちるんだぞ!? このままじゃあ,お前の持つ財産も全て食い荒らされる! 分かっているのか!?」


成人していない少女にディー家は守れない。

そう言われようとも,エレシスは首を縦に振らなかった。

痺れを切らした男は心当たりがあるのか,ハッとした後で視線を鋭くする。


「やっぱりあの平民か! 前々から誑かしていると聞いていたが……!」

「一つだけ言っておきます」


それ以上を口にする前に,静かに宣告する。


「私はディー家の一人娘。すべきことは決まっています。ですが,自分の利益だけを考えている人と共にいても,果たせそうにありません」

「ぐ……!」

「これが私の思いです。どうか,お引き取りを」


誰かに縛られて,これから先を歩むつもりはない。

自分の意志や思いを,決して手放したりはしない。

揺るぎない言葉を聞いた男は,悔しそうな表情で立ち去るだけだった。


それからエレシスは,時が流れることを自覚しながら毎日を過ごした。

牢獄にいた時のように,止まった時間で生きるのではない。

陽の光が差し込み,小鳥が囀るこの瞬間を生きる。

日々が過ぎ去っていくのは確かに恐ろしいことだ。

この5年もの間で,周りの状況は刻々と変化している。

ヴェスタの惨劇もあれだけ騒がれていたが,今では人々の記憶に留まるだけ。

自分がいなくとも,世界は動いていく。

だがそれに置いて行かれれば,孤独だけが残される。

それは,とても寂しいことなのだ。


暫くして,エレシスの退院が許可される。

度々医師との面接や検査を受けたが,危険性はないとの最終判断が下ったようだ。

病室を後にした彼女の持ち物は少ない。

今まで描いてきた絵を除けば,手に持てる程度の範囲に収まった。

病院の出口には,お世話になった医師の面々が集っていた。

彼らの表情がどうなっているのか,見るのが不安だったが,そこには純粋に彼女の退院を祝う感情があった。

きっと大層酷いことをしてしまっただろう。

手の負えない,治る余地のない者として,冷たい視線で見送られたこともあったかもしれない。

だからこそ,エレシスは申し訳ない気持ちのまま彼らと対面した。


「退院おめでとうございます。エレシスさん」

「いえ……これも先生達のお蔭です。私の知らない所で,ご迷惑をお掛けしたと思います。申し訳ありませんでした」

「そんな……! 貴方が謝る必要はありませんよ……!」


しかし,医師達もエレシスに謝罪をした。

彼らにとっても,彼女の症例は今までに類を見ないものだったのだ。

患者とは言え,手錠を掛ける等の処置をしてしまったこと。

自由を奪ってしまったことを,心苦しく思っていたようだ。

結局の所は,お互い様。

そのお陰で,彼女の心持は少しだけ軽くなった。


「これから,どうされるんですか?」

「貴族としての役目を果たします。それが残された私に出来ることなので」

「都市の復興,ですか……」


エレシスは頷く。

最近になって,大都市ヴェスタは立入禁止区域から解放された。

だが,内部の状況はあの時のままだ。

惨劇の傷跡は,まだ色濃く残されているだろう。

過去と向き合うためにも,やるべきことは幾つも残っている。

言い切った彼女を見て,一人の医師が視線を合わせる。

その医師は彼女の主治医であり,院内で起きていた計画に関与していた主要人物だった。


「私に出来るのは,少しでも,貴方の心の支えになることだけ。困ったことがあれば,いつでもお呼びください」

「……ありがとうございます」


彼らのしたことが全て正しかったどうかは分からない。

ただ此処にいられることを,戻る切っ掛けを与えてくれたことを,エレシスは感謝した。


病院の外は解放された光景そのものだった。

自然豊かな草原と,曇り一つない青空が広がっている。

監獄にいた頃には,見られなかった美しい景色だった。


「綺麗な青空……。そう,こんな色だったわ……」


あの頃見た景色もそうだっただろうか。

そう思うエレシスに一陣の風が吹く。

思わず目を瞑り,持っていたポーチが飛ばされないように抑える。

そうしてもう一度目を開けると,一つの影が現れた。

幻覚でも空想でもない。

彼女が来るのを待っていたのか,黒帽子を被った青年が,目の前に姿を現す。


「やぁ」


まるで昨日会ったかのような,親しい友人に会うような話し方で歩み寄る。

それは以前,大樹の下で出会った時に何度も聞いたものだった。


「俺の方が,目が覚めるのは随分後だったのに。あの時よりも,待った気がするよ」


そこには様々な思いが込められている気がした。

過去の想起。

懐かしむようで悲しむような優しい声。

エレシスが口を開く前に,彼は指を一本立てた。

いつかの時と,同じように。


「今考えていること,当ててみよう」


答えを聞く前に,エレシスは彼に向かって歩き出す。

目の前の彼が確かであること知るため,ゆっくりと右手を差し出した。

彷徨いかけたその手を彼は優しく取った。

男らしいゴツゴツした手だったが,温かい感触がしっかりと伝わる。

その瞬間,彼女の胸中に言い表せない感情が溢れかえった。


「会えて良かった」

「うん……。本当に……本当に,会えて良かったわ……」


私は,ここにいる。

握られた手を握り返し,エレシスはもう片方の手で目尻に溜まった涙を拭う。

そして,笑い返す。

自分の思いに素直になるために。

今,この瞬間が幸福であると伝えるために。


流れていた風は天に舞う。

降り注ぐ陽光は二人を照らす。

景色は広大だが,彼女達の道となるため,確かに広がっていた。




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