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5年前の真実②




「危険物質の……流出だって……?」


クレイヴが知ったのは,大都市ヴェスタで起きた製薬会社の非合法実験だった。

本来は製作禁止とされていた危険物質が,何かの弾みで流出,都市部へと流れ出たらしい。

その物質は人体に感染し,死に至らしめるウィルス。

細菌兵器とも呼ぶに相応しいものだという。

製薬会社・エイルワーカー社に勤め,偶然都市を離れていた一社員の発言によって,その存在が明るみとなった。


『現在,大都市ヴェスタは混乱状態にあります! どれだけの規模,被害が出ているのか,想定も出来ません!』


事故当日,沈黙する大都市に幾つかの救助隊が向かったが,中心部へはおろか足を踏み入れることすら出来なかった。

細菌兵器相手には,それ相応の準備と装備が必要になる。

彼らが持つ兵装だけでは,感染を防げなかったのだ。

クレイヴは両親が止める中,ヴェスタ近辺にまで駆けつけた。


「エレシスは!? 彼女はどうなったんですか!?」

「し,知らないと言っているだろう! 俺達だって,何が起きているのか分からないんだ!」


だがヴェスタに繋がる道は全て厳重に封鎖されていた。

誰も近づくことは出来ず,周りにいた人々に状況を聞いても,誰も内部を把握し切れていない。

結果として,彼は周りにいる有象無象と同じになった。

そうして時間が経ち,科学者の見解によって流出した危険物質が,致死率99%を超える最悪の兵器であることが判明した。

報道陣は直ぐにその事実に食いつき,大々的に報道した。


「生存者は……絶望的……。そんな……」


クレイヴ達家族は,エレシスの一件で都市を去っていた。

幸運にも,巻き込まれることはなかったのだ。

だがクレイヴにとっては運が良かった,と片づけられるものではなかった。

必ず,また会いに行く。

そう彼女に嘘をついた事を思い出す。

確かに,叶えられるものではないという予感はあった。

だがこんなにも早く,こんなにも残酷に破られるとは思っていなかった。

彼は炎上する大都市を見上げながら,膝を屈するしかなかった。


「生存者が見つかったぞ!」


それから数日が経って,救助隊が万全の兵装で大都市への潜入を挑む。

結果,発見された生存者は10名程度。

エイルワーカー社の社員が殆どだった。

彼らは感染を防御する装備を付けていたが為に,難を逃れていたのだ。

その情報は瞬く間に広がり,自分達の命を優先した悪鬼として名が広まった。

そんな中,シェルター内で発見された唯一の少女。

大都市ヴェスタを管轄する貴族の一人娘,エレシス・ディーの生存が確認された。

何の防護服も装備していない中での生き残りは,彼女一人だけだったという。


「彼女は今何処に!?」

「そりゃあ病院だろうよ。どの道,会うことなんて出来ないさ」


エレシスは大都市ヴェスタ内で生き延びた数少ない生存者である。

現在は意識を失っているようだが,命に別状はないらしい。

恐らく意識を取り戻せば,彼女はヴェスタの一件を知る者として様々な質問を受けることになるだろう。

クレイヴは彼女が生き延びていた事を,ただ感謝した。

だが,彼女以外の身内は全員死亡が確認された。

ディー家の一族は,エレシスを除いていなくなったのだ。

そして,畳み掛けるように新たな事実が発覚する。

無事だと思われていたエレシスの異変。

それは彼の思いを打ち砕くに匹敵するものだった。


「多重人格……?」

「えぇ。彼女は確かに,あの災厄から生き延びた。しかし,その後遺症から精神分裂を引き起こしています」

「嘘だ……」


都市から遠く離れた巨大な精神病院。

そこで彼女の担当である医師の言葉を聞いて,クレイヴは唖然とする。

噂には聞いていたが,こうして明言されるまでは信じられなかった。

エレシスは奇跡的に生還したものの,事故のショックで精神を病んでしまったのだ。

目覚めた彼女が始めに発した声は,人のそれではなかった。

狂乱,という言葉が相応しい。

日を跨いでも回復しない状態が続き,遂に彼女は専用の病院へ隔離される事となった。


「彼女の中に多数の人格を確認しています。時には成人男性の者,またある時は赤ん坊のような者。その全てが個々に自我を持っています」

「……」

「彼女自身の……エレシス・ディーの人格は未だ確認できていません。彼女の中で何が起きているのか……私達にも分からないのです……」


エレシスの中には既に何十もの人格が入れ替わり,立ち代わりで姿を現している。

口を開けば,流れ出るのは正気を失った言葉ばかり。

もう,彼女を貴族として認識する者はいない。

貴族の娘ではなく,危険な精神病患者あるいは惨劇を生き延びた哀れな生還者として,自由の全てを奪われたのだ。


クレイヴは,それでも彼女と面会を求めた。

会って何をするべきか,明確な動機はなかった。

ただ,会いたかった。

平民である彼が面会するのは簡単な事ではなかったが,時間を掛けてようやくその機会を得られる。

幾つもの鉄格子を抜け,警備員の案内を受けてその部屋へと入る。

殺風景な部屋の中には,両手足を固定され,他人を噛まないように口に拘束具を付けられた少女がいた。

酷い姿だ。

最後に見た彼女とは似ても似つかない様子に,クレイヴは目を背けたくなる。

それでもぐったりとして動かない彼女に,彼は近づき声を掛ける。


「エレシス……」

「……あの子はいないわよ」

「……!? 君は一体……」


冷静な言葉が返ってくる。

思わず聞き返すと,エレシスは顔を上げてクレイヴを見上げた。


「私はフィリス。エレシスの姉」

「姉……」

「正確には,第二人格と言った方がいいかもしれないわね」

「そうか……。アンタが先生達の言っていた,今の主人格なんだな……?」

「まぁ,そういうことになるわ」


そこにいるのは,エレシスではない別の人格だった。

彼女の姉を自称する第二人格者・フィリス。

精神分裂を引き起こしてから,主人格として他の人格を統一している人物だった。

彼女に聞けば,何が起きているのか分かるだろうか。

クレイヴはエレシスが何処にいるのかを問うたが,フィリスは頑なに首を振った。


「あの子は今,心を閉ざしているわ。ここに出ようとはしないし,私がそれをさせない」

「どういう……ことなんだ……?」

「あれは,エレシスが抱えるには大き過ぎたのよ。目の前で,大勢の人が死んだわ。見知った人も,両親も,全員ね。だから,彼女は自分を守る手段を取ったの」

「一体,何を……」

「牢獄よ」


何処かで,金属が落ちる音が聞こえた。


「あの子は,脳内の精神世界で巨大な牢獄を造ったの。全ての囚人を収容する大監獄・ペルソナ。人格の牢獄。多分,罪の意識がそうさせたのでしょうね。エレシスは,その最下層にいるわ」

「牢獄を造る……そんなことが……」

「あの子はこの身体の所有者よ。彼女の望むものは何でも出来るわ。記憶の忘却も,全てね。私も,彼女が望みから生まれたようなもの。だから,あの子を苦しめるようなことは思い出してほしくないの」


全てはエレシスのためだと言った。

だがこれが,今のこの状態が,彼女の望みだというのか。

クレイヴは何も言えなかったが,フィリスが沈黙を破って呟く。


「一応言っておくけれど,この事を話したのは,貴方が初めてよ」

「……俺を責めているのか?」

「別に……。彼女にとって,貴方は特別だったからよ……」


それが何を意味しているのか,クレイヴには分からなかった。

だがそれ以降も,彼はエレシスに会いに行った。

例え相手がフィリスでなくても,狂乱する別人格であっても,会いに行き続けた。

何週間経っても。

何か月経っても。

何年経っても。

しかし,一度もエレシスの人格は現れなかった。


「どうして貴方は,何度もここに来るの? 殆どの人は,こんな有様に愛想を尽かしてしまったわ」


そんな彼の行動をフィリスは疑問に思ったようだった。

ヴェスタの惨劇から数年が経ち,既に事件の顛末はエイルワーカー社の社員から全て明かされた。

既にエレシスの出る幕は降り切っている。

クレイヴは俯きながら,手足の自由を奪われた少女に答える。


「俺は嘘をついた。必ず会いに行くって言ったんだ。それが,どうしても許せない……」

「……そう。貴方も同じだったのね」

「どういうことだ……?」

「エレシスは,貴方の事も忘れてしまった。何故だか分かる? 貴方の約束を,信じていたからよ」

「え……」

「本当は,こんな事言いたくなかったんだけど……。ここでハッキリ言うわね……」


時間が経てば忘れ去られるだろうと思っていたが,相変わらず面会に来る彼に根負けしたようだ。

仕方がない,と言わんばかりにフィリスは溜め息をついた。


「シェルターの中で皆が息絶えていって,あの子は一人,押し込まれたロッカーの中で震えていたわ。最後に願ったのは,貴方との約束だった。必ず会いに行く,貴方はそう言ったんでしょう?」

「……!」

「目を瞑って,耳を塞いで,ただそれだけを願ったの。でも,来なかった。あったのは全て,炎と死体だけ。だからあの時のことを思い出したくなくて,貴方との記憶も全て捨ててしまったのよ。それが,あの子の心の悲鳴」


そこまで聞いて,クレイヴは後ろに引き下がった。

彼女は,彼のついた嘘を最後まで信じていたのだ。

心を寄せる者が全員目の前で息絶える中,最後の希望を抱き,そして裏切られた。

その絶望がどれ程深かったのか,クレイヴに知ることなど出来ない。

何という事をしてしまったのだろう。

彼はただ脱力し,俯いた。

フィリスもそれ以上のことは何も言わず,目を瞑って眠るだけだった。


それから数日後。

更にクレイヴは,彼女に関わる重要な事を耳にする。


「エレシスが……結婚する……?」


意味が分からなくて,彼は病院の医師を問い詰めた。

聞くところによると,相手はエレシスの遠い親戚だという。

だがそれが彼女の意志を尊重しているとは思えなかった。


「彼女は自分の意志すら伝えられません! それを結婚だなんて! そんなことが,許されるんですか!?」

「私に言われても……これは既に決まった事だと……」


精神病院の医師達が,この件を覆す事は出来ない。

診療室から出て,無心のまま廊下を歩き続けるクレイヴだったが,その先で小太りの男性が見えた。

彼がエレシスとの結婚を結んだ人物なのだろうか。

同じ貴族の出身なのか,身なりだけは良い。

だが近づいてみると,男はニヤリと笑いながら独り言を呟いた。


「あれにはディー家の娘という肩書がある。結婚すれば,ディー家の財産は全部俺のものだ……!」


思わずクレイヴは彼に掴み掛った。

男は今の言葉を聞かれた事に気付き,目を剥いた。


「何だ,お前は……!?」

「そんなことのために……そんなことのためだけに,これ以上,彼女の自由を奪わないでくれ……!」


クレイヴの身なりから,取るに足らない身分の者だと理解したようだった。

男は苛立たしげに,その手を振りほどく。


「平民風情が何を言う! どうせ,貴様も財産目当てなのだろう!? 知っているぞ! あの娘にたかる虫が一匹いるとな!」

「何……!?」

「口もまともに利けない娘に会いに行く,悲劇のヒーロー気取りか? 薄汚いハイエナめ! 身の程を知れ!」

「違う……。俺は,ただ……」


吐き捨てるような言葉と共に立ち去る男を,クレイヴは追うことが出来なかった。

あの時と同じだった。

大樹の下で,彼女と会うのを止めろと強制された時と,何も変わっていない。

結局,平民同然の者に出来ることなんてないのだろうか。

黙って見ていることしか,出来ないのか。

クレイヴは一人になった廊下で両手を強く握りしめた。

だがそんな猶予すら与えないように,エレシスの身に新たな変化が訪れる。


「ゴーズ……?」

「彼女の中で生まれた新たな人格です。恐らく事件のトラウマを元に生まれたのでしょう。その人格は非常に凶暴で,今まで私達が記録していた人格を次々に殺し,彼女の身体を乗っ取ろうとしています」

「乗っ取るって……エレシスは……」

「……分かりません。フィリスという人格も,今は権限を奪われて,抑え込むだけで精一杯だと」


それからまた時間が経ち,クレイヴは院長室で,エレシスの中で生まれた新たな人格の話を聞いた。

性別すら分からない,正体不明のゴーズという人格。

ソレはエレシスの身体を乗っ取るため,あらゆる人格を呑み込んでいるという。

このままでは主人格であるエレシスの元にも危険が迫る。

彼女の人格は破壊され,その身体はゴーズによって永遠に支配されてしまう。

もう,耐えられなかった。

クレイヴは院長に向けて土下座をした。


「先生! お願いです! 彼女を助けて下さい!」

「……」

「こんなのは,あんまりだ! 俺に出来ることなら何でもする! だから,どうか……どうか……!」


無駄だと分かっていながらも,彼は院長に頼み込む。

すると院長は,少しだけ時間を掛けて口を開いた。


「一つだけ,方法があります。クレイヴさん,貴方は何年も彼女に付き添ってくれた。貴方になら,打ち明けても良いでしょう」


そう言って,彼はクレイヴをある場所へと案内した。

それは精神病院の地下にある一室。

電気をつけると共に,内部の構造が露わになる。

そこには人が入ることの出来る二つのカプセルと,それらを繋ぐ巨大な機械があった。


「これは……?」

「人格投影機。他者の意識を投影させる機械です」

「人格を……? 確か,海外で確立された技術の……VR……?」

「似たような,医療用に改良した機械と思っていただければ結構です」

「そんなものが……」

「彼女の精神では,巨大な牢獄が造られ,そこで何百もの人格が生きています。そこで死んだ者は黒化……人格ごと消滅する。彼女を取り戻すには,その牢獄から脱獄させなければならない。勿論,ただ出れば良いだけじゃない。彼女に自身を見つめ直してもらい,トラウマを克服させなければ,現実に出た瞬間に彼女は壊れてしまうでしょう」


人格を取り込む機械。

彼が何を言おうとしているのか,クレイヴは理解する。

もう,エレシスの精神は崩壊する一歩手前の状態なのだ。

何者かが直接介入しない限り,彼女の意識が戻る可能性はない。


「だから彼女の手を引き,連れ戻す役目を持つ人格が必要です」

「つまり俺が……その役目を果たす……ということですか?」

「そう。ですがそれは,クレイヴさんも彼女の世界の住人になるということ。つまり……」

「……!」


そこまで知ったクレイヴは,息を呑んだ。

誰も彼女の精神世界に踏み込んだ事はなく,何が起きるかも分からない。

そしてこれは,他の者達と同じように,彼女の意志を無視した行動になってしまうかもしれない。


「それでも……」


彼の目に決意という名の意志がこもった。




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