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5年前の真実①




クレイヴ・アクトは,配管工の父を持つ平民である。

一般家庭から建物の配管調整を行う職業だ。

地味かもしれないが欠かせない仕事の一つであり,大都市ヴェスタで生活を送っている。

彼は幼い頃から,父の職業について特に何も思っていなかった。

嫌悪していた訳でもなく,誇りに思っていた訳でもない。

ただぼんやりと父の跡を継ぐのだろうと,適当な事を思いながら,時折父の仕事を手伝いながら日々を過ごしていた。

他にも出来る事はあったのだろうが,彼自身頭が良くないという自覚があった。

高望みをした所で,手に届く筈もない。

分相応らしい身分が似合いであると,幼いながらも察していたのだ。


そしてその考えを,身を以て自覚するのが,ヴェスタの中央に鎮座する大屋敷。

大都市ヴェスタを収める貴族・ディー家の存在だった。

土地を管理する地主として莫大な利益を纏め上げ,国内有数とも言われる製薬会社・エイルワーカー社とも良好な関係を築いている。

当然,クレイヴがディー家の者を直接見たことはない。

少し年下くらいの令嬢がいる事も聞いたが,噂だけだ。

所謂,天に仰ぎ見るべき存在。

時折屋敷の外壁を通り掛かった際は,その高さを見上げつつ,自分には縁のない相手であると彼は思っていた。


それから時が経って,クレイヴが13歳になった時。

彼は父のお使いのために,真昼のヴェスタ中央街に赴いていた。

財布を持って目的の物品を買いに行こうと,路地裏を歩いていく。

だがそんな時,彼にぶつかりながら走り去る男が現れる。

なんだろうかと,クレイヴが懐を探ると,財布がなくなっていることに気付いた。

スリである。

子供ながら犯罪めいたものに出くわすのは始めてだったので一瞬畏縮したが,直ぐに彼はスリを追った。

配管工見習いとして体力に自信があったクレイヴは,敵対心を漲らせ,どうにかその男に追い付き掴みかかる。

しかし,相手も手慣れだった。

殴り合いの果てに逃げ切られてしまい,身体中を殴打されてしまう。

彼は痛みには慣れっこではあったが,些かやり過ぎた。

痣だけでなく鼻血も流れており,拭った手に血が付着する。

財布と行き場を失い,どうにか路地裏を抜けたクレイヴは,ヴェスタの中でも大樹として有名な木まで辿り着き,悲観に暮れた。


「痛てて……。あの野郎……今度会ったら,とっちめてやる……」


父や母にどう説明すればいいだろうか。

これでは財布だけでなく,殴り合いになった事も怒られてしまう。

クレイヴは鼻を抑えながら悩む。

だが良い案は思い付かず,通り掛かり人々も奇異の視線で彼を見つめている。

憲兵を呼ばれて補導されると余計に面倒だ。

仕方がないから家に帰ろうと立ち上がった瞬間,小さな影が彼の元に近づいた。


「大丈夫……ですか……?」


ごく普通の服を着た茶髪の少女が,クレイヴを見下ろしていた。

同い年か,年下くらいの年齢だろう。

出で立ちは平民そのものなのだが,何故か高貴らしさが垣間見える。

何処かの良い所の娘なのかもしれない。


「別に,何でもない」

「でも,鼻血が出てるわ……。これを……」


少女は慌ててポーチからティッシュらしきものを取り出した。

何とも甲斐甲斐しい人物だ,とクレイヴは子供ながらに思った。

断るのも悪いので,そのまま頷いてティッシュを受け取る。


「後は……下を向いてままジッとして」

「鼻血は上を向けば治るんじゃ?」

「それは間違い。血を飲み込むから駄目だって,お父さんやお母さんが言っていたわ」


確かに血が喉に絡まって気持ち悪かったので,言われた通りにする。

数分が経って,その指示が正しかったのか,彼の鼻血は収まった。

未だ身体の節々は痛かったが,少女の前で痛がるのは恥ずかしいので我慢した。


「酷い痣,転んだの?」

「財布をスラれた」

「え? スラ?」

「盗まれたんだよ。追っかけたけど,殴られた」

「窃盗!? そ,そんなことが,この町であるなんて……」

「何だそりゃ。割とよくある話だよ。こういうのは」


いかに大都市と言えど,流通の流れがある以上,そう言った輩が現れるのも当然のこと。

意外そうに目を丸くする彼女は,どうも浮世離れしていた。

きっと都市に来るのも始めてなのだろう,とクレイヴは察した。


「君,旅行者か何か? だったら気を付けた方が良いよ。大通りは良いけど,路地裏とかには昼間でも危ない奴がいるから」

「そ,そうなのね……知らなかったわ……」


驚きつつ都市の内情を知る少女。

やたら危なっかしいが,これ以上世話になるのも気が引ける。

帰りが遅いと両親が動き出しても困るので,クレイヴは重い腰を上げた。


「取り敢えず,俺は行くよ。お礼とかしたいけど,財布も取られて何も出せないし」

「い,いえ。私のことは気にしなくて,いいけれど……帰ったら,すぐに病院に行った方が良いわ」

「ん,ありがと。君も,道中気を付けて」


よく分からない少女だったが,気にしても仕方がない。

旅行者ならもう会う事もないだろう。

そう思いつつ彼は大樹を後にし,彼女の姿を記憶の片隅に置いていく。

そうして暴力沙汰を起こした事を両親に叱られるのだった。


しかしその数日後,クレイヴは再び大樹の下で少女と出会ってしまう。

今回も偶然,仕事が早く終わり,気晴らしに赴いただけの話。

彼女も偶然同じタイミングでここにやって来たらしく,彼には相変わらず痣が残っていたので,向こうから心配してやって来た。

出会ってしまったので,必然的に会話をすることになる。


「君,旅行者じゃなかったのか」

「一応,都市に住んでるわ。たまにこうやって,この樹を見に来るの」

「好きなの?」

「そうね。一番目立っているから……」


彼女にとっては,この大樹は特別なものだったらしい。

曰く家の外から見える景色で,一番綺麗なのだと言う。

何だかその言い方に違和感を抱き,クレイヴはそれ以上聞かなかった。

ただ,彼女が持つ小さなキャンバスに話題を逸らす。


「絵を描けるんだ」

「少しだけよ。遠くで見るより,近くで見た方が綺麗に描けるから,時々こうして持ってきているの」


何色もの絵の具と一緒に,時折絵を描きに来ていたようだ。

少女は少し自信なさ気に自分の描いた絵を見せる。

だがクレイヴはそれを見て思わず目を見開いた。

同い年が描いたとは思えない程の精巧な風景画が,そこにはあった。


「何だ,凄い上手いじゃないか!」

「そ,そう……? お父さんやお母さんからは,遊びも程々にしろって言われてるけれど……」

「いやぁ,遊びで描けるレベルじゃないと思うよ,これ。将来画家になれるんじゃないか?」

「そんなに褒められても……困るわ……」


見せた絵を両手で抱えて,少女は視線を逸らす。

あまり褒められたことがないのか,その表情は何処か嬉しそうだった。

しかし直ぐにそれは寂しげなものに変わる。


「でも,私にそんな自由はないのよ……」


クレイヴには言葉の真意が掴めなかった。

彼女には絵を描く自由すら与えられていないというのか。

今まで浮世離れしていたその姿が,何故か儚げに映る。

その瞬間から,クレイヴは少女に興味を抱くことになった。


それからというもの,クレイヴは時間のある時だけ大樹の下に立ち寄り,少女と語り合うようになった。

別に待ち合わせの時間を決めていた訳ではない。

そんな強制を互いに強いる必要もない。

互いが偶然会う時だけ,会話を行うだけのもの。

それでも楽しかった。

話し合う内容が徐々に広がり,純粋な気持ちで語り合える。

距離は縮まっているように感じられていた。


「私が外に出られるのは,許可を貰っているからなの」

「許可?」

「えぇ。どうしても,この場所で絵を描きたい。そうお願いしたから」

「そんなに厳しい家なのか……?」

「厳しい,のかしら。私には分からないけれど,皆が口を揃えてこう言うわ。貴方には貴方の住む世界があるって」


基本的に,少女は都市を自由に歩き回ることは出来ないらしい。

自分の家を除けば,パーティー会場や名のある屋敷や企業を訪れることが多いという。

今こうして大樹の下にいるのは,例外中の例外なのだろう。

そこまで聞いて,クレイヴには彼女が何者なのか大よその見当はついていた。


「君は……」


言い掛けた言葉を飲み込む。

それを言ってしまえば,もう会えなくなる気がした。


「俺も同じだ。親の職を継ぐのが子供の義務。配管工の息子は,どうやっても配管工さ。何処に行っても,考えることは同じなのかもしれない」

「……」

「でもまぁ,こういう息抜きも必要だと思うんだ。全部が全部,言う通りにしなくても良い。それに,ここはとても眩しいから」

「……そうね。ここは眩しくて温かいわ」


踏み込んだ事を口にすれば,今の状況を維持できなくなる。

そこにいるのは,絵が物凄く上手い少女というだけだ。

余計な事は聞かない。

付かず離れずの関係が,一番良いのだと彼は理解していた。

そんな中で,不意に躊躇いがちな声が聞こえてきた。


「……ねぇ,私達お友達になりましょう?」

「え?」


聞き返すと,少女は木漏れ日を見上げた。


「私,あまり仲の良い人もいなくて,こうやって沢山話すのも貴方が初めてなの」

「……」

「あ,その……別に無理にとは言わないけど。ごめんなさい……勝手な事を……」


今の生活に窮屈さを抱いているのだろう。

まだ幼いながらも,彼女は責任という重荷を背負わされているのかもしれない。

配管工の息子とは比べ物にならない位の,見えない枷が見えるようだった。

故に,断る理由は何処にもなかった。


「勿論,良いに決まってる。でも,一つだけ条件がある」

「条件?」

「名前。まだ君から名前を聞いてなかった。それを,教えてほしいかな」


友達だというなら,名前を知らない関係でいるのはおかしな話だ。

クレイヴは,今まであえて聞かなかった本名を問う。

少女は少しだけ迷った後,ゆっくりと答える。


「……エレシス」

「エレシス,か。良かった。これでやっと,君を名前で呼べるよ」

「……」

「何で,顔赤くするのんだ?」

「……! な,何でもないわ……!」

「あ,ちなみに俺の名前はクレイヴ。クレイヴ・アクト。これからもよろしく,エレシス」


快活に手を差し伸べて,握手を求める。

それは信頼の証だった。

日常的な事を話しながら,それを分かり合うという単純明快な関係。

彼はそれだけを求めた。

エレシスと名乗った少女もそれを理解したようで,ゆっくりと彼の手に触れる。


「よ,よろしくお願いします。クレイヴ」


こうして二人は友達になった。

だが友達になったからと言って,何かが変わることはない。

大樹の下でお互いの事を語り合うだけだった。

思いの共有,趣味の共有。

描いてきた絵のこと,使い慣れたシャベルのこと。

今日失敗してしまったこと,笑えるネタのような話。

分け隔てなく気軽に話し合うだけの時間だったが,それ以上は求めなかった。

そんな日が,数日,数週間,数か月と流れていく。

元々は偶然だった二人の出会いは,いつの間にか日常的なものへと姿を変えていった。

だがそんなある日,転機が訪れる。


「クレイヴ・アクトだな」

「……? 誰ですか?」

「お嬢様に近づくのは止めてもらおう」


曇り空が蔓延する空。

執事らしき男が,大樹の下で待っていたクレイヴの前に現れた。

彼は配管工の息子を汚らわしいような視線で見下ろす。

その瞬間,クレイヴも何を言われているのか,おぼろげに察した。


「お前とは住む世界が違う。彼女がこうして外出されているのは,ご主人様のご厚意によるものだ。それを利用して,誑かすことは許されない」

「そんな……俺は別に誑かすなんて……」

「知った事ではない。これは私達の立場に関わることだ。平民ごときが,貴族のご令嬢を相手に出来ると思うな」


彼らはエレシスの動向を常に監視していた。

そうして彼女に接触するみすぼらしい少年を見つけた。

始めは見過ごしていたが,徐々に縮まっていく互いの距離に,看過できなくなったらしい。

執事の男は冷たい言葉と共に,皮袋をクレイヴの方へと放り投げた。

反射的に受け取ると,金属の音が聞こえる。

中身を覗くと,それなりの金が収められていた。


「金が欲しいのだろう? これだけはくれてやる,とのお達しだ。二度と関わるな」


有無を言わさず,男はクレイヴの前から立ち去った。

彼はそれを追いかけることは出来なかった。

誑かす,などというつもりは一切ない。

だが,あの男達にとっては少女を騙す卑劣漢に見えていたのだ。

身分の違いを理解しろ,と男は言った。

クレイヴ自身,それを理解していなかった訳ではない。

一人寂しく絵を描き続ける少女と語り合いたかった。

取り留めもない話で,笑い合えたらそれで良かった。

だが,それすらも今は許されない。

結局,彼は手にした革袋を握りしめるだけだった。


そしてその数日後,クレイヴの父の転勤が決まった。

理由は父自身も分からない,突然の命令だったという。

彼はそれを聞いて,根回しをされたのだと理解した。

これ以上,エレシスに余計な虫が纏わりつかないように,彼女から無駄を取り除く為に,屋敷の者達が誘導したのだろう。


「これがエレシスの感じていた窮屈さ,なのか……」


平民である彼に抗うことは出来ない。

これ以上は,両親にも迷惑をかけてしまうからだ。

引っ越す前日,クレイヴは大樹の下でエレシスに都市から去る旨を伝えた。

当然,彼女は彼の身に起きたことは何も知らず,驚きと戸惑いを見せるだけだった。


「引っ越すなんて……そんなこと聞いてないわ……。折角……」

「……ごめん。親の仕事の都合で,どうしても離れなくちゃいけないんだ」


エレシスは悲しい顔をした。

彼は直視できずに視線を逸らした。

いつも長続きする会話が,この時だけは沈黙ばかりが流れた。


「もう,会えないの……?」


後ろ髪を引かれるような思いだった。

だからだろうか。

彼は不意にこう口を滑らしてしまった。


「大丈夫さ。必ず,また会いに行く」

「本当に……?」

「約束する。絶対だ」


ただ,少しだけ距離が遠くなるだけだ。

時間が経てば,いつかまた会える。

根拠もないのに,クレイヴはそう言ってしまった。

そんな嘘をエレシスは信じた。

信じてしまった。

だからこそ,彼女は最後に少しだけ笑った。


「……分かったわ。じゃあ,次に会う時までもっと絵を描いて,もっと上手になるからね」

「あぁ……」


それだけを交わして,二人は大樹を去った。

少女は元の屋敷へ。

配管工の息子は都市から離れた僻地へ。

もう,会うことはないだろう。

クレイヴは遠くなっていく都市の光景を見ながら,最後に交わした約束を思い返した。


「あんな嘘……つくんじゃなかった……」


何故,あんな事を言ってしまったのか。

恐らくエレシスの悲しむ顔を見たせいだろう。

どう足掻こうとも,身分の差を超えられる筈もないと言うのに。

彼はただ,自分の愚かさに腹が立った。


数週間が経って,都市から離れた小さな町に,クレイヴ達家族は引っ越した。

やることは変わらない。

配管工としての父の仕事を手伝うだけ。

少々田舎なので,生活の便に苦労はあるがそれだけだった。

平民である彼の暮らしが,劇的に変わることはない。

慌しかった日々は日常に変わり,クレイヴも周りの環境に溶け込んでいった。

ただ時折,空を見上げては,大樹の下で話し合った光景を思い出すのだった。


そうして更に日が経ち,事態は急転する。

その日,クレイヴ達はいつもと変わらない日常を過ごしていた。

仕事へ出かける父を玄関で送り,非番だったクレイヴは暇さ故に母の手伝いでもしようかと動き出す。

だが暫らくして,出かけた筈の父が血相を変えて戻ってきた。

今まで見た事もないような形相で息を切らし,クレイヴの母も驚きを隠せない。


「あなた,どうしたの!?」

「ヴェスタが……! 大変な事に……!」


そうしてクレイヴは知ることになった。

大都市ヴェスタで起きた惨劇,その顛末を。




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