さようなら
入り組んだ路地裏にも火の手は上がっていた。
いつか立ち入った事のある露店や飲食店は,全て赤黒い炎に包まれている。
黒い人影も折り重なるように倒れている。
最早,大都市と呼ばれたヴェスタは見る影もない。
生存者は絶望的。
中層で読んだ新聞記事に,そんな単語が並んでいた事をエレシスは思い出した。
「あ,危ない……!」
聳え立つ建物から崩れ落ちる瓦礫が,二人の周りに落下する。
大きな崩壊音と共に火花が舞い散る。
クレイヴが慌てながら庇い続けるが,彼女は茫然自失のままだった。
散らばったガラスやコンクリートの破片を踏み越えていく。
『エレシス……お願い……助けて……』
「……」
『ここよ……私は,ここにいるわ……』
路地裏を抜け,再び視界が開ける。
そこは軍用車両が何台も通れるような巨大な大通りだった。
舗装された道路には幾つかの罅が入っているが,他の場所と違ってそれなりな堅牢性があった。
火の手も迫っておらず,黒い煙を背に鉄色をした施設が二人を待ち受ける。
施設の四方には巨大な壁が何重にも立ち並び,危険な物質から内部を守るような構造となっている。
所謂シェルターを内包する施設だ。
アナウンスが警告していた避難所であることは間違いない。
「シェルター施設……そうね……」
この中にフィリスがいる。
確信にも似た思いを抱き,エレシスは真っ直ぐに進んでいく。
それを見たクレイヴは,口を開いて何かを言おうとしていたが,結局それを押し留めた。
渦巻き状の壁を抜け,巨大な鋼鉄の施設に辿り着く。
扉には指紋認証の鍵が掛かっていたが,未だ機能は活動しているようだった。
開錠するまでもなく,手を翳すだけで内部記録が彼女達を認識する。
『No.007,エレシス・ディーの静脈を確認しました』
機械音声が流れだし,扉が開かれる。
共連れは出来ない構造になっているため,クレイヴも躊躇いながら同じように手を翳す。
『No.10884,クレイヴ・アクトの静脈を確認しました。このアカウントは3日後に破棄されます。内容変更には,管理者権限が必要となります』
彼は自身が認証された事に少しだけ安堵していたが,理由は分からなかった。
内部は中央に大きな階段があるだけで,他の扉は全て物理的に封鎖されていた。
やはり人の気配はない。
地下に続く隔離所に全員避難しているのだろう。
エレシスは誘われつつ長い階段へ向かった。
靴音が大きく響き,何処までも続くような錯覚に陥る階段を一段一段下っていく。
そうして薄暗い光が差しこむ出口が見え始める。
終着駅。
全てが始まった場所。
隔離所と大きく壁に書かれた大広間に,彼女は足を踏み入れた。
そこにあった光景を見て,エレシスは何も言わなかったが,後ろにいたクレイヴが声を漏らした。
「う……」
黒い影の跡ばかりが広間全体に残されている。
何かを引き摺ったような跡。
何かが飛び散ったような跡。
無数の手形のような跡。
散乱する物品や備え付けの設備が電流を吐いている。
シャベルを手にしたクレイヴが,それらを確認して唾を飲み込んだ。
「通信設備が壊れている……。これのせいで,救難信号が出せなかったのか……」
悔しそうな表情の彼を,エレシスは意味もなく見つめていた。
ここの設備はもう使えない。
誰かが壊してしまった。
助けを求める事も出来ず,ひたすら怯え続けるだけだ。
ぼんやりと思う彼女の元に,何者かの声が聞こえてくる。
『エレシス……そこにいるの……?』
フィリスの声が,黒染めの大広間の一角から聞こえてくる。
視線を移すと,そこには大量のロッカーが横並びになっていた。
人一人が入ることが出来る程度の大きさで,その内の一つから声が再び聞こえる。
『熱い……熱いわ……ここは,熱イ……』
あそこは,私がいた場所だ。
皆が消えていく様を,震えて見ることしか出来なかったところだ。
エレシスはそう思い,ロッカーへと近づいた。
そこから聞こえるフィリスの声が,次第に雑音交じりのしわがれたものに変わっていく。
『どこにいるノ……? わたシは,ここよ……? 痛イ……穴ガ……痛イ……』
エレシスの異変に気付いたクレイヴが,思わず振り返る。
依然として,彼にはその声が聞こえていない。
それでも只ならぬ気配を察して,彼女の肩を掴む。
「待つんだ,エレシス! これは罠だ!」
「?」
「やっぱり聞こえているんだろう? ゴーズの声が! 惑わされちゃいけない!」
「何を言っているの?」
「え……」
「皆,ここにいるじゃない」
「な,何を言って……?」
平然と答えるエレシスに動揺するクレイヴだったが,それよりも先に,締め切られたロッカーの隙間から黒い泥が漏れ出してくる。
液状のそれは,周囲の光景を侵食しながら,一つの人影を形作る。
それが声の正体。
エレシスを誘い続けてきた元凶だった。
『そうサ。私達はここにいル』
「お父さん!」
『いけない子。良いって言うまで,絶対に出ちゃ駄目って言ったじゃなイ?』
「お母さん! 皆,生きていたのね!」
「エレシス!? 聞こえているのか!? エレシスッ!!」
クレイヴの声はエレシスには届かない。
既に彼女は泥を実の両親を見間違えていた。
心を奪われた,心神喪失状態と言うべきものなのかもしれない。
次いで人影から大量の目と口が現れ,楽しそうに笑った。
『さァ,私達と一緒にいきましょウ。もう,貴方を一人にさせなイ。皆,一緒ヨ』
「本当?」
『寂シカッタデショウ? 辛カッタデショウ? カワイソウナ子。カワイソウナ女。全部,全部,ワタシノモノ』
影は両手を広げてエレシスを迎え入れる。
どす黒い泥が渦巻く,深淵の底のような色を放っている。
とても安息があるとは思えない。
しかし彼女には,皆が待っている温かい場所のように見えて仕方がなかった。
そんな心情に付け込むように,足元に泥の塊が押し寄せてくる。
「そうよ……もう,嫌なのよ……。一人は……皆がいなくなるのは,嫌……。いや,いや,いや……」
「クソッ! ゴーズか! 頼む,もう止めるんだ!」
エレシスの身体が徐々に呑み込まれていく中,危機を察したクレイヴが彼女を助け出そうと,もう一度手を伸ばす。
だが黒い泥から大量の触手を放たれ,彼は呆気なく後方に吹き飛ばされた。
『邪魔ダ!』
「ぐぁ……!?」
『モウ,遅イ,遅イ! 今更,何ヲシニキタ! 嘘ツキ! 嘘ツキ! 嘘ツキ!』
「!?」
子供のような非難を浴びて,クレイヴの手が止まる。
その隙を狙って,泥もといゴーズはエレシスの全身を包み込んだ。
今度こそ自分の物にするために,監獄の全てを破壊する為に。
嘘つきと呼ばれて怯んだ彼を,泥の塊はただ見下ろした。
『サヨナラ』
「さよなら」
『サヨナラ。全部,消エテナクナレ』
瞬間,大広間が崩れ落ちる。
ガラスの破片のように地盤が崩壊し,隙間から大量の泥が溢れだす。
ゴーズに呑まれたエレシスだけでなく,クレイヴ諸共,全てが黒い闇に閉ざされた。




