緊急避難命令
暗闇の中を歩き続けると,先にぼんやりと何かが浮かび上がってくる。
やたら錆び付いた鉄の門だった。
先程開いた鋼鉄の門と同じ構造だったが,こちらの方が古めかしく恐ろしく感じられた。
それでもこの他には,何処にも行き場はない。
エレシスはその門を開錠するべく,手で触れようとする。
すると次の瞬間,掌に高温の熱が広がった。
「熱……!」
「大丈夫か!?」
「う,うん……」
「俺がこじ開ける。離れてくれ」
炎で炙られたような感覚に,思わず手を離す。
片手で制したクレイヴがシャベルを使って,てこの原理で少しずつ開けていく。
恐怖を感じた様子も,臆する表情もない。
淡々としている彼の動きに,何処か嫌な予感がした。
そうして上層の門が開く。
門の向こうからは,熱気のような風が吹き込んで来た。
むせ返るような空気が,エレシスを包み込む。
「行こう」
そう言いつつ,彼はエレシスの前を歩いていく。
彼女もそれを追っていく以外になかった。
依然として周りは闇ばかりだった。
気温は段々と上がっていくのに,何も見えない。
それとも,何も見たくなくて見えていない振りをしているだけなのか。
エレシスの中に妙な違和感が芽生えた頃,一瞬,強い温風が吹き抜けた。
反射的に目を瞑り,顔を両腕で覆う。
直後,パチパチと何かが弾ける音が断続的に聞こえ始める。
ゆっくりと瞼を開いたエレシスに飛び込んできたのは,燃える街並みだった。
暗闇から一転して,全てが赤黒く染まっている。
都市というべき舗装された道路と,高層建築物の群れ。
あらゆる建物が,窓という窓から炎と煙を吐き出している。
空はそれらによって覆い隠され,何も見えない。
道路の脇には,衝突し破損した車が幾つも転がっている。
ここが地上なのか,まだ監獄内なのか。
エレシスに理解するだけの余裕はなかった。
「この街並み……」
ただ一つだけ,エレシスには覚えがあった。
ここは大都市ヴェスタの景観と良く似ていた。
似ているというより,全く同じなのかもしれない。
この地形も,この炎の群れも,見たことがある。
歩みを止めたクレイヴは何も言わずに,言葉を失う彼女を見下ろしていた。
瞬間,何処からともなくサイレンが鳴り響いた。
『ウウウウウ!』
「!?」
『異常事態発生! 異常事態発生! 市民の皆さんは,至急シェルター内に避難して下さい! これは訓練ではありません! 異常事態発生! 異常事態発生! 市民の皆さんは,至急シェルター内に避難して下さい! これは訓練ではありません!』
エレシスは耳を塞ぎながら,何歩か後退した。
忘れていた恐怖心が足のつま先から襲ってくる。
燃えるヴェスタの街に,人は誰もいない。
そもそも存在しているのかも分からない。
もう全て燃えて,消えてしまったのかもしれない。
「燃えてる……。全部……燃えて……」
「エレシス……」
「お姉ちゃん……お姉ちゃんは何処……?」
姉を求めるエレシスに,クレイヴは何も答えられなかった。
手にしたシャベルを再度強く握りしめるだけ。
呆然とする彼女は,そのまま家族を求めて炎の街を歩き出した。
瞳の中には炎を映した光だけが明滅する。
まるで地獄の業火を見ているかのような錯覚だった。
するとその中で,路上に彷徨う人影を見つける。
性別は分からない。
炎に全身を炙られた者が,虚空を見上げて助けを求める。
『誰か助けて……誰か……』
「……! まだ,生きて……!」
何処かで見た光景だった。
エレシスは一瞬恐怖に足が竦みながらも,その者に駆け寄る。
だが彼女の手はそのまますり抜けた。
人影は,あくまで影。
実体のないものに触れることは出来ない。
「あ……!」
「ここの人達は,多分触れない……。もう,ここにはいない……」
「……!」
影は二人の間を通り抜け,道端に倒れ伏す。
事が切れたようだ。
誰にも助けられることなく,その場で消滅する。
エレシスに巣食っていた恐怖は,死の瞬間を見たことで,次第に怯えに変わっていく。
「これが,あのヴェスタなのか……」
背後でクレイヴが何かを言っていたが,半分近くは彼女の耳に届いていなかった。
「ここが上層なら,当然看守がいる。確かゴーズって言う奴だった。ソイツにだけは,絶対に会っちゃいけない」
「……?」
「今までの看守も,ヤツは危険だと言っていた。きっと,会えば良くないことが起きる」
ここは監獄の上層。
今までと同じように,この階層を管理する人物がいる。
だがエレシスには,看守がいること自体を把握し切れていない。
考える余裕は,殆ど残っていない。
彼女の前にあるのは,燃え盛る思い出ばかりだった。
「皆,燃えて……皆,おかしくなってる……」
それでも歩き続けるしかない。
彼女は意味もなく罅割れた道路を進み続けた。
よく見ると,崩れ落ちていく街道の脇で大量の影が蠢いている。
半死半生,死にゆく者達の瓦礫。
あれらも全て,手の届かない過去の遺物。
もう誰も生きている者はいないのだろうか。
エレシスがそう思った瞬間,何処からともなくアナウンスが鳴り響く。
雑音に紛れたその声は,聞き覚えのある女性のものだった。
『エ……エレシス……』
「お姉ちゃん……?」
『こっちに……こっちに来て……。助けて……』
今にも消えてしまいそうなフィリスの声が,燃える街に木霊する。
彼女の身に,何か予期せぬ事態が起きているようだ。
中層で会話した頃の冷たい印象はなく,死の予兆を感じさせるか細さがあった。
当然,アナウンスだけでは彼女が何処にいるのか分からない。
だがエレシスは直感的に何かを察知したようだ。
人気のなさそうな薄暗い路地裏の方へと向きを変える。
「何処に行くんだ!?」
クレイヴにはフィリスの声は聞こえていないようだった。
しかし元々彼女は,たった一人の家族を探すためにここまで来たのだ。
今更立ち止まることは許されない。
引き止める彼の声を聞きながらも,エレシスは歩みを止めず,路地裏に蔓延する暗闇へ進んでいった。




