己の存在証明
エレシスは暗闇の中に意識を落としていた。
何も見えない,何も感じない時の流れに,一種の居心地の良さすら感じる。
だが次第に不安に駆られ,感覚のない手足を動かす。
鉛のように重い身体が動き,意識が浮上する。
目を開くと,視界一杯に手術用のライトが広がる。
そして下層の看守であるサンクタスが彼女を覗き込んで来た。
「また眠ってしまったのかい?」
「あ……あなたは……!」
思わずエレシスは横になっていた身体を動かそうとするも,身動き一つ出来ないことに気付く。
手足が手術台に拘束されている。
どうやらここは手術室のようだ。
拷問器具のように金属の枷で四肢を固定され,少女の力では抗いようがない。
言い知れぬ恐怖心が彼女の胸中に沸き上がるも,ハッとして周囲を見る。
今ここにはエレシスとサンクタスしかいない。
クレイヴが何処にもいないことを知り,彼女は声を張った。
「クレイヴは何処!?」
「今頃彼は,別の場所で手術を受けている所だよ。何も心配する必要はない」
彼はにこやかな笑みを浮かべる。
罪悪感一つもない異質な雰囲気が,室内に満たされる。
腕を動かすことも不可能な中,彼女は苦し紛れに続けた。
「私達を,どうする気?」
「もう二度と,この監獄から脱獄しようなんて思わせないために,君はここで管理する。その意味は,もう分かっている筈だよ」
「分からないわ……。どうして,一人だけしか出られないの……? 出口があるなら,何人だって出入りできるのが,出口ってものでしょう……?」
エレシスの疑問は,先程彼が口にした言葉に収束する。
出口があるなら,誰だって入ることが出来るし,出ることも出来る。
一人しか出られないというのは,ルールがあったとしても物理的に実現できないはしない。
するとサンクタスは,一旦彼女の手術台から離れて背を向けた。
「ここは今の君が思っている以上に,特殊な場所なんだ。この監獄は一人しか出られず,その一人が帰ってくるまで,他の者は出られない。これは掟。破られない絶対のルール。看守である僕達であっても,逆らえない」
「そんなの,非現実的すぎるわ……有り得ない……」
「非現実,か。だったら聞こうかな。君が今見ている現実は,一体何処にあるんだい?」
白衣を着た彼の背中が,エレシスの目にやけに映えて見えた。
「何を……」
「僕は僕の時間しか知り得ない。君も君の時間しか知らないだろう? 今会話をしている僕が,本当に君と同じ時間軸に存在し,思考し,生きているかなんて分からない。もしかしたら,君の見ている僕の本当の時間軸は,遥か未来にあって,今の僕は過去の記録に沿って,動いているだけかもしれない」
「……」
「現実,非現実,そんなものはこの世界に必要のない概念だ。各々が自身の時間軸を持って生きている以上,それは他人にとっての非現実的へ変わるからだ。だから僕も,この監獄で生き続けることにした。他者と僕との時間軸を共有することで,僕は僕であり続けられる。この場に存在できる」
振り返ったサンクタスは,自身の胸に手を当てて,敬意を示すような大袈裟な動きをする。
彼の言葉は,エレシスには殆ど分からなかった。
何かの妄執に憑りつかれているようにしか見えない。
ただエレシスの過去を知っている,それだけは確かだった。
「……貴方の言うことは半分も理解できない」
「そうかい。それは残念だね……」
「でも知っているなら,教えてほしいの。私が一体何をしたのか」
「そんなに知りたいのかい? 自分が犯した罪を?」
エレシスは真っすぐにその男を見上げる。
知る必要などない。
そう言いたげな彼は,長い息を吐きながら首を振った。
「僕に全てを語る権限はない。ただ一言で言うなら,君の罪は,君の心そのものだね」
「どういう,こと?」
「どうもこうもない。全ては君の弱さが招いたことだ。僕から言えるのは,それだけだ」
心の弱さ。
それを聞いた時,エレシスに芽生えたのは違和感だった。
何かが間違っている。
今ここにいること,ここで捕らえられていることが,根底から間違っている。
そんな強烈な違和感が全身を取り巻く。
だがそれも一瞬。
その正体に気付くよりも先に,サンクタスが動き出す。
彼の手にはいつの間にか,先程見た黒いリモコンが握られていた。
「さぁ,始めよう。新たな手術の開始だ」
「や,やめて……! 何をする気……!?」
「君はあまりに弱い。今まで起きたことを,全てを忘れてしまう程に。ならば,僕の是正で君の心を盤石なものへと変えてみせよう」
あのリモコンは,患者達を操作するために使用していたもの。
これから彼が何をしようとしているのかは,エレシスにも想像がついた。
電気的信号の赴くままに行動する人形。
ベッドで目を開いたまま静止している彼らの姿を,彼女は再度思い出した。
「そうすれば,君が苛まれることは無くなる。あのゴーズにも,決して呑まれることはない……!」
「い,いやっ……! 来ないで……!」
エレシスは小さな悲鳴を上げる。
だが手足が縛られているため,どう足掻いても動けない。
黒いリモコンがゆっくりと向けられ,思わず目を瞑る。
直後,手術室にあった扉が激しく叩かれる。
それはノックではない,扉を突き破ろうとする力強いものだった。
エレシスだけでなく,サンクタスも何事かと後ろを振り返った時,それは開け放たれる。
「エレシス,無事かッ!?」
シャベルを持ったクレイヴが,手術室に飛び込んで来た。




