過去の幻影
「そう……確か,とても大きな町で人も賑わっていたわ」
エレシスは呟きながら,かつての光景を思い浮かべる。
大都市ヴェスタ。
彼女の生まれ故郷であり,幼い頃から過ごしていた地でもある。
そこは高層の建物が数多く立ち並ぶ,国内有数の都市だった。
常に人が往来し,交易も盛んに行われている。
最新の情報が集う場でもあったため,活気が途切れることはなかった。
「私も両親や姉と一緒に,大きな屋敷に住んでいたの。他にもメイドさんとか,色々な人がいたわね」
「大都市にある屋敷,か。やっぱりお嬢様じゃないか」
「まぁ,そうかもしれないけど。私としては,あまり良い気分ではなかったわ」
「え? どうして?」
不思議そうにクレイヴが尋ねる。
身分が高く,何不自由ない生活があるなら不満などないのでは,と言いたげだ。
しかし彼女は,思い出した過去の格差を口にした。
「多分だけれど,あの都市で私の屋敷はとても大きかったから,他の人との違いがハッキリ見えたのよ。同い年の人だけじゃなくて,大人も何処か一歩引いているみたいで。敬意というか,畏怖というか,そんな感じばかり」
「あぁ,そういうことか。まぁ,権力者の娘に気安く話しかけたら,何があるか分からないしなぁ」
納得したように配管工が頷く。
「でも,クレイヴは割と気安いわね」
「ん? もしかして怒ってる?」
「何かと怒ってる風にするのね……」
「だって顔が」
「別に怒ってないわよ」
「え,でも」
「怒ってないから,ね?」
「あ,はい」
ちょっとした皮肉を言っただけで,この誤解のされようである。
自分の容姿に自信が無くなってくるエレシスに,クレイヴは参ったように乾いた笑みを浮かべる。
「あ~,もしそっちの方が良いって言うなら,敬語に直しますよ?」
「急に敬語にされても,変な感じしかしないわ……。どうせなら,最初から敬語にしてくれれば,割り切れたのに……」
「う~ん。それはすまない」
敬語を使っていないからと言って,特に彼女が咎めることなどない。
令嬢である以前に囚人であり,歳も彼の方が上である。
今更そんなことを気にする理由はない。
唐突に敬語にしたクレイヴは,それを理解して唐突に元に戻す。
何とも凄まじい程の,変わり身の早さだった。
「で,結局エレシスには仲の良い友達はいなかったのか?」
「人をボッチみたいに言わないでよ……。でも確かに,和気藹々みたいな友達はいなかったわね。元々,あまり屋敷から出たことも」
そう言いかけて,エレシスは不意に声を止める。
手にしていた大樹の写真に視線を落としていたからか。
過去の光景と共に,とある人物が思い出される。
「いえ……。一人,いた気がするわ……」
「おぉ。そうなのか」
「少し年上の男の子で……。この大樹の下で,よく待ち合わせをしていた,気がするわ……。確か……名前は……」
ヴェスタの大樹で度々あっていた少年。
一体どんな姿で,どんな顔をしていただろう。
だがそれを思い出そうとした瞬間,彼女の頭に雑音が鳴り響いた。
炎が見える。
何か,思い出してはいけないものがある。
急に恐怖を覚えたエレシスは,両手で頭を押さえた。
「ど,どうしたんだ?」
「頭が痛くて……それ以上のことが……」
「無理に思い出さなくて良い。ゆっくり深呼吸をしよう」
少し慌てるクレイヴの指示に大人しく従う。
幻の炎から目を背け,今いる藁半紙の部屋を目に焼き付ける。
すると次第に頭痛と恐怖心は去り,例の少年の姿も闇の霧に遮られていった。
今の感情は何だったのだろうと思うエレシスに,彼は一つ咳払いをした。
「大丈夫か?」
「ええ,問題ないわ」
「ま,何にせよ。エレシスを待っている人はいるんだな」
「で,でも……そんなの昔の話よ……? あれから大分時間が経っているし……」
「仲が良かったんだろう? そういうのは,どれだけ時間が経っても,簡単になくなるようなものじゃない筈だ」
彼はそう言うが,時の流れは今まで築いてきたものを風化させる。
家族の絆であっても,それは同じなのだ。
両親だけでなく姉まで面会に来なくなったエレシスは,その意見に反論しようとする。
しかし割って入るように,部屋全体にアナウンスが鳴り響いた。
どうやら,院内全域に向けた音声のようだった。
『問診の時間です。全員,中央集会室に移動しなさい。繰り返します。問診の時間です。全員,中央集会室に移動しなさい』
突如告げられた問診に,二人は訳も分からず惑う。
今まで影も形もなかったが,ここには医者のような立ち位置の者がいるらしい。
或いは,その人物こそがこの下層の看守を担っているのかもしれない。
「い,今のは……?」
「一度,部屋から出てみよう」
事態を把握するため,エレシス達は藁半紙の部屋を後にした。




