第9話を調べんと
政略結婚したいと思ったことがある。なぜなら、必然的に結ばれなければならないからだ。その義務感や使命感が俺にとっては心地よいものに聞こえてくるのだ。
俺はメルトゥーリから人を疑うことを教わった。俺は母から相手ごとに顔を使い分けることを教わった。要は相手の仮面の下を覗こうとしつつも、自分の仮面の下は見せないという教育を施されたと言っていい。そこで生じるのが本心に対する疑念だ。
ベアトリーチェは俺に惚れたという。しかし、俺はその背景を勘ぐってしまうわけだ。
「やっぱり。若様、オルドー領の税収は年々低下しています。いわゆる財政難なのかもしれません」
狼の国首都ウルフェンスのウォーカー家所有の屋敷には膨大な調査資料が存在している。それは注視すべき勢力や近しい勢力の実態を調査し、まとめられた資料であり、屋敷の地下にある資料室に厳重に保管されている。必要に応じて母に送ったりもしているそれは…様々な勢力の動向を探るのに不可欠なものとなっていた。もちろん、オルドー男爵も例外ではない。中立派がどちらの派閥につくか、それは注目すべき用件だからだ。ウォーカー家でも資料室が存在するのだから、おそらくこちらの動向も様々な連中に探られているのだろう。
「原因は?」
俺は机の上に散らばる無数の資料を漁りながら、隣で同様の作業に徹する女の使用人を横目に捉える。
「事業の失敗ですかね?10年前から着手していた綿花栽培から手を引いています」
彼女は資料室の管理者ノーラ・ヴィオラ。自ら「そばかすと丸眼鏡が似合う女」と語る彼女は資料室を管理するにあたり、全ての機密情報を閲覧できる権限を持っているウォーカー家にとって極めて重要な人物だ。仮に一族で発言力を有しない俺と機密情報を抱える彼女が集団に拉致された場合、ウォーカー家は彼女を第一に考えるだろう。
尚、最悪の場合…彼女には自害するようにとの命令が父から下されている。そのため、彼女は毒針と小剣を常に携帯していた。尤も、一通りの拷問訓練を施されていて、服で隠された背中や腕には様々な種類の痛々しい傷跡が見受けられる。そんな彼女を守るためにも俺は資料室を地下に設け、彼女をそこに閉じ込めてしまった。
「綿花?…撤退理由は?」
「穀物や野菜などを生産する畑を潰して綿花栽培に転換したようですが、食自給率の低下が著しく…オルドー男爵の独断で綿花をやめたようです」
「領民が餓死すれば綿花も作れないということか」
「それもそうですが………え~っと、何かあったような…」
ノーラは何かを思い出そうと首を傾げて数秒間固まる。そして何かを思い出したように俺が偶然手にしていた紙を覗き込み、そこに書かれていた一文を指さした。
「ウラジ商会がオルドー領から手を引いた?」
「はい。男爵は綿花の取引をウラジ商会を通じてやっていたため、独断で行われた綿花事業撤退を受け、関係は悪化。ウラジ商会は首都に拠点を持っている巨大商会でしたので、交易力の低下が避けられないものとなったようです」
ウォーカー領にある妖精商会はウォーカー家が運営しているが、これは結構なレアケースであり、多くの領地では商人と個々に契約を交わし、自分の領地で作ったものを代わりに売ってもらう。しかしオルドー領ではその商人を失い…売り手がいない状態となったため、生産分の収益を得られなくなったようだ。
「それに加え、ウラジ商会が担っていた塩などの調達もなくなり、物資不足が起きつつあるそうです」
妖精商会は塩や材木を売る代わりに領地では作られていない穀物類を買い込んでくる。そうすることで各領地間の需要と供給が成立し、商人達も喜んで売買を行い始める。その輪から外れたオルドー領は作った綿花は売れないし、必要とする塩なども手に入らない、何とも恐ろしい状況だ。
さてさて?ノーラが塩などと、わざわざ塩だけを挙げてくれた気遣いからわかるようにオルドー男爵の狙いが見えてきた。
「目的は妖精商会に接近することか?」
「オルドー領は海に面していませんからね」
「オルドー領が持っている資金はどれくらいと予想されている?」
「我が領の10分の1…それ以下です」
妖精商会を味方に引き入れることで物資問題の解決を図るのが魂胆か。しかし俺がベアトリーチェと結婚したところで、妖精商会としては何1つとして儲け話はない。資金力に乏しい領地と取引するよりロナド領のところのような大口取引をしたいと思うのは当たり前だ。おそらく母も縁談が来た段階でこのことに気づいている。だから俺に任せてきたのではないだろうか。
「そうなると断る一択になるな」
商売大好きな父の言葉を借りれば「貧乏人相手だと貧乏がうつる」。同じように財政難は飛び火する。今、オルドー領と付き合うのは得策じゃない。
「私も賛成です。綿花栽培が食糧問題につながることは予見できましたし、それができない相手とは付き合いたくないものです」
この際、ベアトリーチェの本心などどうでもいい話だ。彼女が本当に俺に惚れていた場合でもオルドー男爵に利用されているだけということになる。
「オルドー男爵も失敗するというわけだ」
とりあえず、オルドー男爵の評価を改めるか。
「ふむ…母ならどうするか」
俺に任せるとはつまり「適当な判断をするように」ということだ。しかもただ断ればいいというわけでもないらしい。
何も、断るために会いに行くなんて考えてはいけませんよ?
母はそう言った。やはり母はオルドー男爵と繋がっているのか。
「なぁノーラ、オルドー領に価値を見出すとしたら?」
現在、オルドー領には特別な需要が存在しない。領民で食べきれない野菜などをチマチマと売っているだけだ。ウォーカー領のように大量の塩が用意できるわけではない。しかも事業の失敗と大商人の撤退が痛手となっている。
母は断ることに少しばかりの抵抗を見せた。それは気まぐれ?…いや、ありえない。母はそういうことをいう人物ではない。不要なものはあっさり捨てられる人だ。
「価値価値…」
ノーラはまた首を傾げて固まった。彼女の知識量は母をも超える。あえて胸を張って言うが、その彼女もわからないことは俺にもわからん。
しかし今回は運が良かったらしい。
「あ、そういうことですか。若様、ありましたよ!」
ノーラは弾けるような笑顔を見せて、机の上の資料を漁りまくり、1枚の紙を抜き取った。
「これです」
ノーラはその紙を俺の目の前に掲げる。
「最新の地図?……あっ」
なるほど。そういうことか。