第7話は知の巨人いる聖域で
父は腕っぷしが強く、およそ30年前に起こった戦争でも活躍したと聞く。そして、数字にめっぽう強かった。それが指すところは商売や財政に強いというだけではなく、戦場でも兵や兵糧の管理に役立ち、軍隊を数と捉えることで無駄のない、合理的な指揮をしたらしい。しかし、父は貴族にして貴族でないような無作法ぶりを見せ、社交界では完全に浮いていた。ちなみにウォーカー領の領民はその屈強さや熱量の多さから度々「蛮族」と揶揄されているので、戦地で牙を見せた父はその典型だったのかもしれない。
ウォーカー領は軍事力と資金力に優れていたが、父は国王や大臣、他の領主といった方々との付き合いが壊滅的に下手だった。いや、正確には「把握できていない部分」を苦手としているのかもしれない。
戦場では「目の前の戦闘に勝利する」ことを目的に奮戦し、商売では「現状で最も利益を得る方法」を探していた。おそらく、その先が見えていないのだ。勝つことで、儲かることで発生する結果など考えておらず、誰と付き合うことが「最終的」に得なのか考えられないのだろう。
今は亡き先代当主の祖父曰く「やつは戦闘に勝つが、戦争に勝てない」とのことだ。
そこへ1人の侯爵令嬢が嫁いでくる。母メアリ・スフィアだ。母は数多くの家庭教師に厳しく育てられ、その洗礼された身動き1つ1つが父とはまるで正反対の存在だった。そして母が持つ豊富な知識と社交界で鍛えられた観察力は父が喉から手が出るほど欲した才能で…すぐさま重宝されるようになる。
例えるなら、母は目標を定める弓であり、父はその目標に向かって放物線を描く矢となる。
では俺が首都の話をするのはどちらになるだろうか?
「ジョージです。入ってよろしいでしょうか?」
翌日、午前中はサムライ・ヨシムネと剣を交えて稽古をしていたが、午後になると両親が帰ってきていた。
彫刻が綺麗な木製の扉の前に立って、中の反応を待っていると、扉がゆっくりと開き、メイド長メルトゥーリが顔を覗かせた。
「どうぞ、お入りください」
メルトゥーリに道を譲られた先に座っていたのは…
「お久しぶりです。母上」
母だ。まるで人形のような静かさは家格ある家の令嬢だったのだと思い知らされる。そして、父やトマスとは比べ物にならないほど華奢で、俺は母に似たのだろうと毎回思ってしまう。
「1年ぶりね。疲れてない?平気かしら?」
「昨日はその…………早く寝ましたので」
後ろからメルトゥーリが小さく吹き出したが、母は気にすることなく、俺の前まで歩いてくる。
俺が足を踏み入れたのは白を基調とした母の書斎。壁一面の本棚に挟まれ、美しい庭園を一望できる窓を背に置かれた机には本が山積みにされている。本しかないその部屋は広いはずなのに、異様な圧迫感に包まれ、華奢な母も大きく見えた。母の書斎は母を知の巨人たらしめ、限られた者しか入室できない聖域となっていた。
「そう。それなら良かったわ」
聖域では時間が止まる。活気ある領内において、これほどまでに静寂な場所はあるだろうか。
「一応、執事長からは全て聞いているわ。でもまさかアイシア様が皇太子妃になるのは予想外だったわ」
母は俺の腕やら顔やらを触りながら、面白そうに話す。
「予想外だったんですか?」
俺が報告したのは今回参加したロナド伯爵の催した舞踏会での様子についてだ。俺はそこで誰と誰が繋がっているかを密かに注視し、状況によっては首都での行動方針を見直さなければならない。そして今回はその状況に動きが見られていた。
「だって伯爵家の令嬢なのよ?私はてっきり…クビアト侯爵あたりが候補を出すと思いましたのに」
母は俺を触る手を止めると、小馬鹿にするような笑顔を見せた。静寂の中で時折見せる母の人を蔑むような顔は背筋が凍り付くほどに恐ろしい。しかし、母が笑顔を見せるということはまだ余裕なのだろう。
ここ数代の王妃に伯爵家出身者はいない。全員が侯爵か公爵家の出身だった。そのため母は家格的に弱いアイシアが皇太子妃に選ばれることはないと踏んでいたのだが、2つの予想外の要因で予想を外す結果となったのは事実だ。
「噂ではユフィ様は身体が弱く、皇太子と会う以前に病床につかれているとか」
まず第一に対抗馬が弱かったこと。クビアト侯爵の長女ユフィがアイシアの対抗馬として名前が挙がるも、本人が表舞台に姿を見せず、何かを患っているという噂が広まっていた。クビアト侯爵も隠し通すつもりだったらしいが、情報の出所を全て塞ぐのは不可能だろう。
「エイゲルス公爵のところにも1人、美しい方がいたと思うのですが?」
「リリーナ様は………噂の1つ聞きませんね。ベイルに探らせてはいますが、公爵家の動きは見えていません」
もう1人、リリーナ・エイゲルスという公爵令嬢がいるのだが、そちらは何1つとして身動きを取っていない。最初から皇太子妃の座を狙っていないのか、それとも別の目的があるのか…
「まぁ、アイシア様も美しくなったと聞きますし、リリーナ様に黒星をつけたくなかったのかもしれませんね」
しかし最も大きな要因は皇太子ジルバがアイシアに夢中だったことだろう。アイシアは家格以外、文句を言うべき場所も見当たらず、対抗馬もいない1人勝ち状態なわけだ。
「つまり今後は伯爵家が力を持つようになるでしょうが、私達は中立を維持します。いいですね?」
国政での派閥は大きく分けて3つ。
現在の領地制といった地方分権に賛同する分権派。
国王に権力を集中させ、中央集権を目指す集権派。
どちらにもつかず、情勢を静観する中立派。
分権派筆頭は皇太子自身だ。彼は国王が統治している現状をそのまま引き継ぎ、維持していくことを考えていた。国王の後継者としては理想的で、現在に不満のない者は分権派に属することが多い。
一方で集権派筆頭は王位継承権第2位の第二王子だった。尤も、第二王子は頭が悪く、虚栄心の塊ともいえるほど王族としての品位が欠けていると囁かれるのだが、その第二王子をうまいこと利用できないかと画策しているのが集権派の本質だ。要は皇太子を嫌う勢力で、第二王子をお飾りの国王にすることが目的なのだ。
中立派は基本的に政治に興味がない貴族か、どちらにつくのが得かを見定めている貴族が多く、分権派からも集権派からも熱烈なアプローチを受けている。
ちなみに我らがウォーカー子爵家は中立を宣言しているが、かなり特殊な立ち位置にある。というのも、母の実家であるスフィア侯爵は集権派の重鎮なのだが、妖精商会が強いパイプを持つロナド伯爵は分権派…しかも皇太子妃を輩出しようとしている貴族。貴族としては力が弱いウォーカー子爵家は母の意向により、強い権力者のどちらにもいい顔をすることで生き残る道を探している。中立派の多くは「どちらを選ぼう?」と迷うのだが、母は「どちらも選んだ後で、いらない方を捨てれば良し」と考えたのだ。下手をすれば実家とも対立してしまう母の決断力は計り知れない。
そして首都の社交界に身を投じる俺はどの貴族にもほどほどにいい顔をして立ち回らなければならない。それは対応に一歩間違えれば、どちらの派閥にも見限られるという可能性もあるわけでリスクは大きいものの、リターンとして、どちらも選ぶことでどちらからも甘い汁を啜れる立ち位置を手に入れた。
そういう点においてはロナド伯爵がスフィア侯爵に並ぶ影響力を持つこと自体は嬉しい誤算なのかもしれない。何事もパワーバランスは大切だ。
「わかりました。まだ様子を見ます」
「若いのに苦労をかけますね」
母は俺に背を向け、机の方に歩き出す。すると、俺の後ろからさっきまで空気と化していたメルトゥーリが抜け出て、呼び止められた母の耳元で何かを囁いた。
「あぁ、そうでした。ジョージ」
母は何かを思い出したようで、振り向き様にそれはもう上品な笑顔をしていた。そして両手を合わせ、俺を見て小首を傾げる。
「あなたに縁談がきているのでした」
おや?それは一体…