甘い第12話に咲く黄色の花
「え?ジョージ様ですか?」
…どうやら誰が来ているのかも知らされていなかったようだ。
顔を覗かせた後に申し訳なさそうに部屋に入ってきたベアトリーチェは目を少しばかり見開き、出入り口の前で固まった。
「あぁ、ちょうど男爵と難しい話をする予定があってね。それに…………あれだ」
なんか照れるな。こういうの。
「君が俺に興味があるようだから、俺もそれなりに気になった。会うだけならタダだろう?」
ベアトリーチェは頰の紅潮を隠すように俯いた。
正直言うと、縁談を当事者同士に任せるとは母も無責任だと思う。オルドー男爵もだ。ベアトリーチェは17歳。俺は18歳。若者だけでどうしろと。
「あ…あの…すみません。ちょっと待ってください」
「待つとも」
ベアトリーチェはその場でゆっくりと深呼吸をした。そしてこれまたゆっくりと顔を上げると、紅潮は引き、落ち着いた様子で1歩を踏み出した。
「お待たせしましたジョージ様」
ドレスの裾を持って頭を下げると、そこには俺が知っているベアトリーチェがいた。
「お見苦しいところを見せて申し訳ありません」
「いいや、俺も同じ状況なら驚くさ」
俺は座ったまま、ベアトリーチェに座るよう促し、彼女が向かいに座るまで彼女の全身を目で追いかけた。姿勢よく歩くその姿にはよく教育されていることが示されていた。
「失礼します」
向かいに座ったベアトリーチェはオルドー男爵によく似た淀みのない瞳で真っ直ぐ俺を捉える。すると、なぜか彼女は深く頭を下げてきた。
「べ…ベアトリーチェ?」
俺の疑問の声にベアトリーチェは頭をあげる。そして彼女は真剣な表情で口を開いた。
「ジョージ様、私はあなたをお慕いしております」
「お…おぉ」
いかん。押し切られる。それだけの圧が込められた口調だ。
俺はどうにか言葉を探そうとするも…見つからない。
「お父様は私に任せると仰ってくださいました」
君もか、などと思ってしまう。そもそもオルドー男爵的には格上の子爵家と繋がりが持てるのは美味しい話だ。別に反対する理由も見つからないだろう。跡取りも7歳のフェリがいると聞く。
「なので、私からその…申し込みさせていただきました」
ベアトリーチェの真剣さが俺の肌を震え上がらせ、ようやく俺は言葉を見つけた。
「まず聞きたいんだけど、俺ってどこかいいところあるかな?」
どこが好きなのか、それを探るのはチェスで言うところのオープニングのはずだ。サムライ・ヨシツネが教えてくれたイゴなら定石といったか。
「私はもう17になります」
こちらの質問も想定内か。
「この歳になりますと、多くの貴族の娘は婚約者を作っていてもおかしくはありません」
「確かに。まぁ、男側も数が限られている分、全員がそうなるとは限らないけどね」
昔はそうでもなかったようだが、最近は特に貴族同士の結婚が多い傾向にある。身分社会が長く続きすぎた影響で、やたらと権力だの利権だのを追求する貴族が増え、特権階級である貴族の子と婚姻関係を持ちたいと願う親が増えたらしい。
「しかし我がオルドー家は男爵。つまり貴族の中では下位です。残念なことに私よりもっと価値のある女性がたくさんいます。リリーナ様やユフィ様、あの方達と比べると私など小さき者です」
「……………つまり、彼女らには勝てない。だから競争率の低そうな俺に目を付けたと?」
俺の勝手な解釈にベアトリーチェは小さく頷いた。
「男爵家の長女と子爵家の次男…誰も横槍は入れないでしょう」
「早いところ婚約者探しから抜け出したいというわけだ」
数年後にはヒンデンブルク侯爵やヴィスコンス伯爵の娘達も社交界に出てくる。そうなると、家柄も実績も乏しいベアトリーチェが椅子取りゲームのような婚約者探しに勝つことは難しくならざるを得ない。貴族同士を望むなら婚約は早い方がいいのだろう。しかしだ。
「気分を悪くしたらすまないが、焦って俺に妥協するよりかはもっと影響力のある市民がいるはずだ。領地の権力者とか。その辺はどう考えている?」
身分社会ではあるが、市民階級の影響力も馬鹿にならない。その代表例がオルドー男爵とウラジ商会だ。ただの商人が領地から退くだけで領地は相当な被害を受けている。そうした意味でも貴族は貴族とだけ繋がっていればいいわけではない。まぁ、政治とは疎遠な位置にいる女性にする話でもないのか?
ベアトリーチェは表情こそ変えなかったが、膝の上に置かれた手がゆっくりと動き、両手の指先が静かに合わせられていた。その癖はオルドー男爵にも見られ、男爵曰く「指先で脈拍を測ることで自分がどれだけ緊張しているかを知り、同時に落ち着かせることができる」動作らしい。
「今まで話してきたことはあくまでも建前です」
世間体を気にした理由付けということか。ではベアトリーチェの本音は?
俺は無意識のうちに固唾を呑んだ。
「先に申し上げたように、私はジョージ様をお慕いしております。これは変わりようのない事実です。そのため、私は他の誰かと結ばれることを望んではいません。それが今の問いに対する答えです。そして、最初の問いに対する答えは…」
一瞬だけ視線が逸れた。
「い、言わなくてはいけませんか?」
頬が再び紅潮する。
え、やだ、可愛いんですけど………じゃなくて。
「是非とも聞きたいね。俺の対外的評価は気になるところだよ」
「それはその…」
ベアトリーチェは合わせた指先を外し、固く両手を組み合わせる。
「周りをよく見ているところや立ち振る舞い…それと…か、かっこいいですし…」
ベアトリーチェは俯いて顔を隠したが、耳まで赤くしているのが見えてしまう。その様子には何とも言い表せない愛らしさがあった。
「そうか…ふふふ…」
いかん。妙に笑えてくる。
あえて謙遜はしないが、俺も美形が多い貴族の端くれ。それなりにはいい顔を持っていると自覚している。顔は筆や剣よりも立派な武器になる以上、自分の顔の性能は理解しておくべきなのだ。
しかしいざ「かっこいい」などと言われると……いいや、社交辞令的なものなら動じなかったか。これはベアトリーチェの本音な部分に動揺したのかもしれない。
「ジョージ様…?」
ベアトリーチェが俯きながらも、ちらりとこちらを窺ってくる。
「ああいや、すまない…君は可愛いな」
「そんなことは…!」
ベアトリーチェの初々しい反応を見ているだけでこちらの頰が緩む。
「あの……ジョージ様は私のこと…どう思われていますか?」
残念なことか、俺はその初々しさの半分をどこぞの娼館に置き忘れ、もう半分をメルトゥーリにかすめ取られた。
「失礼ながら、俺は君をあまり意識したことがなかった。だから印象としては男爵の横にいる令嬢、というだけだった」
事実を可能な限り端的に述べると、ベアトリーチェは顔を上げて目を見開いた。
「しかしだ」
「え?」
最初は割と否定的ではあったが…
「今こうして話をして、君に興味を持った」
ベアトリーチェ、悪くないかもしれない。
「婚約とまではまだ言えないが…どうだろう?今度、どこか一緒に出かけないか?」
ひとまず保留だ。
ベアトリーチェの顔も一変して笑顔になる。
「よ……喜んで!あっ…ぜひご一緒させてください」
ああ、やっぱり可愛いぞ。