何を思う第11話
2時間にも及ぶ話し合いの末、俺はオルドー男爵と笑顔で握手を交わした。もちろん、縁談以外の部分は双方が納得できる結果を導き出した。
その結果、オルドー領には妖精商会の下部組織であるシューマン商会を送ることを約束した。シューマン商会は下部組織の中でも小さい組織だが、オルドー領の要望に応えられるだけの力はある。それにそこの会頭であるレス・シューマンはメルトゥーリに付き従っており、色々な意味で動かしやすかった。彼らと上手に付き合えば、オルドー領の物資問題は解決に向かうことだろう。
尤も、母が望んでいる結果はこれではない。
それに正直なところ、その結果は俺にとってあまり影響を及ぼさず…個人的にはどうでもよかった。
簡単な話をすると、妖精商会のお得意様である某領への近道に使わせてくれませんか?というだけのことだ。まぁ、街道整備やら治安維持やら、色々なオプションも加えられているけども。
妖精商会はウォーカー家にとって重要な位置にある。そして資金調達と情報収集という観点から通行の効率は切っても切り離せない。資金も情報も鮮度が命なのだから。そこに近道ができる可能性があるのなら、母が見落とすなんてことはありえないのだ。そんなわけで改めて母の言葉を思い出す。
何も、断るために会いに行くなんて考えてはいけませんよ?
俺は最初、オルドー男爵と母が繋がっていて、縁談に否定的な態度を見せた俺に対して、少しだけ援護射撃を行ったものと考えていた。まだ利用価値がないと決めるのは早い、という意味合いだと思っていた。
しかし、ノーラに見せられたオルドー領周辺の地図を何度も確認し、そもそも利用価値が存在すると知った時から別の意味があることに気づいた。
「断るならそれ相応の結果を持ってこい…か」
「ジョージ君?」
「ああいえ、お気になさらず」
何はともあれ、相応の結果は獲得した。多分、この結果が獲得できなかったら強引に縁談を進められたかもしれない。そう思うと背筋が凍るが、同時に安堵の溜息も漏れるというものだ。
「アベーレ!ベアトリーチェを呼んでくれ!」
残ったのは純粋無垢な縁談だけか。
オルドー男爵は紅茶で喉を潤し、俺に美男の眼差しをくれるわけだが、そこには男爵としてではなく、1人の父親としての面持ちが見え隠れする。
「ジョージ君、私が言うのもあれだが…娘はいい娘に育てたと思う」
「今更ですね。それに私は男爵を尊敬しております。その男爵の娘とあれば、悪くなるはずがないでしょう」
本当に断りにくいことを言いますな男爵……とは思っちゃいかんな。しかしまだ恋に悩める青年である俺にあまりプレッシャーをかけないでくれとは思う。
「そう言ってもらえるとありがたい。しかし私もジョージ君と同じ男だ。君に思うところがあるのは多少なりとも理解している。あとは当事者同士に任せるとしよう」
オルドー男爵が席を立ったので俺も立つと、そこで改めて握手を交わした。
「ありがとうございます」
最後に多くの女性を落としてきた笑顔をし、オルドー男爵はゆっくりと応接間から去っていった。
おそらく、俺が早々に妖精商会の話を持ち出したことで、俺が縁談に否定的だと気づき、それを「思うところ」と言ったのではないだろうか。
本当に…俺より頭のいい人だ。ウォーカー家の狙いも実は知っていたのかもしれない。いや、その場合は母とオルドー男爵が実質的に繋がっていた可能性も…さすがにないか。
「リタもベイルのところに行ってくれ」
リタと2人きりになったので、立ったまま後ろを振り返る。
「ジョージ様、恐れながら」
今まで沈黙を保っていたリタが珍しく不安そうな顔をしていた。
「現状、どう考えていますか?」
「どうって…まだ何も。それとも…」
俺は一瞬だけ羞恥心を忘れ、リタに顔を近づける。
「俺はお前しか見ていないよ?……とでも言った方が?」
「失礼します」
即答だった。リタは一歩下がると、いつもと何も変わらない様子で一礼した。その後はこちらを軽蔑するような目をして足早に応接間から出て行ってしまった。
「ふざけすぎか。あとで謝ろう」
オルドー男爵と難しい話をした後にベアトリーチェが控えているとはこちらの集中力が保たない。多少ふざけてリラックスしたかったのだが…相手を間違えたか。
「ま、今はそれどころではないか」
残ってしまった純粋無垢な縁談。正直、俺の手には余る。
恋人はいないし、そうなりたいという相手もいない。縁談自体も悪くない。俺に好意を持っている相手が単純に気になる。
その一方で、軍部に内定が決まり、今も首都でウォーカー家のために働いている現状で……必要のないものではないか?邪魔にならないか?
足音が近づいてくる。貴族令嬢が好んで履く踵の高い靴の音だ。足音で慌てた様子は聞こえてこない。とても落ち着いた足取りのように聞こえる。
俺は椅子に腰を下ろし、それとなく出入り口を注目する。驚くべきか、変な緊張感に襲われる自分がいた。そう思うと、俺も年相応の若者なのだと、気負うことなく少しずつリラックスできているのもわかる。
足音の主は出入り口の手前で止まる。その時、一瞬だけ揺れたドレスのスカート部分が見えた。
「お父様、ベアトリーチェでございます」
澄んだいい声だ。しかし…。
「男爵なら退室しているよ」
俺が事実を教えてあげると、ひょこりと出入り口から顔だけが出てきた。
「あっ…すみません」
頰を紅潮させたのがすぐにわかるほどの白い肌に、オルドー男爵に似た優しい顔つきをした令嬢。間違うことはない。彼女がベアトリーチェだ。
俺は可能な限り肩の力を抜き、ベアトリーチェの目をしっかりと見て笑ってみる。
「いや、久しぶりだね。ベアトリーチェ」