お邸事情
ごはんを食べて、お邸のなかを探検して、執事さんと旦那様と遊んで、気づいたら寝てて……を繰り返してわたしは立派に猫をつとめている。
ようやく子猫の生活にも慣れてきた。親に捨てられたのか、親が死んでしまったのか、とにかくわたしひとりっきりで薪の隙間にいたそうだ。執事さんたちが探してくれたみたいだけど、結局それらしい猫はいなかったと言っていた。
もうすっかりうちの子だな、と旦那様は笑ってわたしの頭をなでる。大きな手が力強くわしわししてくるのは痛くて首がもげそうだけど、まったく悪気がないから困ったものだ。旦那様のことは嫌いではないし、あったかい気持ちになる。でも、なでるのはやめてほしい。力加減がよくなればよろこんで膝の上に行くのに。
旦那様になでられていると、すかさず執事さんがとがめてくれる。執事さんはとてもやさしい。丁寧に丁寧に毛並みにそってなで、耳の後ろや首をくすぐってくれる。それがとっても気持ちいいから困っちゃうのです。すぐに咽喉が鳴ってしまって、執事さんに笑われてしまうんだ。そうしていると、あっという間に寝ちゃうから執事さんは魔法使いだと思う。
そんな感じにお邸のみんながかわいがってくれるので、わたしは自分がどんな猫なのか気になっていた。
ちいさすぎて、鏡なんてのぞけない。どうしたものかと思いながら数日すごしたところ、メイドさんたちの休憩室にドレッサーがあることに気づいた。ドレッサーには椅子があるから、運がよければ誰かが身嗜みを整えているときに抱き上げてくれるかもしれない。
そう狙いを定めて、数回のお昼寝の合間に休憩室に顔を出していたら大歓迎されるようになってしまった。なんだか気分がよい。
今も執事さんにごはんを食べさせてもらったあとで、にぎやかな部屋にやってきたのである。ドレッサーには、メイドさんがひとり。わーい! 今がチャンス!
あら、シアちゃん。にこにこと迎えてくれるお姉様方に愛想を振りまくのもそこそこに、わたしはドレッサーにてててっと近づいた。
すみません、鏡見せてくださいー。だっこだっこー。みゃあみゃあ。つぶらな瞳で見上げると、やだあかわいい~とメイドさんたちがもだえた。ドレッサーの前にいたメイドさんも、喜んで抱き上げてくれる。やわらかい太ももは魅力的なんだけど、わたしは精一杯伸びてテーブルになっているところに手をかける。
のぼりたいの? やさしい声でそう言ったメイドさんが、わたしの希望をかなえてくれた。察してくれてありがとうございます。
ほっとしてから鏡に向き合う。すると、目がまん丸な子猫がいた。
か、かわいい。自分で言うのもなんだけど、これはかわいい。わたしが人間だったらもう、かまいたくてかまいたくてたまらないし、日々の癒しにしてしまうこと間違いなしである。そうか、こんなかわいい猫だったのかわたしは。
尻尾、耳の先っちょだけこげ茶色で、ほとんど白い毛並み。まん丸な瞳は緑色で、こぼれそうなほど大きかった。人間のときは平凡を絵に描いたような女子だったのに。猫でモテ期がくる予感である。
おおー、と自分の子猫っぷりに感心しつつ、自分が動くとかわいい子猫も動くので、なんだか楽しくなってしまって鏡に猫パンチしてしまった。メイドさんたちがどっと笑ってメロメロになっていたから、わたしはよけいに調子に乗ってパンチを多めにくりだしておく。
「いつまでヤギの乳飲ませるんだ? 肉とか食えねえの?」
哺乳瓶をわたしに向けていた執事さんに、ソファーから旦那様がたずねた。
どうやら毎日のわたしのごはんは、ヤギのおっぱいだったらしい。牛じゃないんだなあ。もしかしたらこのへんに牛はいないのかもしれない。ヤギを玄関先で飼っているとか? うーん、まだ町の様子はわからないなあ。春になったら外にいっぱい遊びに行こう。
執事さんの話だと、わたしの餌はヤギの乳に卵黄を少し混ぜたものらしい。草食動物のお乳だと、雑食の猫には栄養が足りないんだとか。執事さんはどこからそんな情報を仕入れているんだろう。
執事さんは手元をそのままにして、旦那様を振り返った。
「そろそろひと月経ちますから、試してよいころかと。食べられそうなら変えてしまいましょうか」
「おおー、シア。肉が食えるぞ」
よかったな! と明るい顔でわたしに言う旦那様へ、執事さんが冷静な声で付け足す。
「言っておきますが、旦那様のお皿のものを与えるのは厳禁ですので。味が濃いとよくないと聞いています」
「ふーん、そういうもんなのか」
執事さんは旦那様の考えなんてお見通しだ。不満そうな旦那様にさらに念を押してから、執事さんはお腹がいっぱいになったわたしの口元を丁寧に拭った。
旦那様も執事さんも、日本人だった記憶のあるわたしから見ると、海外の人なので年齢はさっぱりわからない。勝手な予想だと、旦那様は三十代後半かな。執事さんはそれより少し下に見える。
ふたりは主人とその使用人の関係だけど、とても仲がいい。ぽんぽん飛び交う会話は小気味よくて聞いていると楽しいけれど、執事さんはちゃんと旦那様を立てているし、旦那様は執事さんに一目を置いている。
「え? ご領主様?」
「そうよ」
バルコニーの雪かきをしている従僕さんについていったわたしは、手すりの隙間から真っ白な庭を見下ろす。おい、落ちるなよ。従僕さんがちらちらとこちらを振り返っている。雪かきがあまり進んでいないようだ。
大丈夫ですよー、ここから先には行きませんから。返事をしながらはらはら降ってくる雪に猫パンチをしていると、すぐわきに生えている大きな木にキツツキのお姉さんがいた。
ふわりと舞っている雪が見ているだけで楽しくて、わたしは飛びついたりパンチしたりして雪まみれだ。ねえさんの言葉に、雪の上にごろんとなったまま首をかしげる。するとねえさんは黒いまん丸の目でわたしを見つめた。
「領主って、あんたわかる? この土地を治めてる人ね。ここらへんじゃ、一番えらいの」
「ふーん」
「この町と山脈一体を治めているのが、あの獅子みたいな男よ。あんた、そんなことも知らずにここにいたの?」
呆れた声のねえさんに、わたしはただただ感心した。
「えらい人なのは知ってたけど、そんなにすごいと思ってなかったよ」
「まあ、変な家に拾われるよりよかったわね。ここなら可愛がってくれるでしょ」
「うん」
じゃあね。そろそろ入りなさいよ、雪に埋もれるわよ。ばさばさと羽音を立てて飛んでいくねえさん。ありがとうと尻尾を振って見送った。
言われたとおりお部屋に戻ろう。振り返ったわたしを、従僕さんが不思議そうに見つめた。おにいさん、まだ雪が残っていますよ。