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雪とワルツ  作者:
本編
3/17

寝る子は育つ

 旦那様と執事さんが仕事の話を始めてしまったので、わたしは部屋のなかをぐるりと見渡し、気になるものに片っ端から飛びつくことにした。

 子猫のわたしはとてもちいさくて、普通の机や椅子が巨人サイズに見えてしまう。クッキーをかじったアリスはこんな気持ちだったのかなあ。思いながら、ソファーの下にもぐりこむ。やだ、楽しい。埃のかたまりがひとつ、わたしの動きに合わせて逃げていく。待て待てー。あ、もう出ちゃった。綿埃をつかもうと必死に手をのばしていたら、ごろりとお腹が上になる。顔だけソファーから出てしまった。


「……シンシア、埃がついてしまっていますよ」


 シアはシンシアの略なのか。きょとんと見上げると、紫色の瞳。

 真っ白な手袋が降ってきて、やさしくわたしを抱き上げた。執事さんがわたしの毛にくっついた埃をはらってくれる。掃除が行き届いていないと眉を寄せた執事さんに、おろしておろしてとわたしは手足をばたつかせた。ぴょんと心地よい腕からおりる。くすりとうしろで笑う声がした。

 今度はどうしようかな。窓がちょっとだけ開いているらしく、ふわりと舞うカーテンが目に入った。たっと駆けてそのふちに飛びつく。

 おおう、意外とうまくつかめない。わちゃわちゃしていると、カーテンと窓の間に体がころがる。ぽかぽかした日差しがまぶしくて、きゅっと目を閉じるけどすぐに慣れてしまった。見下ろすと、雪に覆われた真っ白な庭。おおー! すごい! 寒そうだけどすごい!

 窓から冷たい空気が入ってきている。でも、今日はよく晴れているし、自前の毛皮はあたたかかった。降りそそぐ日差しに、雪がきらきらしていて、眺めている……だけで、楽しい……ぐう。




 はっと起きたら、窓が閉まっていた。縁がくもっているから、外はうんと寒いのだろう。雪が降り出したみたいで、音もなく庭を白く染めている。

 意外と早く落ちていく雪。動くものが気になるお年頃なので、ついつい手がぴくぴくしてしまう。いいなあ、お庭で遊びたいなあ。でも寒そうだから、今はいいや。雪に合わせてぴょんぴょん跳んじゃったあとで言うのもアレですが。

 くあぁとあくびをしながら背中をのばす。いつの間にかぐっすり寝ちゃっていたけれど、起きても猫。やっぱりわたしは猫なのか。夢じゃないみたいだ。

 記憶をたどっても、日本で生活していたことしか思い出せない。いつの間にか死んだのかなあ。よくわからない。とりあえず、今のわたしは猫だ。

 顔がむずむずするから手でぐにぐになてでみる。ああ、猫は舐めながら顔を洗っていたなあ。近所の猫を思い浮かべてまねっこすると、思いの外具合はよかった。なるほどね、こうして身ぎれいにすればいいのか。ふむふむ。

 ひとしきり顔を洗ったあとでカーテンから顔を出すと、旦那様が机で仕事をしていた。執事さんはいないみたいだ。

 顔半分でうかがって、そろりそろりと旦那様の背中に近づいた。くんくん。旦那様のにおい。

 椅子の下に入って、上から伸びる旦那様の大きな足をながめる。大きな革靴。今のわたしの倍以上ありそう。

 執事さんと同じようにぴかぴかに磨かれている。磨いているのは執事さんなのかもしれない。つやつやした黒い皮にわたしの影がきちんと映った。ぼやっとした白い影。わたしが動くとそれも動くから、なんだかむずむずしてしまってわたしは思いっきりそれに飛びついた。


「ぅお! なんだ、シアか。どうしたー」


 足を広げて旦那様が覗き込む。にこにこしたライオンさん。とってもうれしそうだ。大きな手が、わたしをひょいと持ち上げて膝の上にのせた。太い指がぐりぐりわたしをなでてくれる。正直、痛い。


「よく寝たか? 日なたはあったかかったろー。よしよし」


 痛いけど、すっごくうれしそう。うーん、しょうがないなあ。喜んでくれるなら、さわらせてあげよう。

 でも痛いから噛みつくのは許してね。自己主張は大事だ。もぐもぐ歯を立てると、旦那様は喉の奥で笑った。このお転婆め。細くなった目は鋭いけれどやさしい。

 くちゅくちゅと指を食べているわたしをそのままに、旦那様は扉が叩かれたのに返事をする。執事さんがやって来た。


「シンシアの食事の時間でございます」

「おー、シア。飯だぞー」


 ごはん! 食べる食べる! お腹すいた! 指から口を離して顔を上げる。旦那様の膝から机に手をかけると、執事さんがくすりと笑った。背が足りなくて顔は見えなかったけれど、空気が揺れた音が耳に届く。


「本当に、今日はどうしたのでしょうね。まるで言葉がわかっているようで」


 うっ、だってわかっちゃうんだもの。今までは赤ちゃんすぎてわからなかったのかなあ。困ってしまうけど、猫の表情は人間ほど感情を表さないはず。

 首をかしげたわたしに、旦那様がにやりとした。


「実は、すげえ頭がいい猫かもしれないぞ。これからいろいろ仕込むか」

「旦那様、言い方が下品です。――どちらにしろ、シアは私が責任を持って躾けますのでご心配には及びません」


 眼鏡のずれを直した執事さんに、旦那様が肩をすくめてからわたしに耳打つ。


「シア、嫌になったら俺のところに逃げてこいよ。いっぱいあまやかしてやるからな」


 はーい。指の腹で頭をなでてくれるのに、ごろごろと咽喉が鳴った。




 執事さんにごはんを食べさせてもらうと、満足感に支配されてしまった。

 居間は暖炉の火が燃えていた。わたしが寝ていたかごがあるそこは、たぶん居間だと思う。ゆったりしたソファーとテーブル。すみっこにわたしのトイレもあるのがにおいでわかった。ふんふん、用を足すのはそこなのね。粗相しないように気を付けないと。

 お腹が満たされたわたしは、片づけている執事さんの足にまとわりついてから、絨毯の上でひとり運動会を開催する。勢いよく駆けると気持ちよくて、弾む体が楽しい。

 ぴょんぴょんごろごろしていると、暖炉の炎の揺らめきが目に入る。とととととっと近づいて、顔が熱くなるところで足を止めてみた。


「シア、危ないから近づきすぎてはいけませんよ」


 はーい。わかってますよー。くべられた薪が赤く燃えている。本物の暖炉は初めて見たなあ。すごいすごい。あの揺れている炎に飛びつきたくなるけれど、執事さんに言われなくても伝わってくるその熱さが危険なのだと知らせてくれた。

 ぱちんと細かい火の粉が舞った。おおー、冬の音だなあ。暖炉ってどの部屋にもあるものなのかなあ……さっき、旦那様の部屋に…あった……ぐう。


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