第六話 四日目
今日はまだミルは来ていない。
牢屋に入れられ以来、毎晩会いに来てくれていたのだが。
昨日はノアと一緒に食事を運びに来て、それを一緒に食べ、いつも通り鉄格子越しに語り合っていた。
だが、今日はもう夜更け。
流石に一国のお姫さんが毎晩地下牢には来れないか。
「――明日は会えるよな?」
そう思いながら、牢屋に備わっている硬いベットに寝そべっていた時だった。
「遅くなって申し訳ない。お食事を持ってまいりました」
そう言って来たのは、漆黒のスーツがよく似合う細身の青年だった。
今まで出会った警備兵のような、いかつくて、それでいて俺を汚物でも見るような目の持ち主とは違い、長髪の隙間から見せる穏やかな表情と俺を人として見てくれている柔和な瞳も持っている。
そして、話し方一つでわかるほど上品な男だ。
「申し訳ない」なんて言葉、この城に……いや街に入って初めて言われた。
それどころか、もう何年も言われていないような……
それはともかく、今は飯だ。
ようやく届けられた食事を前に「よっしゃ! いただきます」と思わずはしゃいでしまう。
だが、困った問題に気付いた。
食べようとしても、今ここに食事を持って来てくれたのはお姫さんじゃない。
お姫さんなら食事中に目を閉じていてくれるが、この青年には何て言えばいいのだ。
「マスクマンは人前で素顔を晒せないので、目隠しをしてもらえませんか?」
なんて言ったら、食事を取り上げられてしまうだろう。
俺がアレコレ悩んでいる内に、青年は何も言わずその場から立ち去っていった。
運びに来ただけなんだな――
深く考えずに食事を口にした。
食べ終わった頃、またあの青年がやってきた。
片付けに来たのか? まぁいいか。
「ごちそうさん」
空になった食器を渡すと、青年から俺に語りかけてくる。
それは、唐突の発言だった。
「今から貴方の願いを一つだけ叶えましょう。但し、私が出来ることのみです。ちなみに、あらかじめ言っておきますが、私は王国の上級仕官です。さぁ、何でもおっしゃって下さい」
俺は即答した。
「飯を食ったから次は風呂だ! 風呂に入りたい! もう何日も風呂に入っていないんだ。あ、出来ればその時にマスクとビキニの洗濯も一緒にしたいのだが……そうなると願いが二つになるからダメか? 風呂に入りながら身体と一緒に洗うからさ。頼むよ」
――本当は願いに続きがあった。
「これ以上放っておいたら身体中臭くなって、ミルに嫌われちまう」
危うく言いそうになった。
ミルは恐らく俺に会いに来ていることは秘密にしているだろう。
もし俺がここでそんな台詞を言ってしまったら、自分の部屋から出ることを禁じられるか、四六時中見張りがつくかもしれない。
なにせ、地下牢にいる罪人と毎晩会っているのだから。
知られては、もうミルとノアに会えなくなってしまう。
願いを言い終わると、青年が今度は笑いだした。
「何がおかしい?」
俺が問うと、青年は目に笑い涙を浮かべながら答えた。
「これでは、王女が毎晩会いたがるのも仕方が無いですね」
「何だ――知っていたのか」
「えぇ、王女が私にだけこっそりと教えてくれました。それにしても、牢屋に入れられていた人なら『ここから出してくれ』と言うのが普通じゃないのですか? それを即答で風呂だなんて――見た目以上にユニークな方ですね」
あぁ、言われてみればそうか。
だが、俺は――
「確かにな。でも飯が食える。それに知っているなら言うが、ここにいればお姫さんと会えるからな。毎晩お姫さんと会って話が出来るなんて、それこそ『普通』じゃないだろ? 城から出たらもう会えることはできなくなるだろう。だから――とりあえず、今はこのままでいい」
自分の気持ちを正直に答えた。
すると、青年から笑顔が消え、真剣な表情を見せる。
「正直驚きました――貴方は本当に変わった方ですね。それに、ミル王女のおっしゃった通りの人です」
おっしゃった通り?
そういえば、王国の上級仕官と名乗っていたな。
「なんて言ってた?」
「非常にイジメがいのある、私を飽きさせない方だと」
あのガキ……
「そしてもう一つ――ノアの次に新しくできた、私の大切な友達だとおっしゃっていました」
そうか、アイツめ……やっぱり可愛いじゃないか。
「申し遅れました。私はミル王女専属の執事、アードベックと申します」
「あ、ご丁寧にどうも。俺はビキニマンです」
やらかしたー!
初対面なんだから俺から何者か尋ねろよ。
つーか、今頃気付くか?
それなのに――
「よっしゃ! いただきます」とか、言ってんじゃねーよ!
ヤンチャ坊主か俺は。
欲望至上主義がこんなところで発揮されようとは……
――まぁ、ここは気を取り直して。
「俺も、お姫さんからアンタのことは聞いていたよ。教育係なんだってな」
「はい。王女の教育係だけでなく、身の回りのお世話全般をさせて頂いております」
なるほど、専属の執事と言っていたな。
それでお姫さんが彼にだけ俺とのことを話したか。
それに、ミルはよほど彼を信用している。
そうでなければ話したりしないだろう。
しかし、だからこそ気になることがある。
「俺はもしもお姫さんの教育係に出会える機会があれば、どうしても一つだけ聞きたいことがあったんだ。いいかい?」
「なんでしょう?」
「ノアーズウルフの子供とお姫さんが一緒にいることを、アンタが許した理由だ!」
教育係は表情を変えず。無言のまま俺の話を聞いている。
「今でこそ俺も友達になったから、ノアのことを信頼している。だから、こんなことを言うのはノアに悪いと思う――だが、敢えて言わせてもらう。教育係ならお姫さんと出会った時点で遠ざけていたはずだ!」
以前、この会話でミルを泣かせてしまったから、できればもうノアを遠ざけるなんて言葉を口にはしたくはなかった。
だが、俺はどうしてもこの男を考えを知りたかった。
世間では決して相容れぬ『人』と『人以外の生き物』同士を、今も共に時を過ごすことを許した訳を。
「質問の意味はわかるよな? その時……いや、もしも将来何かあったらどうするつもりだ。まさか『思いつかなかった』と言ったりしないよな? 何故、アンタが傍にいて止めなかった。俺はアンタがその時何を考えていたのかを知りたい」
今まで沈黙を守っていた教育係が口を開いた。
「以前、ミル王女から私に直接願い事を言われたことがありました。何だと思います?」
「さぁな」
「『お友達になって』でした」
「…………」
俺と、同じだ。
「ですが、その願い事はお断わりしました」
「なっ……どうして? 断ることないだろう」
「……考えてもみてください。私はこの王国に仕える身。ましてや王女直属の執事です。一介の仕官である私が、王族であらせられるミル王女と個人的に親しくすることなど、許されることではありません」
「……言われてみれば、確かにそうかもしれないな」
「それから王女は、私と口をきいてくれなくなりました。お怒りは覚悟の上でお断りしましたので、王女が口をきいてくれなくなるのも当然のことだと思っていたいました。ですが、数日が過ぎた頃、突然王女が無言のまま私の足元にしがみつき、離してくれません。何事かと思い尋ねようとしたら、王女の方から私に『まだ怒っている?』とお聞きになられたのです」
今度は俺が無言になり、彼の話を聞いている。
真剣な表情に、横やりをいれたくなかった。
「私は、そのことが不思議でたまりませんでした。何故王女がこんな事をおっしゃったのか……怒られていると思っていたのは私の方なのに」
より一層真剣な表情になってくる。
「それなのに……お顔をあげた王女が教えてくれました――『嫌われたと思った……怖くて……喋れなかった』と――私は、王女がとても落ち込んでいたのを、その時になって初めて気付きました。王女のそんなお気持ちすら、察することができなかったのです」
教育係が一息つく
「貴方は、この王国の情勢はご存知ですか?」
「唐突に何だ? そんなこと知るわけないだろう。俺は三日前にこの王国に辿り着いて、すぐ牢屋に入れられたからのだからな」
「そうでしたね。この王国は小国ながらも貿易が盛んで世界有数の経済発展国なのです。王も、そして王妃も積極的に外交に取り組み、多忙な日々を送っています。ですから、王女は生まれてから王……いや、御両親と共に過ごした期間が余りにも短いのです。ミル王女は王族として生まれた為、いつも独りでした」
……独り。か……
「ですから――王女がノアと友達になった時に、例え将来危険な存在になる可能性があろうとも、私は止めませんでした……いや、幼少の頃からミル王女を見続けてきた私には、止めることなどできませんでした……ノアと一緒にいて、ミル王女の寂しさが一時でも紛れればと思ったのです――それに、もし今後危険を伴なう事態になろうとも、この私が命をかけてお守りすると心に誓っておりました」
言い終わると、俺を見つめる。
「そんな時です、突然貴方が現れました。貴方のことを話す時の王女の表情――あんなに楽しそうなミル王女の笑顔を、私は初めて見ることができました。貴方のおかげです――ありがとうございました」
感謝の意を示すと同時に頭を下げる。
そして、その姿勢を崩さない。
「オイオイ、アンタはお姫さん専属の執事だろうが。それに上級士官だと――と、いう事は、それなりに偉いんじゃないのか? そんな人間が、俺みたいな牢屋に入っている奴に頭なんか下げたら問題になるだろう?」
未だに頭を下げたままの姿勢で答える。
「私は、ミル王女の願いを断わってしまいました。そして、貴方はその願いを叶えてくれました。王女の、そして私の願いを……これで感謝を示さなければ、執事として――いや王女を想う一人の人間として申し訳がたちません」
コイツ……ここまでミルのことを……
「ですが……」
「ですが?」
「ですが、私は教育係失格ですよね……」
「あぁ……俺も、そう思う」
「……」
どうやら落ち込んでしまったようだ。
だけどな――『そう思っていた』のは、さっきまでだ。
今は違う。
「全く、お姫さんに怒られるわけだよ」
「怒る? 王女が何を?」
「あぁ。二日前だったな。ノアのこともアンタのことも、何も知らなかった俺は、お姫さんに向かってアンタのことを『教育係失格だ!』と言ってしまったんだ。そうしたらさ、あの時のお姫さんときたらプルプルと震えながら『アードベックのこと、悪く言わないで!』って、すごく怒っちゃってな。アンタの事――大好きなんだろうな」
「そのようなことを……それに、王女がそんなに感情を表すなんて……しかも私のことで」
ようやく顔を上げた。
『感無量』
この言葉が一番当てはまる表情を見せながら。
「アードベックといったな。知らなかったとはいえ、いない所で悪く言ってしまって申し訳なかった。訂正する。アンタは最高の教育係だよ!」
「ありがとう……ございます」
アードベックは再度頭を下げた。
今まで以上に深々と――
「これからもミル王女のこと、よろしくお願いします」
「俺なんかでよければ、こちらこそだ。それよりアードベック」
「なんでしょう」
「アンタがいいヤツで……本当によかった」
「貴方にはかないませんよ」
「貴方ってのはよしてくれ。俺の名はビキニマン――こう呼んでくれ」
「かしこまりました」
ミル、君は独りじゃない。
こんなにも君のことを想ってくれている人が、君のすぐ傍にいるんだよ。
でも、大丈夫か。
ミルなら……大丈夫だ。