第三話 初日 地下牢にて
地下牢は、石造りの一室に二つの牢屋が向かい合わせという構造になっており、城の地下にはその部屋が幾つもある。
俺もその中に入れられた。
向かいの牢屋には誰もいない。
この地下牢は俺だけの個室状態となっていた。
それにしても……
どうして……どうして俺がこんな目に……
いや、もうそんな事はどうでもよくなってきた。
何故なら、夜も更けてきたのに一向に食事が来ないのだ。
本当にやばい……死にそうだ。
気力と緊張でつなぎとめていた意識も、再び薄れてくる。
もうダメだ……さよなら人生。
そう覚悟した時だった。
「いけません」
ん? 何だ?
「逆らうの?」
――なにやら会話が聞こえてくる。
どうやら幻聴ではなさそうだ。
その声は間違いなく、地下牢の入り口から聞こえてくる。
そして、足音がこちらへと近付く。
警備兵?
そう思っていたが、足音の正体は警備兵ではなく、街で出会ったこの国の王女であった。
王女は牢屋に近付くと、俺に「パンツのおじちゃん。ご飯持って来たよ」と、満面の笑みで語りかけ、その小さな手にはパンと水をのせた食膳があった。
この光景を見た瞬間、脳がフル回転を起こし、様々な思考が頭の中を駆け巡る。
まず、何故王女が俺の食事を持って来てくれたのかという疑問がわく。
そして、目の前の一刻も早く食い物を頂戴したい。
しかし!
俺にはそれらの思考より先に、王女に伝えねばならない事があった。
「おじちゃんは許そう。だが、俺の名はビキニマン! 次からはそう呼びたまえ」
コレは俺のポリシーだ。
例え一国の王女といえど、これだけは譲れない。
「帰る!」
俺の台詞に機嫌を損ねた王女がそう言うと、食事を手に持ったまま後ろを向いて去ろうとした。
このままでは、せっかく目の前まで来た食事が俺から消え去ってしまう。
俺は慌てて牢屋から手を伸ばし「お願い、帰らないで! パンツでも何でもいいから食べ物を下さい!」と叫んでしまった。
――安いポリシーだ。
すると、王女はこちらを振り向き、先程の可愛らしい笑顔を再度見せて俺に近付いてくる。
「最初から素直になればいいのに。私もここまで来るの大変だったんだから」
確かにそうだ。
先程も疑問を抱いたが、王女が牢屋まで罪人の食事を運ぶことがあるのだろうか?
この国ではこれが当たり前なのか?
いや、そんなはずはない。
「君は王女、つまりこの国のお姫さんなんだよな?」
「そうだよ。それがどうかしたの?」
「あのさ、お姫さんがこんなことを……俺の食事を持ってきたりなんかしていいのかい?」
俺がそう言うと、また笑顔が消える。
「やっぱり、ご飯はいらないみたいだね」
なんとも感情の起伏が激しいお子様だ。
しかもこの迫力は王族の気質のせいか。
少女の顔に、一瞬ドス黒い影が見えたような気がした。
――まさか!
思わず下を向き、無言で思考を巡らせる。
この王国に迷い込んでから牢屋に入れられるまでの警備兵達の対応や、今までの状況を整理して推理するとだ……食事を持ってきたことが、実は罠だったりして……
つまり、この食事はもしかすると毒入りの可能性があるかもしれないということだ。
今後、国民の上に立つ王族としての経験を積ますため、王女自らが直接俺を処刑しに来たのか?
食事を持ってきたのに「いらないの?」と言ってきたのも、「初めてのおつかい」ならぬ「初めての処刑」に、幼さゆえの微笑ましい戸惑いを見せているに違いない。
このガキ……殺る気マンマンじゃねぇか。
推理の結果、食えば死ぬ。
でも食わなくても死ぬ。
どうすればいいのよ!
と――あれこれ妄想していた。
しばらく沈黙していた後、不意に顔を上げる。
その瞬間――目に飛び込んできた映像に、俺は思わずたじろいでしまった。
お姫さんがプルプルと震え、もう泣き出す一歩手前の顔をしているではないか。
「食べてくれないんだ……せっかく頑張って持ってきたのに」
こんなこと言っちゃってるよー。
「ウゥ……」
ヤバい! これは泣く。泣いちゃう!
お願い、泣かないで!
「ウワーン!」
泣いちゃったよ……
俺……最低!
空腹のせいで、思考回路がおかしくなっていた。
そうだよ、街中で倒れている俺に初めて優しく接してくれたのはこの少女じゃないか!
それに、先程警備兵が「いけません」と――そう言っていたが、聞こえただろうが!
俺のために、無理をして食事を持ってきてくれたんだよ。
それなのに――
それなのに、俺はこんなにもいたいけな少女からの温かい厚意を疑り、その上「殺る気マンマン」などと推理するなんて、何たるネガティブ。このヘボ探偵が!
すぐさま俺は精一杯明るい声で「いただきます!」と言い、牢屋の中から両手を伸ばし食事を受け取るポーズをとった。
すると、お姫さんが涙を袖で拭いて「ハイ、どうぞ!」と、嬉しそうに食事を手渡してくれた。
――よかった。笑顔が戻って。
だが、俺にはこの食事を頂く前にクリアしなければならない問題があった。
「…………」
「あれ、食べないの?」
「……………………」
「やっぱり、食べてくれないの……」
「いや違う! そんなことはない!」
「じゃあ、なんで食べないの?」
「あの……そうやって見つめられると……」
「おじちゃん、照れ屋さんなの?」
「いや、そうじゃなくて……」
お姫さんはハッとひらめく。
「あ、そっか!」
そういって目の前の少女は後ろを向き、両手で目を塞いだ
そう、――食べる時にはマスクを少しでも脱がねばならない。
そのことを察してくれた。
いい子だ……この子、マジで天使だ。
さっきは疑って本当にごめんなさい。
俺は頭を下げ、マスクを半分だけ脱ぎ、待ちに待った食事にありつくことができた。
美味しかった……
パンだけではあったが、そんなことは関係ない。
餓死寸前に食べれた久々の食事というだけではない。
お姫さんが俺のために頑張って持ってきてくれた食事というのが、格別に美味しかった!
厚意が――とても嬉かった。
「ごちそうさま。食事を持ってきてくれて本当にありがとう」
食べ終わり、お礼を言いながら、空になった食器を牢屋の外へ戻す。
それを合図に、お姫さんがこちらに振返った。
そして、無言のままジーッと俺を見つめてくる。
「……どうした?」
「おじちゃんは、どうしてこの国に来たの?」
「旅の途中、道に迷ってしまってな。偶然辿り着いただけなんだよ」
「旅? いいなぁ。ねぇねぇ、何で旅してるの?」
「人を探している……って、お姫さん? 食事も食べ終わったんですけど、他に俺に何か御用でも?」
「あのね、私とお話しよう!」
「……ハイ?」
思いもよらない提案に戸惑ってしまう。
「オイオイ、いいのかい?」
いや、よくはないだろう。
牢屋にいる罪人と王女が仲良く会話をするなんて。
だが、お姫さんは可愛く笑いながら、俺との会話をねだる。
「いいの。ねぇお話しようよー」
「でもなー」
「断わるの?」
お姫さんの表情が変わる。
影が薄らと包み込むその表情を見て、瞬時に身の危険を感じた。
「おしゃべりしましょう!」
「やったー!」
まぁ、食事を運んできてくれた恩人だ。
それに牢屋の中はヒマだし、お姫さんのお話し相手になるくらいいいか。
お姫さんが鉄格子の前に座り込む。
「それじゃあ――お姫さんの歳はいくつだい?」
「うわっ、ありきたりー」
スッゴイ期待はずれな顔をしている。
「悪かったな! 街中で初めて会った時や、こうして食事を運んでくれたりしているのを見ていると、とても少女ができる事とは思えないからな。歳だって気になるさ」
「十歳。まだまだ子供ですよ」
「十歳か。外見は確かに歳相応に見えるが、歳のわりにしっかりしているね。親が厳しいのかい? 国王だもんな」
俺の台詞にお姫さんは突然表情を暗くし、うつむいてしまった。
「どうした?」
お姫さんが、うつむいたまま答える。
「父様や母様とは全然会っていないよ。お仕事が忙しくて、私のお誕生日会にもいないんだよ……」
「ありゃりゃ」
悪いこと言ってしまったかな?
そう思っていると、お姫さんは顔を上げ、少しだけ笑顔を戻して話を続けてくれる。
「でもね、アードベックがいつも傍にいてくれるの」
「誰それ?」
「私の教育係なんだよ」
「教育係がいるとは、さすがは王族だな。それで、その人は厳しいのかい?」
「全然、とっても優しいよ! 格好いいし」
「へぇ、よかったじゃないか」
「うん!」
お姫さんは本来の少女としての姿を見せた。
――だが、名前はあえて聞かなかった。
王族である者に気安く名前など聞くことは無礼だと思ったのと、
自分自身「ビキニマン」と名乗っている。
人には聞いてマスクの下の名は言えないなんて、馬鹿みたいだ。
彼女は国という大きな仮面をつけているお姫様。
俺は小さな仮面をつけたマスクマン。
それでいいじゃないか。
――今度はお姫さんの方から質問してくる。
「そんなことより、おじちゃんは何でお面してるの?」
「それはね、人前で顔を見せれないからなんだ」
「見せられない? 悪いことしたから?」
「悪いことか……昔ちょっとね。でも今は悪いことなんかしていないよ」
「じゃあ、どうして?」
「おじちゃんはね、このマスクを被っていないと何でも食べてしまうんだ。ご飯だけじゃない。そこの食器や牢屋の鉄格子、更にはいろんな病気やお姫さんの頭の中だって、何だって食べてしまうんだよ」
「嘘だー」
「信じる信じないは、お姫さん次第だ。さぁ、お話はおしまい。 これ以上ここに居ると、いくらお姫さんでも怒られるのではないかな?」
「うーん……そうだ!」
そう言って立ち上がると鉄格子を掴み、小さな顔を近づける。
「あのさ、明日も来ていい?」
正直、驚いた。
「俺のこと、怖くないのか?」
「何で?」
「何でって……街の人達や警備兵は、俺を見たら怖がって逃げるか、怒るかだぞ?」
「えー、全然。だって、おじちゃんおもしろいし」
「……そうか」
「ね、いいでしょ?」
「もちろん待っているよ。あ、ご飯も忘れずにね」
「フフッ、わかってるよ」
王女はそう言って帰っていく。
――そのまま帰ればいいのに、急に振返る。
そして―
「ところでおじちゃん、さっき『悪いことしてなんかしていないよ』って言っていたけど、牢屋に入れられてるってことは、悪いことしたんだよね。何したの?」
はい、硬直!
『ほぼ全裸だから』
こんなこと、少女に言える訳がありません。
銭湯で、父親に連れられた少女に股間を凝視される恥ずかしさにも似た、もどかしい感覚が襲う。
「ねぇ、どうして?」
「…………」
黙秘を続けている俺の顔を下から覗き込む。
「だまっていちゃわからないよ」
そんなこと言ったって……
時よ! 早く過ぎ去れ!
子供の眠る時間まで!
「聞きたいなー。もしかして、恥ずかしくて言えないのかな?」
上目遣いで人の顔を覗き込むその表情たるや、とても子供とは思えない黒い笑み。
あれあれー? さっきの天使は何処へ?
「いや、これはお姫さんにはまだ早い話で」
「何が早いのかな? まさか、パンツでお外を歩いていただけで牢屋に入れられないよねー」
うはっ、コイツ確信犯だ!
このガキ、実はドSだったのか!
この歳ですでに女王様の気質を兼ね備えているとは、流石は次期王女。この子の将来が怖い。
「お願い、もうその事に触れないで……」
「そんなこと言っていいのかなー? 明日から誰がおじちゃんのご飯を運ぶのんだろうね? 警備兵達が運んでくれるとは、とっても思えないけどなー」
神様……天使と悪魔の融合体が俺の真正面に立っています。
あなたはなんて生き物を生成してしまったのですか。
「せめて、せめて今日はご勘弁を……また後日、改めてお話させて下さい」
少女に懇願する情けない大人の図がここにあった。
「しょうがないわねー。それじゃ、また明日ね。おやすみなさい『パンツ』のおじちゃん」
そう言い残し、お姫さん……いや、女王様は地下牢から去っていった。
――その夜、俺は涙で枕を濡らした。




