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朝、初めてを奪われる。

 神社の境内にシロという真っ白な犬がおりました。 

 白い犬は人間に近く、来世では人間になれるという噺を聞いたシロは、その気になって毎日毎日裸足でお百度を踏んで神様にお願いしました。

 犬なので裸足なのは当たり前なのですが。

 すると満願成就叶いまして、シロは朝起きたら人間になっておりました。

                             【落語『元犬』より】



「ご主人ご主人ご主人! ごーしゅーじーん!」

 口から、ごふっという音と共に空気が漏れる。

 時間は見なくても、五時ぐらいだろうとだいたいわかる。

 こいつは日の入りで目覚めては、僕の腹の上に乗っかってくる。

 これがここ数日毎朝続いている。


「さくら、今日はもう勘弁し――」

 ぺろりと温かく柔らかいものが唇を含めた顔をなぞる。

 なめられた。

 みくびられたとか、軽んじられたとそういう意味ではなく直接的な意味で。

 十七年間無理せず守り通してきた、僕のファーストキスがたった今奪われたのだ。

「か、顔をなめるな!」

「ご主人顔舐められると嬉しそうにしてたじゃないですか」

「もう、あの頃とはわけが違うだろ」

「どこがどう違うんですか!」

「どこがどう違わないというんだ」

「さくらはさくらですよ」

 そう言って僕の上に馬乗りになり顔を覗き込んでくるさくらは、完全に年頃のお嬢さんだ。

 耳と尻尾があることを除けば。


 犬の頃は健気でかわいいと思えた切なげな表情も、今は理屈抜きにかわいくて非常に参る。

 当然のことながら、数日前の庭での状況証拠だけで犬が人間になるなんてことを信じるほど僕の頭はファンタジーでもファンシーでもファンキーない。

 そんなこといいなとも、できたらいいななどとも考えたことはなく、名探偵ホームズだって犬アニメ版よりも、小説を好んで読むような子供だった。


 それでも目の前に立つ首輪につながれた裸の女の子は現実で、その現実から目を背けるわけにもいかず(かといって、まじまじと彼女の裸を見たという意味ではない)、とりあえず手近なものを着せると、彼女は自分が人間になったというこれまでの経緯を派手なジェスチャーと、ときに興奮に舌をもつれさせながら説明し、むせび泣き、最後には僕の足にすがりつきながら、どうかこれからもここに置いてくださいという話を三時間ほどした。


 さすがに僕も、もしかしたらと思い始め、頭にのっかっている三角の耳を触ってみる(妙に艶っぽい声を出されたので少しだけ)。さらに尻尾の付け根を辿って、美しい生の丸みを目にしたところで、認めざるを得なくなった。


「さぁ、今日もいい天気です! 元気よく散歩に出かけましょう!」

 そんな現実を現実として認めると、今度は犬としてさくらを認めるわけにはいかない。


「行かない」

「何でですか! 今までずっと雨の日も風の日も連れてってくれたじゃないですか!」

「それはお前が犬だったからだ。昨日も連れて行ったし、もう一人でだって行けるだろ。ちゃんと帽子で耳隠してけ」

「そんな冷たいこと仰らずに。ほら、ちゃんとリードも持ってきたんですよ?」

 嬉しそうにリードを咥えてニコニコと顔を寄せてくるさくら。

「そんなもん付けて歩いてみろ。速攻捕まるんだからな」

「じゃあ、付けなくてもいいから散歩行きましょう」

「行かない」

「さんぽさんぽさんぽさんぽさんぽー!」 

 僕の足の付け根でさくらがぐりぐりと身体をよじる。

 柔らかなその尻の感触が柔らかくない僕のナニを擦る。

 さらにボタンを大きくかけ違えたさくらのパジャマの隙間からはチラチラどころの騒ぎではないレベルで白い巨丘が弾むのが見える。

 組み敷かれた状態から僕はさくらの肩を掴み、危うく飛びだしそうになったリビドーを何とか堪えた。


「さ、さくら、見えてる」

 僕は視線を外し、さくらの胸元を指差すも、それを確認した上でさくらは「はい!」と元気よく返事をする。

「いや、はいじゃなくって。ボタン、ちゃんと留めろって言っただろ」

「そんなに私の乳房がお嫌いですか?」

「アホ!」

 季節の果実でも薦めるように自分の胸を抱えて見せてくるさくらの頭を叩くと、きゃんと鳴く。

「何で叩くんですか!」

「乳房ってお前な……好きとか嫌いとかじゃない。女子としての恥じらいだ!」

 好きとか嫌いで言えば、そんなのは……あれだ。

「しかし、どうもこのボタンというのは好きになれません」

「じゃあ、下に何か着て寝ろ」

「それはもっと好きになれません」 

 不服そうな顔で更に前のめりに突き出してくるその体は、手足も身長もすらりと長く、女子として強調する部分なんかはもう同級生などとは比べ物にならないぐらいに完成されている。


「しかしお言葉ですがご主人!」

「何だよ」

「ご主人は毎朝発情しているではありませんか。それはさくらと交尾をしたいということではないのですか? 今だってここのところが……」

 そう言って僕の股の間に手を伸ばそうとする犬の頭をスパンっとひっぱたく。

「ぎゃひんっ!」

「バカかお前! 交尾とか言うな! 絶対言うな! こ、これは発情してるんじゃない!」

「じゃあ、何で勃きっ……!」

 スパンッ。

「うぅ~……出会ったころの優しいご主人を返してください」

 馬乗りの体勢のまま、さくらが手のひらを差し出して僕に訴える。


「でもでもご主人」

「な、何だよ」

 バカなのか切り替えが早いのか、すぐにわくわくした様子でさくらが前のめりに語りかけてくる。

「さくらはご主人の子供を産みたいです!」

「おまっ! な、何言って……」

 もう一度頭を叩こうと腕を伸ばそうとしたが、それより先にさくらが僕の両肩を上から押さえつける。

 間近で見ると少し太めの眉毛がその美しい顔をより一層引き立てているのがわかった。


「おま、お前な……!」

 肺呼吸がうまくできす声が掠れる。

 すさまじい速さで鼓動が胸を打つ。

 思考が固まっていく。

 覚悟も固まっていく。

 何もつけてないくせに唾液で濡れたさくらの唇が艶めかしく輝き、頭を少しあげようものなら二つの大きな丘の頂にあるつぼみが確実に拝めるだろう。

 長い髪の先端が僕の鼻先をくすぐる。そしてその香りがまた――、

「くさい」

「はい?」

「くーさーいー」 

 言われて、すんすんと自分の体のにおいを嗅ぐさくら。

「こんなもんですよ?」

「お前はな。お前はそうだろうよ。昨日ちゃんと風呂入ったのか?」

「入っ……した」

 途端に消え入りそうな声でさくらが呟く。

「え、なに?」

「……した」

「入った?」

「……た」

 とうとうひと文字になった。

 僕と見つめ合っていたその視線は、すでに自分のおへそとにらめっこするまでになっている。


 こいつは犬の時分から怒られるとわかると露骨に目線を合わせなくなる癖がある。

「さくら、やっぱり一人で散歩行って参り……がふっ!」

 逃げようとするさくらの喉元に首輪が食い込む。

「ご、ごひゅじん、い、いつの間にリードを……」

「バスタイムだ」


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