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プロローグ「さくら」

 

 通夜や葬式という儀式はびっくりするぐらいに段取りに追われるものだと初めて知った。


 結婚式というのが半年以上前から、打ち合わせに打ち合わせを重ねて行うベストな一日なのに対して、これらの儀式は翌日の予定を前日にすべて決めてしまう。


 粗供養は何にするか、数はどれぐらい必要か、オプションはどうするのか、値段はいくらか、精進落としの弁当はいくつか、斎場には何人行くのか……こちらが感傷に浸る時間などそっちのけで、葬儀会社に促されるまま『お客様をお迎えする準備』をする。


 ただ、僕には父親もすでにいないので、そのほとんどは母方の叔父夫婦が取り仕切ってくれて、僕はそれを隣で茫然と眺めているだけだった。


 式の当日は出来る限り自分も動こうと思ったが、それはそれで返って周りに気を使わせてしまうようで、途中からは何もせずにただ隅っこでぼーっとして「かわいそうに」と言われるのが僕の仕事になった。


 母さんを殺したのは僕なのに、何が、どこがかわいそうなんだろう。


 そんな自分が涙を流すなんておかしいことなんだって思ったら、あとは感情の電源を切るだけでよかった。

 その姿を見て、また「かわいそう」と言われる。


 それは、ただ腹が減って餌を食べているだけのウサギを見て「かわいい」って言うのと似てると思った。


 滞りなく葬式が終わると、叔父さんが今日は自分の家に泊まるように声をかけてくれたが、正直これ以上気を遣われるのも遣うのも避けたかったので丁寧にお礼を言って断った。


 どん底のどん底。

 小雨の降る中、傘を片手に風呂敷に包んだ母さんの遺骨を抱いて家路を辿る。

 途中、車の移動販売でたい焼きをふたつ買う。車の脇に立て掛けられた旗には『頭の先から、尻尾の先まであんこぎっしり』と書かれてあった。

 別に腹が空いていたわけではないが、どうせいつかは食べなければならないことを考えると、簡単に腹に放り込めるものがあるといいだろうと思った。


 トボトボ歩いていると、自分よりもトボトボ歩いている奴が目の前を横切って、鳥居をくぐり、神社の境内へ続く石段を一段一段昇っていった。

 一度はそのまま鳥居の前を通り過ぎたが、しばらく歩いてもそいつの行方が気になっていた僕は来た道を引き返す。

 もしかしたら自分よりボロボロの奴を見て、自分はまだマシだと思おうとしたのかも知れない。


 長い石段を昇り切ると、誰もいない寂しい参道を進む後ろ姿に追いついた。

 声をかけることもなく後をつけると、やがて賽銭箱へと続く小さな木製の階段の下へそいつは体を潜りこませた。


 僕は驚かせないようにそっと近付き、屈んで様子を見る。

 やはりだいぶ弱っている。目も伏せて、ぐったりとしていた。

 腹が減ってるんじゃないかと紙袋からたい焼きを取り出すと、その音でこちらに気付く。


 そいつは僕の目を見るなり敵意をむき出しにして睨んできたが、それでも構わず、僕はたい焼きを持った方の手を伸ばす。

 たい焼きがそいつの口の前に届くとほぼ同時に。

 ――噛みつかれた。

 痛かった。ものすごく痛かったけど、僕はようやく罰を受けることができたようでホッとした。


 もっと痛かったらいい。

 もっとひどい目に遭えばいい。


 僕は落としてしまった紙袋をそのままにして、空いた方の手でそいつの頭を撫でた。

 そいつはゆっくりと口を離すと、今度はたい焼きにかぶりついた。

 その姿を見たらなぜか頬を伝ってぬくい水が流れた。

 雨はいつの間にか止んでいたのに。


      ※


 あの頃の私はどん底でした。

 親と思っていた人に捨てられ、住む所もなく、毎日食べる物にも困りました。

 かと言って、決してその状況に悲観的になっていたわけではなく、当時の私はそれが当たり前だと思って生きていました。

 私のような者はその内そこら辺りで野垂れ死ぬ。そういうものなのだと。


 ようやく満開になった桜は長雨に打たれ、花びらを地面に散らしておりました。

 生来のくせっ毛も雨の重さですっかりストレートになり、三日もロクな食事にありつけていない私は空腹と寒さでふらふらと街中を歩きます。

 すれ違う人はそんな私を見ては避けて通りましたが、そんなことは全然平気です。

 ただ、私が宿なしと見るや面白がって石を投げてくる子供たちには参りました。

 このときばかりは、なぜここまでひどい仕打ちを受けねばならないのか自分の運命を呪いました。


 何とか子供たちからは逃げ切ったものの、一度あがった息は休んでも戻らず、視界がかすんできた私は、最後の力を振り絞って神社の境内に向かいます。

 知らない土地でしたが、ここ数日で雨の日にここに来る人はほとんどいないことは知ってました。


 最後くらいは静かに迎えたい。


 眠るように気が遠くなり始めたとき、傘を手に現れたのがその人でした。

 私がよっぽどひもじそうな顔をしていたのでしょう。

 その人は甘い匂いのする食べ物をこちらに差し出してきました。

 しかし、完全に人間不信に陥っていた私は、「近寄らないで!」と大声で怒鳴ります。


 恐かった。

 ただただ、恐かった。


 そんな私の気持ちをよそに、それでもその人は食べ物をこちらに押しつけてきます。

 私は夢中で噛みつきました。その人の腕に。残った目一杯の力をこめて。

 そして、次に来るであろう報復に目を瞑り身を固くします。

 しかし、来るはずのものは来ず、代わりに私の頭の上には暖かい手がのりました。

 それでようやく安心した私は、次の瞬間には目の前の甘い香りにかぶりついていました。


 その人は泣いていました。

 私が噛んだところがやはり痛かったのでしょう。

 私は甘いそれを食べ終えると、その人の腕から流れる血と、目から流れる涙を交互に舐めました。

 どちらもそれぞれのしょっぱさがありました。

 ありがとう。

 その人がお礼を言う意味が私にはわかりません。

 だって血も涙も私のせいなのですから。

 その人は涙を流しながら笑うという不思議な顔で私に言います。


 ――お前はひとりか。

 ――すごい格好しているな。


 そして、


 ――さくらでどうかな? 名前。


 私はその人の顔を黙って見上げます。

 するとその人は今度は声を出して笑いました。


 ――何でかって? 自分の体見てみろよ。


 言われるがままに見てみると、私の雨で濡れた体には余すところなく桜の花びらがくっついていました。


 頭の先から。

 尻尾の先まで。


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