災厄訓練の途中ですが、魔王復活のお知らせです。
「えぇ〜本日はお日柄も良く。まずはお集まり頂きました皆様に感謝申し上げます。…今年で魔王討伐から100年。魔王討伐の翌年から始まりました厄災訓練も99回目となりました。長きにわたり安寧の続くギュレンシア王国ではありますが、魔王の復活は予測不可能。有事に備えた対策は必要不可欠と言えるでしょう。」
子供の寝物語に語られる昔話。女神様に選ばれた勇者が魔王を打ち倒してから100年。快晴の青空の元、国王陛下による挨拶が行われる。こっそりとあくびを噛み殺す兵士に憧れのマドンナへどうアピールしようかと邪な考えに耽る魔術師。皆魔法のように眠気を誘う国王の言葉が終わる瞬間を今か今かと待ちわびる。
「それでは今年も怪我の無いよう万全の準備で行いましょう。ここに第99回厄災訓練の開始を宣言します。」
皆の歓声が巻き起こる。
『厄災訓練』。元はと言えば魔王復活に備えて始まった対策の一環で、市民含めて魔王復活時の迎撃や避難について学ぶ訓練であった。しかし今では魔王討伐を祝した休日に毎年行われる祭り事ごとの1つである。大通りには出店が並び、伝説の勇者一行や魔族に扮した子供たちがあちらこちらで走り回る。
「カーミラ姫様、ご支度を。」
「えぇ。」
侍女達に付き添われ垂れ幕の後ろに下がる。コルセットで締め上げた腹部がいつもより苦しい。椅子から立ち上がる時なんて、もう少しで声が出てしまう所だった。先日冬の舞踏会前に向けてダイエットを決意し、
「私魔王が復活でもしない限り、菓子は今後一切口にしません!」
だなんて声高らかに宣言していたのに…。魔術を学ぶために留学していたお兄様がたくさんの菓子をお土産に下さったせいだ。「菓子に罪はないのだけれど…。」とブツブツ呟いていると。
「準備はよろしいですか?」
「構いません。」
宮廷に仕える魔術師達に声をかけられる。即座に、私は姫君らしくにこやかに振る舞うと床に描かれた魔法陣、その中央に立つ。年老いた魔術師が詠唱すると私は淡い魔力の光に包まれ、立ちどころに魔王城のエントランスへと転移した。
厄災訓練の一大イベント、魔王討伐訓練。勇者役を務める人物が魔族の妨害を避けながらも各地の賢者の元を回り、伝説の装備を纏い魔王を討つ。魔王城までの道のりにある村々では連日魔族に扮した村民と勇者一行によるお祭り騒ぎだ。
そして魔王城。私が足を踏み入れたこの城は、訓練のために用意された偽の魔王城。毎年王都から離れた北の地に用意され、東の窓には本物の魔王城の跡地が見えた。偽の魔王城は外観こそコウモリの飛び交う不気味な雰囲気を纏った豪奢な城だが、その内部は簡素な物だ。魔王の待つ謁見の間と私達が滞在する為の私室。あとは従者や控えた魔術師のための部屋がいくつか存在するだけで後は魔法で作り上げたハリボテだ。ここ数年は城の中で幽霊も目撃されており、最早魔王城というよりもお化け屋敷と呼んだほうがしっくりと来るかもしれない。
(今年は一体どうなるのかしら。)
恐る恐る魔法陣から足を踏み出し、私は驚いた。天井から吊り下げられたシャンデリアに彫刻の彫られた大理石の柱。城の装飾がギュレンシアの王城に匹敵するほど豪奢な物に作り替えられている。
「薄暗くて不便だからもっと明るくしてほしい。」「時間を潰せる部屋を作ってほしい。」という私達の不満に対して、毎年魔術師達は「予算の問題でして…」と頭を悩ませていたというのに一体どんな風の吹き回しだろうか。
(どちらにせよ毎年毎年私は魔王に幽閉される役で…、勇者様"お兄様"と騎士団が迎えに来るまでは暇なのよね。)
「待っていたぞ、カーミラ姫。」
城下に並ぶ出店を思い出しながら溜息をつく私を出迎えたのは見上げるほどに大柄な魔族、に仮装した誰か。山羊のような角に長い耳。魔法を使っているのだろうが今年はいつにも増して手が込んでいる。
「さぁ、部屋に案内しよう。」
彼は一体誰だろう。お兄様…は今年も勇者役を務めるはずだし、いつも嬉々として魔王役を買って出る元騎士団長の叔父様はこの前腰を痛めたばかりだ。叔父様が用意した代役だとは思うが口調まで凝らせて、こんなにも訓練に熱心な方が居ただろうか。
「あら、執事みたいな事をなさるのね。魔王なら姫君を攫わなくては。」
「君の望みならそうしよう。」
「きゃっ!」
魔王は軽々と私を抱きかかえ、すました顔で歩き始める。
「冗談ですわよ、私自分で歩けます!それに…。」
「それに?」
このままでは、このままでは少しだけ肉付きが良くなってしまった事がバレてしまう…!
「私、もう子供ではありませんので!」
「知っているさ。お陰で君を妻として娶ることができる。」
「めと…る…?」
「あぁ、そうだ。不服かね?」
慌てて後ろを付いてくる侍女の1人が悲鳴を上げる。その視線の先には窓があるだけ。問題があるとすれば外の景色だが。
窓の外、城の西側には訓練用の見慣れた偽の魔王城がそびえている。私達がいる城の周囲は黒い霧が取り囲んでおり、大きなカラスやコウモリの化け物が飛び交っている。
見慣れぬ光景に身がすくむ。
(ここは一体どこなのだろう。まさか、まさか?)
「改めて魔王城へようこそ、カーミラ。」
魔王の影が長く伸びる。侍女達はたちまちのうちに皆、影に飲み込まれてしまった。
***
その頃王都では、宮廷魔術師からの報告により国王達は顔を青ざめさせていた。
「「転移の途中で妨害に合った!?」」
「大変申し訳ございません。そのせいで転移の座標がズレてしまったようなのです。」
「なら、カーミラは今どこに?」
「魔王城跡地の周辺かと。」
「それなら今すぐに探さなくては。」
王子が席を立とうとすると同時に、「ご報告いたします!」と若い騎士が駆け込む。王子は狼狽した様子の騎士に「大丈夫落ち着いて、一度ゆっくりと息をして。」と声をかける。
「…魔王城の跡地に突如見慣れぬ城が建ち、周辺で魔物が目撃されております。」
「そんなまさか。…カーミラについての報告はないか、あの子は近くにいるはずなんだ。」
「カーミラ姫様に関しましては…分かりかねます。申し訳ございません。」
王子は壁にかけられた剣を取る。
「今すぐ騎士団を派遣しましょう父上。もし魔王が復活したのならすぐに魔物達が攻め込んで来るはずです。勇者が目覚め、魔王を討伐する準備ができるまで時間を稼がなくては。」
「あぁ、分かったそうしよう。お前は一体どうするつもりだ。」
「私はカーミラを探します。」
「迎えに行くと約束したんです。」と、王子はそう言い残すと国王の制止の声も聞かず馬に飛び乗る。
「無事でいてくれ、カーミラ。」
王子の目指す北の果。カーミラは鉄格子の嵌められた窓からぼんやりと空を眺めていた。
『君の大切な侍女達を殺しはしない。ただここで過ごすに当たって不要だろう。』
魔王はああ言っていたが、本当の所は分からない。
(これから一体どうなるんだろう。)
ぎゅー、ぐるぐるぐる。こんな時だと言うのに。お腹の虫は今日も元気に鳴き声を上げる。それもそのはず、少しでも腹囲を絞るために今日は朝食を摂っていなかったのだ。ふと部屋を漂う甘い香りに誘われる。机の上には色とりどりの菓子が並んでいる。
(毒は…、始末するつもりならもうとっくにしているか。)
意を決して菓子に手を伸ばす。どうせ魔王は復活してしまって、冬の舞踏会にも参加できない。最早いくつ菓子を食べた所で変わりは無いのだ。パクリパクリと菓子を囓る。とても甘くて美味しい。バターがたっぷりと練り込まれた菓子は濃厚な風味で実に私好みだ。
「君の口に合うだろうか。」
振り返ると、部屋の入り口に魔王が立っている。いつの間にか私の様子を見るために戻ってきていたようだ。
「えぇ、とても。魔王様は私の好きな物をよくご存知ですのね。」
「勿論。毎年君が訪れるこの時期を今か今かと待ちわびていた。君が北の地で過ごした時間は全て記憶しているとも。」
「以前お会いしたことがありましたでしょうか?」
「あぁそうか。昨年までの私は力を失い不完全な状態だったからな、無理もない。」
魔王の身体の一部が靄のように揺らめく。そうまるで、偽の魔王城でよく見た幽霊のように。
「今も万全とは言い難い状態だが、魔力が得られたおかげでようやく君と並ぶに相応しい姿になれた。」
その言葉に絶句する。なんということだろうか。打ち倒されたと思われていた魔王は生き延びていた。その上偽の魔王城を造るための魔力を盗み、復活を果たしていたのだ。
鼓動が速くなり、息が詰まる。
こういう時こそお母様から繰り返し教え込まれてきた『れきし』の出番だ。まずは冷静を保たなくては。逆流してくる感情に飲み込まれないよう深く息を吐き心を落ち着かせる。
次に希望を持つ。「必ずお兄様が助けに来て下さる、だってそう約束したもの。」と弱気な自分に言い聞かせる。
最後は慎重に。迂闊な発言は避け少なくともこの窮地を脱しなくては。
「魔王様にご興味を持って頂き光栄です。婚約のお申し出ならお父様に相談していただければ良かったのに。…突然のことでしたから、少しだけ驚いてしまいました。」
「許せ、早くしないと君が他の誰かの物になってしまうのではないかと気が急いていたようだ。」
自分でも驚くほどに上手く、言葉を取り繕えた。
そして彼が話の通じる相手であったことに安堵する。このまま父に相談しこの先を考えよう、そう思っていた矢先。魔王は顔色一つ変えず、こう続ける。
「君が望むのならギュレンシアまで攻め入り、君の父にも認めさせよう。」
「やめて!」
今までこんなに大きな声なんて、出したことが無かった。
「私の家族に、国に手を出さないで。」
彼は私の声に驚いたのか、唖然としていた。
「…君の気分を害してしまったようだ、すまない。悪気は無かったんだ。今日は疲れているだろう、部屋でゆっくり休むといい。」
魔王は弱々しいそう呟き部屋を後にする。私は口をきつく結んだまま俯いていた。死にたくない。王城に帰りたい。そんな当たり前の願いに加えて家族を守りたいと強く願う。だけれど私どうすればいいの。剣も振るえず弁が立つ訳でもないのに。1人思い悩む私を取り残し、世界は無情にも時計の針を進める。
***
翌日の朝侍女達が影から解放された。魔王の使い魔に連れられた彼女達に傷は1つもなく、私達は無事再会できたことを喜んだ。
それと同時に、使い魔から食料庫と厨房を使う許可を得た。昨夜も使い魔が夕食を届けてくれたものの、食欲が無く手を付けられなかった事を気にしているのだろうか。
侍女曰く食料庫には見たこともない不気味な植物に魔鳥の肉、魔族が食するであろう食料が多く並んでいたと言う。その横には見慣れたパンや牛乳があり、侍女達はそれらを手際良く集めて来た。多くの食材は侍女達の手によりまたたく間に豪勢な朝食へと姿を変えた。親しい間柄の彼女達といる安心感からか、疲れているはずの体に元気が湧き上がる。私は思うように眠れず重たいままの瞼を擦りながら朝食を摂り、身支度を済ませた。
「ありがとう、使い魔さん。食事だけでなく着る物まで用意して頂いて助かりました。」
「お礼には及びまセン。全て魔王様の思し召しですノデ。」
「魔王様が…。使い魔さん、私を魔王様の部屋まで案内して下さいませんか。」
昨日の事が気に掛かってか、今日は彼と顔を合わせていない。私も気にしていないと言えば嘘になる。
「魔王様、いらっしゃいますか。」
大きな扉を叩く。待つ間もなく扉はすぐに開き、「1人では危険です」と後をついてきた侍女達が魔王の姿に恐怖し身を震わせる。
「カーミラ姫、どうかしたか。」
「彼女達を自由にして頂いた事と身の回りの物を用意して下さった事のお礼に参りました。」
例え相手が魔王であったとしても礼儀は通さなくてはいけない。いくら恐ろしくとも、国の家族の誇りにかけて己を貫かなくては。
「その程度、大したことではない。」
「魔王様にとってはそうかもしれません。ですがどちらも私にとって必要不可欠な物でした。ですからありがとうございます。それと昨日は不躾な態度で不快な思いをさせてしまい申し訳ございません。」
「…私こそ昨日はすまなかった。まだまだ君について知り得ない事が多いようだ。」
魔王は少し考えた後口を開く。
「君が望む通りに、ギュレンシア王国には手を出さないと約束しよう。だから君の事を教えてくれないか。」
それは思いもよらない提案だった。上手く行けば家族と国を守れる。私に断る理由は無かった。
彼から聞きかじった魔族の世界はとても寂しく思えた。
仲間や家族と言える者はおらず、欲しい物は他者から力で奪い取り服従させる。飢えと欲望を暴力で満たし続ける獣のような生き物。しかし魔王はその果てで満たされる事のない渇きに苦しんでいた。
何故彼が求めているかは分からないけれど。その渇きは、私達が愛や温もりと呼ぶものに近いようだった。
「与える、という行為は始めての経験だったが良いものだな。君が喜ぶと気分が良い。」「侍女はそんなに大切な物だったのか。必要ならばもっと用意させるか。そうだ君が好きな菓子ももっと用意させよう。」
彼は雛鳥のように口を動かす。
「菓子も侍女もこれ以上必要ありません。菓子は好きですがそればかり食べる訳ではありませんし、侍女は大切な人を返して頂けたので嬉しかったのです。増やしてほしい訳ではありません。」
「そうか?ならば止めておこう。」
「相手を喜ばせたいというのなら他にも手段はあります。言葉や態度、目に見えない贈り物だって大切ですよ。」
前者にせよ後者にせよこのままの勢いで、部屋を贈り物でいっぱいにされても困ってしまう。そうなる前にと私は手を打った。
「目に見えない贈り物、とは人は難しい事を考えるな。例えばどんな物があるんだ。」
「恋人同士なら愛の言葉を囁いたり、相手との約束を守ったり…、そんな所です!」
「心に留めておこう。」
改めて真剣に考えてみると顔から火が出てしまいそうだ。
魔王はそんな私の姿を見て、可笑しそうに笑った。
***
1週間ほど経った頃だろうか。
部屋の外が騒がしい。外を覗いて見ると下の階で魔王が険しい顔付きで使い魔達の報告を聞いている。
「どうかなさいましたか?」
「ギュレンシアから王子殿下がお越しのようだ。」
「お兄様が?」
ようやくお兄様と騎士団が勇者を引き連れ私を迎えに来てくれた。そう安堵してしまったせいか、つい頬が緩む。
「カーミラ姫の兄上ならば無下に扱うわけにもいくまい。良い、通せ。」
魔王が手を上げると、大きな音を立てながら魔王城へと繋がる門が開かれる。門を潜り魔王城へと踏み込んだのは予想に反してお兄様と幾人の護衛のみであった。
「何があるか分からない、君は城で待っていてくれ。」
魔王はそう言い残すと1人、城の玄関を後にする。使い魔達は「ささ、カーミラ姫様。安全なトコロヘ。」と私を急かすが「私は大丈夫だから。」と無理を押し、エントランスの窓から外の様子を窺う。
「約束もなしに突然の訪問、失礼致します。魔王様直々に出迎えていただけるとは光栄の至りです。」
「ギュレンシアの王子がわざわざこんな場所まで足を運ぶとは、珍しい事もあったものだ。」
「単刀直入にお伺いします。ギュレンシアの第一王女カーミラの所在をご存知ありませんか。彼女は私の大切な妹なのです。」
「カーミラ姫ならばこの城にいる。だが返すことはできない、彼女は私の妻として娶る予定だ。」
魔王は隠す素振りも見せずそう言い放った。お兄様はその言葉に呆気に取られる。
「カーミラは納得しているのですか。」
「いずれ納得するさ。」
「…妹を返して頂きます。」
2人は同時に剣を抜き、交差させる。冷たい剣越しにぶつかる剥き出しの殺意は火の粉が飛ぶかのようだ。金属同士が激しくぶつかり、削れる音が何度も響き、2人は激しく衝突する。
優劣は目に明らかだった。何せお兄様は勇者では無い。魔王を打ち倒すための力も伝説の装備も無い。護衛達もお兄様を守らんと果敢に攻め込むが、どれも小さな火の粉のように吹き払われてしまった。
「この、魔族風情が!」
護衛の1人が魔王に組み付く。「王子、今です!」と合図するや否や護衛に気を取られた魔王にお兄様が死角から剣を振り下ろす。2人の決死の一撃。その一撃に魔王はただ溜息を付いただけであった。
秋の風に吹かれる落ち葉のように2人の身体が宙を舞う。2枚の落ち葉は壁に打ち付けられ、大きな土ぼこりに掻き消された。
「私は君達を殺すことはできない。疾く立ち去れ。」
最早決着は付いたと言わんばかりに、魔王は剣を鞘に戻す。
「待て、魔王!」
「これ以上やっても無駄だろう。」
負傷し重たい身体を引きずりながらお兄様は魔王の後を追う。魔王は興味なさげに振り返り、…愕然とした。
お兄様の瞳が燃えている。さながら天に輝く太陽のように。
「次は手加減できないぞ。」
魔王は小さくそう呟く。先手を取ったのは魔王だった。
先程よりも何倍も速く重い剣技が雨あられのようにお兄様を襲う。お兄様は未来でも視えているかのように、剣先を巧みに躱し続け、一歩踏み込む。雨粒の隙間を縫うような人離れしたその体捌きに、2人はみるみるうちに距離を詰める。眼前に迫った影にお兄様は剣を振り下ろす。強く握りしめられた剣先が魔王の心臓と届く…、はずであった。
「駄目か。」
無数に入った亀裂に沿って、剣先がパキリパキリと砕けてゆく。数多の魔王の攻撃と、目覚めたばかりの勇者の力に鋼が耐えきれなかったのである。魔王は好機を見逃さない。彼の影からシュルリと手が伸び、お兄様の足首へ巻き付く。勝機を逃した絶望と戦いで溜まった疲れがお兄様の心身を蝕む。
「勝負あったな。」
魔王が、大きく体勢を崩したお兄様へ切っ先を向ける。膝を付き、魔王を見上げたお兄様と目が合った。
「カーミラ、約束を守れなくて…すまない。」
「嫌、お兄様!」
お兄様の謝罪の言葉に、私の悲痛な叫び声に魔王がピタリと動きを止める。
「約束、そうだ。私は…。」
その油断は決定的な物となった。お兄様は折れた愛剣を握り直し、魔王の胸に深々と突き立てる。魔王が地に伏せると同時に、周囲を囲っていた使い魔達は霞のように掻き消える。私は居ても立っても居られずに、魔王城を飛び出した。
「お兄様!」
「カーミラ、危ないから来ては駄目だ。まだ魔王が生きているかもしれない。早く聖剣を運ばせて留めを刺さないと。」
いつも優しかったお兄様が魔王に冷たい視線を向ける。ずっと会いたかったはずなのに、話したかったはずなのに、理由も分からず背筋が冷たく凍りついていく。
「待って、お兄様。」
「どうしたんだい、カーミラ。」
私を呼ぶ温かな声に震える声を絞り出す。
「私に考えがあります、聞いて下さりますか。」
***
「本年度の厄災訓練も無事皆様のご協力あって開催する事ができました。今年は例年と違った試みに挑戦し皆様にはご苦労をおかけしましたが、我々は魔王復活に備えありとあらゆる対策を行わなければなりません…。」
国王陛下による挨拶が終わり、厄災訓練は無事幕を下ろした。訓練の成果か幸いにも死者はおらず、突如現れた不気味な城と謎の魔物による騒動は厄災訓練における新たな取り組みとして国民に伝えられた。城には多くの抗議文や意見書が届いたが、いささか危機感の欠如が問題視されていたギュレンシア王国にとっては良い薬となったのかもしれない。さらに言えばお父様が慌ただしく走り回っていたお陰で、隙を縫ってこっそり城下へ息抜きに来られたのだ。そして、当の魔王と言えば…。
「ギュレンシア王国は北と比べると随分暑いな。」
「大丈夫ですか、レオ様。」
「問題ない、日が高く明るい分君の美しい顔立ちもよく見える。」
「…妹を口説きたいのなら、まずは今まで盗んだ魔力に食料、金品分の借金を返してからにして下さいね。」
「必要な物は他者から奪うのではなく等しい価値の物で交換する、だったか。相変わらず人は難しい事を考える。」
魔術で人の姿を装い、異国からの留学生レオとしてギュレンシア王国に滞在している。お兄様が留学先で出会った将来有望な学生で今はギュレンシアに招待している…という設定だ。
王国の歴史書によれば魔王を打ち倒せば新たな魔王が現れるという。ならば今は魔王を生かし、和解ないしは懐柔する事で次の厄災を免れるべきなのでは、と打診したのだ。お兄様は悩みに悩み抜いた後、渋々承諾してくれた。魔王が現状手負いの状態で万が一の場合はお兄様が対応できる範疇だと判断しての事だろう。もしかすると別の理由もあるのかもしれないが。
「君を手に入れるためにはまだまだ時間がかかりそうだ。」
お兄様の客人とはいえ留学生の身分であるレオと姫君である私の間には超えることの出来ない階級の壁がある。そこに多くの借金を加えれば、何も知らないお父様から見れば婚約したとしても何の旨味は無く、簡単には頷いてくれないだろう。残念そうに溜息をつくレオに私は「ですから」と提案する。
「まずはお友達から始めましょう?」
「お友達…、知らない言葉だ。どういう意味なんだ?」
「それはこれから勉強しましょう。少しだけならいいですよね、お兄様?」
「夕方までだぞ。」
お兄様は困ったように頷く。
「なら急がないと!」
私はお兄様とレオの手を引き、駆ける。だって今日の夜を過ぎれば城下に並んだ出店は全て閉まってしまうのだから。
○おまけ○
「あぁ、これまでか。」
勇者に負けた。勇者は留めも刺さず、何処かに走り去ってしまった。いや、身体の構造がまったく違う魔王の生死が分からなかったのか?
(まぁ、どうでも良い。)
どちらにせよ、もう私に立ち上がるだけの力は無い。薄れゆく意識の中でぼんやりと過去を思い出した。城に美女、金銀財産。今まで欲しいと思った物は全て手に入れてきた。どれも手に入れれば、心が踊り満たされた。そう、手に入った瞬間までは。満たされても満たされてもたちまちのうちに心が渇く。渇き、渇き、苦しくてたまらないのだ。「もう、苦しまなくていいのか。」と、瞼を閉じようとした時の事だった。
「勇者様!」
「カリーナ姫!」
何時だか戯れに攫い、城に捕らえていた姫君が勇者の手により救い出されたようだ。2人は涙を流し抱擁する。
「あれだ。」
力を失ったはずの全身に、指の先まで魔力が駆け巡る。
「あれが欲しい。きっとあれを手に入れば私は満たされる。」
私は力を振り絞り逃げた。魔王として恥ずべき行為なのだろう。しかしそんな事は最早どうでも良かった。あれが何かは分からない。具体的に何を求めているか分からない。私は名前も知らない宝を探し続け、100年の後に手に入れた。




