★ 番外編 ???視点 後
口内にじんわりと血の味が広がっていく。
あまりの痛さに、私は最初呻いていたが、フェンリル様から振り落とされないようにしがみつくのと、周りの景色を見るのに夢中になり、すぐに痛さなど忘れ去った。
フェンリル様は、森の上を走っていた。
面白いくらい、ビュンビュンと早く、木々ががぼやけ、後ろへと飛んでいく。
雄大に聳え立つ崖、青く雲ひとつない晴天、眼下に広がる広大な森。
そして目の前に見える、城壁都市、ココラス。
大きな街だが、今はまだ遠くに小さく見えており、人の小ささ思い知る。
顔に当たる、新鮮で澄んだ、少し冷たい空気を、私は胸いっぱいに吸い込んだ。
少し前まで、あれだけ不気味で窮屈に感じていた魔の森が、フェンリル様にかかるとこんなにも爽やかに感じることができるのか。
私はなんだか古い自分を捨て去り、新しい自分に生まれ変わったような気分になり、爽やかな気持ちで過ぎゆく景色を眺め続けた。と、
キラリ。
何かが太陽の光を反射した。
眩しくて、思わず目を瞑る。
なんだろう、と光の方へ目を向ける。
そこにいたのは、夢にまで見た、幻鳥だった。
まるで夢を見ているようだ。
私は届かないというのに、気がついたら思わず手を伸ばしていた。
「あれは宝石鳥!」
私が宝石鳥に羨望の眼差しを向けると、フェンリル様は私の気持ちを正確に読み取ったようだった。
家のことは言えないので、慌てて誤魔化す。少し恥ずかしかった。
欲張りは身を滅ぼすという。
フェンリル様に無粋なお願いはできないし、魔の森に間違いなく宝石鳥はいると知れただけでも上々だろう。
街へ行ったら残してきた部下、ククルトゥス達と合流してもう一度探しに行こう――そう思った矢先
「え!?」
フェンリル様が向きを変え、宝石鳥に向かって真っ直ぐに、すごいスピードで走り出した。
理解が追いつかず、振り落とされないように太ももに力を入れる。
これ、もしかして私が戦わないといけないのだろうか――
フェンリル様の気持ちが全くわからないまま、戸惑いながらも覚悟を決めようと、剣に手を伸ばした瞬間、私は吹っ飛ばされていた。
「ハァッ!?」
本日2回目の空中である。
理解が追いつかず、慌てる私の目が、目の前の、いつ変身されたのだろうか、フェンリル様の。人間の時のご尊顔を捉えた。
恐らく実際の時間は1秒にも満たない間だったかもしれない。
それでもその瞬間、時の流れが非常にゆっくりになったのだ。
私を見て、フッと微笑むフェンリル様の表情を、私はしっかりと目に収める。
ふわりと、金の髪が私の鼻を撫でて、離れた。
こんなに綺麗な人がこの世にいていいのだろうか。
「ふぐっ」
涙が出そうになったが、次に気がついたときには私の尻がフェンリル様の背中に強打していた。
感動の涙が、痛みの涙となって零れ落ちる。
「すまんな、人の姿で武器がちゃんと扱えるのか、試してみたかったんだ」
フェンリル様がこともなげに言った。
熟練者の太刀筋だったけどな、と思いながら笑う。
本来なら冒険者同士で協力しながら討伐するのが定石の宝石鳥。
フェンリル様はその宝石鳥に凄まじいスピードで近づき、宝石鳥が反応すらできない一瞬の間に屠るという、離れ業をしてみせた。
一体何度、自身との差を見せつけられればいいのだろう。
自嘲気味に口の端を歪める私に向かってフェンリル様が驚くことをおっしゃった。
「それは良かった。宝石鳥は街に着いたらやる。剣もその時返す」
目を見開く。
浅はかにも、私は喜びを真っ先に感じてしまい、再び自分を恥じる。
このお方は、一体どこまで広いお心をお持ちなのだろうか。
恐れ多くも、なんだか自分がフェンリル様に選ばれたような気がして、うずくまる。
ふわりとフェンリル様の柔らかい毛が、私の額と鼻をくすぐった。
――――――
あっという間にココラスに着いてしまった。
私の数日間の道のりは、フェンリル様のほんの数十分くらいの道のりだった。
フェンリル様を見て、焦って駆けてくる衛兵達を発見し、少し愉快な気持ちになる。
早くフェンリル様のことを人に語りたい気持ちと、フェンリル様と離れがたい気持ちが混ざり、私は顔を歪めた。
「じゃこれが宝石鳥……っと」
私が複雑な気持ちでいると、人型になったフェンリル様から無造作に宝石鳥が渡された。
「本当に……ありがとうございます」
感無量で受け取る。
目から再び涙が迫り上がってくるのを感じ、慌てて目に力を入れた。
「もうさっき聞いたぞ。家のこと、うまくいくと良いな」
フェンリル様に言われ、私は微笑んだ。
フェンリル様に応援されると、心の底から自信が湧き上がってくるのは何故なのだろうか。
弟や家の件で、辛いことも多い。
しかし私は、きっと今まで以上に励み、やり遂げられると確信していた。
自身のアイテムボックスから私の剣を取り出しているフェンリル様の後ろ姿を見る。
このお方に忠誠を誓いたかった。
本来なら、皇族である私が特定の誰かに膝を折ることは、許されない。
それに、恐らくこの方は、今までの態度から察するに、人から崇められたり人に仕えられたりするのを是としないのではないだろうか。
ご自身の力を奮えば世界こそ手に入れられそうなのに、謙虚で温かい方である。
でも、幸いフェンリル様は神獣だ。
誰もが認め、こうべを垂れる行きた伝説である。
本人を前にしなくとも、崇め忠誠を誓っている者は大勢いる。
そしてきっと、今を生きる皇族の中では、私しかお会いしたことがないだろう。
誓うなら、今。
気づいたら私の口は動いていた。
「もしよろしければ、剣身の方から受け取らせて頂けませんか?」
――――――
「このご恩、決して忘れません。必ずや命にかえてもお返ししてみせます」
私は地面に膝をついて誓った。
騙し討ちのようになってしまった。
フェンリル様は気まずそうな顔でこちらを見つめている。
安心して頂きたい。
私は貴方様のお役に立ちたいだけ。フェンリル様が消えろと言えば、消えてみせる――そう考えたところでフェンリル様が口を開く。
「……気にするな。俺は俺のしたいようにしただけだ」
私は一度目を見開いてから、ギュッと閉じた。
なんだか、お互い同じ思考をしていたみたいで……自意識過剰なのはわかっているが、それだけでふわりと身体が軽くなるような嬉しさを感じた。
「では、もう行く。待たせてる奴がいるので、な」
だが私が変なことをしてしまったからだろう。
フェンリル様はあっという間に踵を返し、魔の森へと帰ってしまわれた。
遠くに、キラリと輝く美しくしなやかな狼の肢体がまだ見えている。
それが消えるまで、私はフェンリル様を見つめ続けていた。
「今の……っていうか、え!貴方様は……!」
耳元から聞こえた現実味を帯びた声により、音が消えていた世界から引き戻される。
走ってきていた衛兵たちが、ようやくたどり着いたようだ。
私は彼らの方へ向き直ると言った。
「私は無事だ。休む必要もない。今からギルドへ向かう」
恐らく私の目がキラキラと輝いていたのが不思議だったんだろう。
衛兵たちが不安と疑問のこもった目で見てくる。
私は苦笑いした。
だって仕方がないだろう。
話したいことがいっぱいあるんだ!




