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4 ドゥサードの記憶


 王城内の薬師の詰め所に戻ると俺はすぐに薬師長の元に向かった。するとあっけないほどに俺の退職処理は終わった。おそらく親父かマエナール辺境伯家の根回しは済んでいたのだろう、特に引き止めもなく手続きは終わった。


 辞める者に興味は失せたのか特に会話らしい会話はなく、むしろ明日から来る半弟ヤブイシーの事を聞かれる方が多かった。学院での優秀な成績、加えて学生でありながら王城付きの薬師になり騎士爵も賜るスピード出世…。おそらく順調にいけば騎士爵はあくまで通過点の第一歩、順調に陞爵しょうしゃくを重ねればやがて大貴族の仲間入りをする可能性もある。


 薬師長はそう考えて金の卵かもしれない半弟ヤブイシーと親しくなっておきたいのだろう。そのためだろうか、しつこいくらいに聞かれた。もっとも俺…というかドゥサードの記憶によればヤブイシーとは別々に育てられたようで正直ヤツの事はあまり記憶にない。俺がそう答えると薬師長は俺に興味をなくしたのかすぐに解放された。城を後にしてトボトボと歩き始める、向かっているのは散々な言葉を浴びせられたナーセル子爵邸だ。出がけに言われた親父の言葉が思い出される。


「王城より荷物を回収したのちは表門から戻ってくる事は許さぬ。裏の通用門から入って参れ」


 前世の…特に日本人の感覚から考えるとどこの門からだろうが家に入れるなら良いじゃん…、そう思うかも知れないがそれは大きな間違いである。この通って良い門というのはこの異世界においては重要な意味がある。


 まず我が父…いや、もうそれも過去の話か…。俺がゴシーン・ナーセル子爵との面会の為に屋敷に戻る際に通ったのは表門であった。この門はまさに屋敷の顔であり主人やその家族、さらには来客などが通る門である。他にも我が家に仕える者で騎士の身分にある者なども通る事が出来る。つまり表門は日の当たる立場の者が通れる門である。子爵の嫡子である俺も戻ってくる際には当然ここを通る事が出来た。


 一方で裏の通用門は小さく狭い、ここはこの子爵家に仕える者の中でも身分が低い者が通る所だ。特にここだけしか通ってはならないと言及されるのは『お前は最下級の召使いとか下男だぞ』と決められた事を意味する。


「くそ…、俺が何したってんだよ」


 若いとは言え仮にも王城付きの薬師を拝命し騎士爵にもなってるのに…。王城付きの薬師に与えられる騎士爵の身分だから領地は与えられてないけど代わりに俸給は得ていた、それにこの騎士爵の身分は正当な理由があれば時間は要するかも知れないが国王陛下に面会も出来る。それが騎士の特権だ。日本の感覚で言えば国の高度医療機関に勤める医者みたいなものだろうか、それに為政者の頂点である国王に面会を申し込む権利は言うなれば総理大臣に会いに行けるようなものだ。事はそんなに単純で簡単なものではないけどその権利はある、しかも血を分けた息子を…。


「そうかい、分かったよ…」


 遠くにある子爵邸の屋根を見て俺は呟いた、それこそまさに吐き捨てるように…。


「この決定に不服なら戻ってこなくても良い、どこででも野垂れ死ね…だったか?だったら戻らねえよ、こっちにもプライドがある!こんな踏みつけにされるような仕打ちを受けてやってられるか!」


 思わず文句が口を出る、人目が無い訳じゃないがそんなもの構うものか。それに最下級の下男って事は服もボロボロ、ツギハギだらけの姿から見るにロクな給金ももらえてないよな…。それでいて屋敷内の大部屋に押し込められるようにして何があったら夜も昼も働かされるなんて冗談じゃない。半弟ヤブイシーに乗り換える事を決めてるのに人前で土下座させようとするラフレシアが来る将来…、クソ親父にクズ継母!やってられるか!


「俺は俺の道を行く!あんな家には二度と戻らねえ!ぐっ!!」


 怒りに任せて叫んだ俺の額の内側に鋭い痛みが走った。またか、あの残業の時のような…、突き刺すような激しい痛み、いきなり死んじまうのかよ?若いだろ、このドゥサードって奴。たしか十九とかじゃなかったか?


「この若さで脳疾患かよ…、まさに医者の不養生ならぬ薬師の不養生だな…。さ、さすがに…笑えない…ぞ…」


 がく…、立っていられず俺は地面に膝をついた。体に力が入らない、突き刺すような痛みは脳みそをかき回すかのようなものとなりすぐにでも死んでしまいそうなものへと変わった。目の前の景色、地面、風呂に浮かべたおもちゃの小舟をいたずらに波打たせたらめちゃくちゃに揺れるように視界が乱れに乱れてる。そのうちだんだんと地面でも景色でもないものが見えるようになっていく。幻覚かとも思ったがそれにしちゃリアルで孤独と寂しさ…そんな感情が揺り動かされる胸をえぐってくるような光景だ。


「こ、これ…は…記憶…?ドゥサードの…見てきた…記憶…なの…か…?」


 俺の口から呟きが洩れる。その時、俺の目はたしかに開いているはずなのに外の景色などは目に映らなくなっていた。だが、間違いなく俺の目は他のものを見ていた、それは前世の記憶が蘇る前の…子爵家令息ドゥサードのこれまでの記憶であった。


………………。


………。


…。 


 俺に新しい母が出来た。


 というのも母は俺を出産してすぐに亡くなり、数年で親父は後妻を得たからである。それが継母のニナパープであり、そしてすぐにヤブイシーが生まれた。継母はヤブイシーの子育てを極力他人の手に委ねず自分の手元に置いて育てた、すると親父の足も自然とそちらに向くようになり俺とは疎遠気味になっていく。俺が学院に入る頃には親父の息子二人との距離感の差は決定的なものになり貴族家としては珍しい程にひとつ屋根の下、それも団欒だんらんの時間を多く取るようなな暮らしをしていたのだ。


 普通、貴族は幼い頃から親と子が離れて暮らす事が多い。早くから子息に独立した思考をする癖をつける為、あるいは肉親を切り捨てでもお家にとって大事な決断をしなければならない時に誤った選択をしない為に…。さらには疫病えきびょうが猛威を振るっている時に当主と跡取りが離れたところにいればふたりとも疾病する様な事はなくなる。それは戦闘などにおいても同じ意味合いを持つ。日本人の感覚で言えば織田信長と織田信忠、二人は本能寺の変により同じ日に亡くなっている。もし、二人が離れた場所にいたならば秀吉の天下にはそう簡単にはならなかっただろう。


 話はそれたが俺はそこらの貴族家我する子育てを受け、さらには教育は肉親ではなく外部から講師を招いた。一方でヤブイシーは常に継母ニナパープが同席していたらしく毎日の成果を親父に報告していたようだ。


「幼いながらに剣をとってはあらゆる流派の型をたちどころに修め、馬術をすれば疾風はやての如く。礼儀作法や古典芸能は言うに及ばす、深い知識は古老でさえも舌を巻く」


 いわゆる文武両道であり、人間性に深みを与える教養などにも詳しい。対して俺…というか、ドゥサードという男は典型的な内政タイプ。黒い髪と地味な見た目、剣や馬術はなんとか貴族の嗜み程度には出来るが豪傑と言うには程遠い。取り柄は地味な事でもじっくりと取り組み面倒な手順の作業でも飽きずにやりぬく気質と薬の知識、対してヤブイシーは金色の髪を持つ華やかな見た目、女性に対しての褒め言葉も豊富でウケが良い。加えてあらゆる事に才能を示す傑物という評判、親父のヤブイシーへの期待が高まると相対的に俺への期待は低くなる。すると俺への冷遇はさらに強まる、半弟ヤブイシーが嫡子であったならば…そんな言葉が口癖になっていく。


 そして今日、決定的な事が起こった。ここダクタエックス王国の北辺を治める大貴族、マエナール辺境伯の娘ラフレシアが俺との婚約を破棄し、新たにヤブイシーと婚約すると宣言した事だ。才能に溢れ大貴族の娘とも親しい、跡継ぎを取りかえるのも自然な話なのかもしれない。


「私は…、なかなか会えずとも…誠意は…誠意だけは尽くしてきた…ラフレシア殿…」


 無意識に俺の口から言葉が洩れていた、これが生来のドゥサードの口調なのか…。それは非常に丁寧で理知的な口調…。間違いなく声色は同じ俺なんだが、話し方ひとつでこんなにも印象は変わるのかというくらいの差があった。そしてこれがドゥサードの本音なのか、今となっては元日本人の曲直瀬まなせ道参みちまさ


そう感じると同時にこれまでのドゥサードねか記憶が頭の中に流れ込んでくる。そこには地味だけど誰より真面目に物事に取り組んできた男の姿があった、そして家族や婚約者に誠実を貫いてきな男のまっすぐな心があった。


 記憶が蘇った俺という転生者の人格が支配しているこの肉体…、上書きされた人格がある肉体の口から思わず本音が出てきてしまうほどにドゥサードは…。


「く、悔しかったんだな…、悲しかったんだな…ドゥサード…」


 頬に熱いものが伝うのが分かる、垣間見ているのはこれまでのドゥサードの半生…。俺とは違う別人の人生…。ただひたすらに己を磨き、誰かの役に立ってきた男の記憶…。それは肉親の情など感じられない父ゴシーンへも、継母ニナパープや半弟ヤブイシーにも恩恵を与えていた。そしてあの婚約破棄を宣言した辺境伯家令嬢のラフレシアにも…、この女を救おうと決意した事がドゥサードが薬師を志すきっかけでさえあったのに…。


「ナーセル子爵家の御令息ドゥサード様、わたくしは貴方あなたとの婚約を破棄させていただきますわ!!」


「ヘッ、まあそういう事だぜ!兄貴!これはもう親父殿も承知の話さ!それともうひとつ良い事を教えてやンよ!王城付きの薬師の座、これもオレがもらう事になってンだ!」


 きっかけとなったラフレシアの姿と声が脳裏に浮かぶ、横にいるヤブイシーの姿も…。


「王城より荷物を回収したのちは表門から戻ってくる事は許さぬ。裏の通用門から入って参れ」


「こんな役に立たない兄と違ってヤブイシーは有能なのよ!こんなのでも務まる王城付きの薬師ですもの、あの子ならもっと上手くやれるに決まってるわ!」


 さらには親父の姿、さらにその隣でふんぞり返ってる継母の顔も浮かんでくる。


「くそったれがァ!!」


 カッと音が出るくらいに俺は目を見開いた、いつの間にか頭痛は治まり周囲には変わらない街並みが続いている。興奮している荒い息を少しずつ整える。


「あんな家に戻るのなんてまっぴらごめんだ!奴らの召使いになるってのもな!俺はこの王都を出る、二度とは戻らん!!」


 傾き始めた日が王都の街並みをオレンジ色に染めていく。その中をひとり、俺は黙々と歩いた。ナーセル子爵家、そしてラフレシアとの決別、その思いを胸に俺は足を動かしていた。


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