9 ラフレシアの小さな異変
謀らずも王妹ユーリアに危害を加えてしまった薬師ヤブイシー、その為に薬師の詰め所内での薬の調合の場からは外され王城の地下にある倉庫の在庫数の管理や整理整頓などの業務に回されていた。
「クソ…、にゃんでオレがこんなカビ臭え所で…」
地味な在庫の数量管理とか様々な薬を作る材料になる生薬やその他の物品を整理整頓しながらヤブイシーはブツブツと文句を言っていた。殴られて際に歯が折れた折れたのでまだ口の中に違和感がある、その為に喋り方はどこか違和感がある。地味で目立たない仕事に嫌気が差してくる、しかし先日の事もあるように王族の薬を作る事もあるのだ。その材料をどこの馬の骨とも分からぬ者に触らせる訳がない。それゆえ薬師の中から当番制でこの役目が割り当てられる。
だが、ヤブイシーにこの仕事は不向きだった。なんせ貴族の息子…、それも悪い意味で…。薬は作れる、しかしそれは調合書や手引書の範囲内での事だ。作業台に材料と調合道具が揃った状態、それを使って薬を作る事は経験している。今まではそれで良かった、なんせ貴族学院は貴族の子が通う所だ。製薬以外の倉庫から材料や道具を取り出してくる準備、終わったら片付けて清掃する…それらは学院が雇った下働きの者がする。それゆえ準備や片付けが必要な事を頭では分かってはいるがそれを進んで実践している者は少ない。ヤブイシーもそんな貴族然とした薬師であった。
ちなみにこの詰め所を去った半兄ドゥサードは転生を自覚していた訳ではなかったが前世のドラッグストアでの勤務経験が断片的に頭の片隅にでもあったのだろう。商品を売るのはあくまで一瞬、客が手に取りレジに持ってくるまでだ。しかしそれまでにいくつもの手順があり売れたら棚を空にしないように補充する、それが分かっていたドゥサードは倉庫の管理等の重要性を理解していた。だが、ヤブイシーにはそれがない、ブツクサ言いながら適当にやっていた。
「まあ、良いか。どうせこんなツラじゃ学院にも…、つーか人前に出られたモンじゃねぇ…イテテ」
痛む頬を撫でながらヤブイシーは呟く。プリンセスガードに殴られ蹴られ…、腫れた顔では学院に行くのも憚られた。それゆえヤブイシーは王城内の詰め所で寝泊まりしていた。ここなら外部とはそう行き来はない、しかも昼間は地下の倉庫で在庫管理に明け暮れている。人前に出たくない今は好都合だった。
「ハア…、だけど遊びてえなァ…。ラフレシア殿と劇でも観に行くとか、カフェにでも行くとか…。クソ…、なんでこんな目に遭うんだよ…」
今日何度目になるか分からないため息をつきながらヤブイシーは適当に管理するのだった。
□
「今日もヤブイシー様は学院に登校されませんでしたわね。お仕事が忙しいのかしら?」
王都内に与えられた辺境伯邸に帰宅したラフレシアはそう呟いていた。新しく婚約者となったヤブイシーは王妹であるユーリア殿下から直接ご下命を受けた虫除け薬を献上した翌日から学院に姿を見せていない。お風邪でも召したかしらとラフレシアがナーセル子爵邸に人をやってみたところ、ヤブイシーは王城から戻っておらず泊まり込みで仕事場に詰めているという。
「きっとユーリア王妹殿下に献上したお薬が評判を呼んだのですわね。だから続けざまにご下命があったのかしら?それこそ帰宅も出来ないくらいに…。ふふ、そうなると今後が楽しみですわね。爵位が高くなるのも大切ですがいかに陛下や王族の方々と親密になるかも重要ですもの。陛下の寵臣ともなればそれだけで人は寄ってきますもの…」
人が寄ってくる…、そうなれば手ぶらではやって来ないのが世の常だ。何もしなくとも勝手に色々転がり込んでくる。しかしヤブイシーが城中に詰めているのは全く別の理由、人前で姿を晒したくないからである。原因は仕事の失敗であり、王妹ユーリアからの信頼はゼロというよりマイナスだ。今は土の下に生息するモグラのように地下の倉庫内を動き回っている。それを知らないラフレシアは幸せそうにひとり微笑んでいる。
「そういえば昨晩で石鹸を使い切っていたのですわね。これ…、誰か!」
ラフレシアはお付きの侍女を呼んだ。
「湯浴みをいたしますわ、準備を。それと石鹸を新しい物にしておくように。昨夜使い切ってしまいましたから」
「はい、お嬢様」
「ふふ…、卒業と同時にワタクシは妻となる身…。美しさに磨きをかけておきませんと…」
そう言って入浴に向かうラフレシア、そこには新しい液体状の石鹸が用意されていた。ナーセル子爵領名産のまだ鹸化しきっていないトロリとした液体状の石鹸である。ラフレシアは特に肌が弱い訳ではないが使うのに手間がかかる固い石鹸よりもすぐに使えるこちらを好んでいた。
ヤブイシーが届いた石鹸はいつも通りの液体の物、それで満足するまで侍女達に自分の体を洗わせるとラフレシアは自室に戻った。趣味であるアクセサリーや服を鏡の前であれやこれやと合わせてみる。一通り鏡に映した自分の姿を楽しむとラフレシアは寝る事にした。
「明日はヤブイシー様は学院に来るのかしら…」
そんな事を呟いているといつのまにか眠っていたようだ、そらは白々と明けてきており侍女が起こしに来ている。ラフレシアは鏡台に向かい髪を整えさせる、そして着替えようとした時にちょっとした違和感に気付いた。着替えを手伝う侍女がわずかに自分から目をそらすような…、そんな顔の向きをしている。そんな侍女の様子を何事かと考えラフレシアは侍女に尋ねた。
「どうしましたの?」
「い、いえ…。なんでもありません、お着替えを手早くさせていただきますね、学院に遅れる訳には参りませんから…」
「そうですわね。今日こそヤブイシー様が登校されているかも知れませんし…」
侍女の返事をラフレシアは特に気にせず話はそこで終わった。着替えが終わると朝食、それからいつものように香水をつけて学院に向かう馬車に乗り込んだ。しかし先程ラフレシアが感じたわずかな違和感、それが彼女の日常が壊れていくきっかけだったとはこの時は誰にも分からなかった。
いかがでしたでしょうか?
作者のモチベーションアップの為、いいねや評価、応援メッセージなどを感想にお寄せいただけたら嬉しいです。レビューもお待ちしています。よろしくお願いします。
モチベーションアップの為、いいねや評価、応援メッセージなどいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
次回予告。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
ラフレシアに起こる異変、それは彼女の日常を壊しその将来をも変えていく。羽振りの良い貴族の娘は華やかな世界で生きていたいもの…、しかしそれが出来なくなる。
今までそんな世界にいられたのはラフレシアが婚約破棄したドゥサードのおかげだった。そのドゥサードをコケにして捨てたラフレシアに華やかな未来が来るはずもない。貴族令嬢としての終わり、それはすぐ近くにまで迫っていた…。
次回、タイトルはここでは書きません。
完全にネタバレしますからね。
投稿をお楽しみに!