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7 ヤブイシーの自慢話と分かれ道の石鹸(せっけん)


「…という訳で俺は今日、王妹殿下から指名されて特別な虫除むしよけ薬を作る事になった訳なンですよ」


「きゃー!!さすがはヤブイシー様、学院に在籍しながら騎士爵の身分を得て…さらには王妹殿下からその才能を見込まれて直接のご下命を頂戴ちょうだいするなんて前途有望ですわ!」


「ッ!?…ヘッ。ま、まあオレの噂が王妹殿下のお耳にまで届いていたのかも知れませんね」


 得意な顔をしてヤブイシーは新たに婚約者となったラフレシア・マエナール辺境伯令嬢に王城内での出来事を語っていた。鼻の穴をいつもよりわずかに膨らませ明るい声で話す、痛いトコロを突かれた時は一瞬言葉に詰まったがそこは笑って切り抜けた。


 すなわちヤブイシーがまだ正式な騎士爵には任ぜられていない見習いである事がその第一。そして第二に王妹殿下の耳には自分の噂は届いておらず今回の薬品の調合は兄ドゥサードの腕を見込んでの事だった、その兄が職を辞していたのでヤブイシーがその弟であるからきっと出来ますよと薬師長がなかば強引に言上したからそれなら試してみようという事になった点についてヤブイシーは話していなかった。つまりヤブイシーは話を盛ったのである、それも大袈裟に事実でない事も織り交ぜて…。金やら人脈やらを使って母ニナパープがヤブイシーの良い噂をばら撒いたようにヤブイシーもまたラフレシアに自分を大きく見せたのである。


 さて、そのユーリア王妹殿下からの虫除け薬を所望された件だがヤブイシーは王城内にある薬房で二時間もかからずに生産した。その出来上がった虫除け薬はすでに王城内の所定の場所に届け終わっている。それもそのはず、虫除け薬は作るのに大した手間はないのだ。駆け出しの薬師でも作りやすい、難易度の低いものなのだ。


 しかし作るのが簡単な虫除け薬だが用途は広い、まず農地で使えば作物の葉や茎を齧る悪い虫を追い払う事ができる。それ以外にも便所の近くに撒けば排泄された糞尿にハエなどの虫がたかる事は出来ない、それすなわち病原菌をハエなどが介在するのを防げる。疫病えきびょうを未然に防ぐ為にこの王城内はもちろん城下町の要所要所で使われている。そしてこの虫除け薬は人体にも使える、その目的は当然ながら虫さされを防ぐためである。


「その虫除け薬ですが、ユーリア王妹殿下にお使いいただくと同時にその愛娘まなむすめ…国王陛下におかれましては姪御様めいごさまにあたるフローラ様にもお使いいただくおつもりだそうで…」


「まあ、フローラ様にも…。たしか陛下にはまだ王女様はお生まれではなく王子様のみだとか…。御養子縁組をした妹とはいえフローラ様は近しい身内に生まれた女の子という事で以前から姫君のご誕生を望まれていた陛下はまるでご自分の娘のように可愛がっておられるとか…」


「ええ、そうです。今回の謁見でユーリア王妹殿下のご尊顔を拝した時、近くには侍女の押す乳母車にフローラ殿下もおられて…。ユーリア王妹殿下は直々にこうおっしゃられましたよ、私とこの子の肌を守る虫除け薬を…と。それでオレはすぐに詰め所の薬房やくぼうこもり虫除け薬を作りました。二時間もかからなかったと思いますよ、それも、薬品製造の手引書の手順から一切の狂いのない手順で…」


「二時間!?さすがヤブイシー様、手際がとても良いんですわね。さすがに学院始まって以来の天才の評判は伊達ではありませんわ!」


「ははは!持ち上げ過ぎですよ、ラフレシア殿。それにこの程度の事、なんの造作もありませンよ。まあ、兄は薬を作るのに二日を要したようですがね」


「まあ!それはヤブイシー様の手際の良さがそうさせたのではありませんの?あるいは才能の違いですとか…」


「才能ですか、確かにオレは薬師としてはあるのかも知れませんね。ですがオレは今まさに自分の才能の無さを痛感しているところなンです」


「才能の無さですか?まさか、そのような事…。天才の評判のヤブイシー様に至らぬ点などあるわけがありませんわ…」


「いえ、あるのですよ。今せっかくこうしてラフレシア殿にお目にかかる機会を得ているのに…、非才のオレには貴女の素晴らしさを言葉に表す事が出来ないでいます…。もしオレにほんのひとかけらでも詩人のような才があれば…、貴女を讃える言葉もこの胸を熱く焦がす想いも…千でも二千でも出てくるはずなのに…」


 ため息まで混ぜてヤブイシーはラフレシアに甘く囁く、ラフレシアはそれをウットリとした表情で聞いている。若く惹かれ合う男女、しかしここは学院の敷地内であり周囲の目もある。一応、二人は貴族の子である。こんな所でいきなりはしたない真似はしない。だが、それでも若い恋人同士がするくらいには間近で話している。ラフレシアが愛用する甘い香水の香り、そこに透き通るように爽やかな香りもヤブイシーの鼻には感じられた。二種類の香水を上手く合わせて使っているのか…、ヤブイシーはふとそんな事を考えていた。


「あっ。そうそう…、ヤブイシー様…」


 何かを思い出したようにラフレシアが呟いた。


「わたくしもひとつ、おねだりしてもよろしいかしら?」

 

「ははっ、なんなりと…」


 胸に手を添えうやうやしくヤブイシーが返事をする、貴族の娘たちに最近流行している姫君と騎士の恋を扱った歌劇のワンシーンのようだ。


「実は入浴の際に使う石鹸せっけんが残り少なくなってきていますの。今まではドゥサード様が定期的に送ってきてくれていましたが…」


「ああ、それでしたら…」


 オレがお屋敷に送らせますよとヤブイシーは応じた、石鹸は肥えた土地が少ないナーセル子爵領の数少ない産物であり重要な資金源である。古くから領内で作られており、たしか水辺にむ魔物から取れる分厚い脂肪を溶かし藁灰わらばいか何かと混ぜて作るはずだ。


「まあ、嬉しい。あのトロッとした液体の石鹸は使いやすいですから…」


「ッ!?」


 ヤブイシーは一瞬だけだが表情が固まった。


(危なかった、固形の方の石鹸を送らせるトコだったぜ…。液体のはアレだろ?脂肪と藁灰を混ぜて寝かしきってねえ…まだ鹸化けんかの途中の固まりきってねえヤツ…。ああ、なるほどな。ラフレシア殿は肌が弱いのか、だから石みてえに固い鹸化しきったヤツじゃなくて柔らけー方を欲しがったって訳か…。たしか侍女とか女官の中には肌の弱い奴が使ってるって話だからそれを回しとくか…)


 そう考えたヤブイシーは王都内に与えられた子爵屋敷に戻ると早速マエナール辺境伯屋敷に人を走らせた、もちろん液体状の石鹸を運ばせる為である。しかしそれがこれから始まる転落劇の重要なピースになるとはこの時の彼らには思いもよらない。だが、それより先にヤブイシーには転落が始まっていた。それは王妹ユーリアに虫除け薬を献上した翌日の事である。


「〜〜〜♪」


 上機嫌を絵に描いたような顔でヤブイシーは薬師の詰め所に向かっていた。何もかも上手く行っている…、初日からユーリア殿下から直々のご下命を短時間で終わらせラフレシア辺境伯令嬢とも上手くいっている。それにもしかすると今回の件が縁でユーリア王妹殿下とお近づきに…、あわよくば妻にする事が出来るかも知れない。


 いかに王妹とは言っても直系ではなく養子縁組をして陛下の妹になった傍系の女性、しかも最初の結婚相手とは死に別れ王都に戻ってきている。おまけに子持ちだ、嫁ぎ先選びはなかなか難しいだろう。そこで殿下が心を許せる程に信頼でき気楽に嫁げる家格の自分ならどうか?もちろん妻として迎えた後にはオレの爵位や家格がグンと上がるだろうが…。


「まあ、その時にゃあラフレシア殿に第二の夫人に退いてもらって…ん!?」


 薬師の詰め所に入ろうとしたところでヤブイシーは中に見慣れぬ男がいるのが見えた。身に着けているのは合戦時の体全体を覆う甲冑ではなく、肩や胸など急所や大きな関節部など人体の要所だけを守る軽装の鎧を身に着けている。そして注目すべきは右肩から斜めにかけている帯状の布…、あの薔薇の刺繍が施された帯布を身に着けている者達の正体はこの城にいる者なら誰でも知っている。直接の血こそ繋がってはいないが国王陛下が実の妹のように大切に扱っているユーリア王妹殿下とその娘フローラ様の為に特別に組織された…。


王妹殿下護衛騎士プリンセスガードだ…)


 ヤブイシーは心の中で呟く。そして同時にほくそ笑んだ。こりゃあもしかするとユーリア王妹殿下に気に入られたか…、そう考えたヤブイシーは派手に詰め所に入ってやろうと大きく息を吸って声を大きく張り上げた。自分の出仕をみんな聞けと言わんばかりに…。


「薬師ヤブイシー・ナーセル、ただいま出仕いたしましたッ!!」


 むふーと大きく開いた鼻の穴から得意気に息を吐いて詰め所の中の反応を見る、どんな賞賛の言葉や羨望の眼差しが来るかとヤブイシーはら待ち構える。しかしヤブイシーに待っていたのはそのどちらでもなく無言で近づいてくる騎士の足音。


「ヤブイシー・ナーセル…、貴様か…」


 プリンセスガードの騎士が呟くように言いながら間近に迫る。それをヤブイシーは笑顔で迎える、褒美でも届けに来てくれたか、あるいは王妹殿下がオレに惚れ込んでまた会いたいと茶席にでも誘ってくれたのかなどと楽観的な事を考えていた。だからヤブイシーは胸を張って応じようとする、しかしヤブイシーにもたらされたのは賞賛でも褒美でもなかった。


「はい、オレがそのヤブイシー・ナーセルで…」


「この不心得者がァッ!!!」


 ぶんっ!!


 音が鳴るほど力強くプリンセスガードの放った裏拳がヤブイシーの顔面をとらえた、金属製の籠手を身に着けた鍛え抜かれた騎士の剛拳である。殴られたヤブイシーは折れた歯を数本撒き散らせながら宙を舞い石作りの床を無様に転がったのだった。

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