【第1章】6話「龍之介」
菊池と偽大刀洗は未だ斬り合いを続けていた。菊池も傷つけ過ぎれば相手が完全に死んでしまうことを理解しているが故、防戦一方だった。
「おい大刀洗。いつまでこんなこと続けるつもりだ。…早く目を覚ませ!」
「無駄なことを。ソレは大尉殿のご友人ではなく鏡獣だぞ?どんな言葉を並べようと無駄だ」
八木の嘲笑するような声を無視して菊池は偽大刀洗に語りかけ続ける。
「大刀洗!大刀洗!戻ってこい!」
「……」
しかし大刀洗から反応はない。やがて八木が痺れを切らしたように偽大刀洗に命令を下す。
「大刀洗。時間がかかり過ぎだ。そいつをとっとと動けなくしてそこの黒セーラーの女をやれ。殺すなよ、半殺しくらいにな」
命令を受けた偽大刀洗は斬り合いをしていた菊池に向かって強烈な蹴りを放つ。受け止めきれず後ろに吹っ飛ぶ菊池。
「椿様!危ない!」
ハチが叫ぶも偽大刀洗はまっすぐ椿のところへ走り、刀を振り上げ――ようとしたが。
「…!?大刀洗!何をしている!」
果たして偽大刀洗は、刀を振り上げたまま硬直していた。
「大刀洗…サン…?」
椿が思わず名を呼ぶ。すると偽大刀洗の表情が歪み、眼から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「…ろ……せ…ころ、せ…!」
「そんなん…できるわけないじゃないですかあっ!」
「馬鹿な、自我を取り戻しかけているのか…そんなはずは…」
椿は叫び、八木は困惑したように首を傾げたが、すぐにもとの表情にもどる。そして…何かを思い切り偽大刀洗へと投げる。それは…見覚えのある、白い釘…釘は真っ直ぐに硬直している大刀洗の胸に突き刺さった。
「グゥ…ァ…」
苦悶の声を漏らす大刀洗。やがて釘を中心に大刀洗の体をヒビが侵食していく。ガシャン、と何か割れる音と共に、大刀洗の体は鏡の破片となってその場に砕け散った。椿と百合は思わず呻いた。
「あ、あああ、ああああぁ……」
「貴様……大刀洗を…大刀洗をよくもッ!」
激昂した菊池が八木に斬りかかるも、他の偽軍人にやはり阻まれてしまう。
「何が起こったのか俺にも分からんが…不穏な芽は摘むに限る。あーあ、大刀洗は使えそうだったというのに、もったいない…」
八木は残念そうな口調で話した。椿と百合の表情が怒りに染まる。
「このクソ野郎…死ね……死ねぇッ!」
百合が携帯していた拳銃で八木を撃つも、偽軍人らが阻む。
「百合!よせ!彼らにヒビが入るだけだ!」
菊池が百合を制止する。鏡たちには銃によってより多くのヒビが入ってしまっていた。このままでは大刀洗の二の舞だ。誰もが絶望した、その時。
ガチャンッ
宮崎が持っていた刀を取り落としたのだ。そして両腕をだらんと垂らし、まるで糸でつられているかのような体勢になった。すると、宮崎の体を黒い炎のようなものが覆っていく。やがて炎が晴れ、現れたのは…
「え、あ?え?た、大刀洗さん…?」
百合が思わず尋ねる。だがよく見ると大刀洗宗太の特徴でもある口元のホクロは無く、左頬に火傷痕がのこっている。菊池が驚いたように口を開く。
「リュウ…?龍之介か…?お前…」
「おうよ。俺の名前は大刀洗龍之介だ」
フワフワと浮きながら龍之介は辺りをぐるりと見渡し、八木に視線を注ぐ。
「オイ、貴様、よくもまあ俺の可愛い曾孫殺してくれやがったな、なあ」
龍之介は八木に凄む。若干狼狽えた八木だが、すぐに元の調子に戻る。
「だったら何だ?アンタあれか、大刀洗…宗太が言ってた前世ってやつ…死人は引っ込んで――」
バキィッ!
龍之介の左ストレートが八木の頬に命中する。速すぎて誰もが一瞬何が起こったのか理解できなかった。
「俺はなあ、どうやら宗太の守護神?守護霊?ってところみたいでな…まあちょいと干渉しすぎて俺の記憶が流れ込んじまったみてぇだが…まあ、俺が宗太の前世であることは変わりないぜ」
龍之介はそう話しながらも高速で移動し、他の偽軍人たちに何かしらを施し、全員眠らせた。
「てめえ…俺の鏡獣どもに何しやがった」
「俺が内部に干渉して、体に入っていたその鏡獣?とやらをぶっ殺しただけに過ぎん。残念だったな、お前のしもべはこれで誰もいなくなったぞ」
「つ、つまり…人間に戻したってことですか!?」
「おうよ。……鬼神の力、舐めんじゃねえよ」
野間が驚いたように叫び、当然とばかりに龍之介は頷いた。形勢逆転である。八木は最後の抵抗に百合を取り込もうとした鏡を取り出すも…その鏡は既に割られていた。龍之介がその様子を見て笑いながら言う。
「ああ、それね。なんか危険そうだったから壊しておいたぞ」
「クソどもが…覚えてろ!」
捨て台詞を吐くと八木は一目散に逃げていく。それを椿と百合が追う。椿が叫ぶ。
「待てよオイ!椿の木の釘はお前が犯人なのか?オイ!聞け!逃げんな!」
物凄い速度で追っていく2人に菊池が声を掛ける。
「あっ、ここら一帯もう封鎖済だから行かなくても良い…て聞こえてないか…」
菊池は苦笑いすると龍之介に向き合った。
「…リュウ。すまない。この私がいながら宗太を助けることができなかった。申し訳ない」
「ハハハ、謝るなよ。顔を上げな」
菊池が不思議そうに顔を上げると、ふよふよと浮いている龍之介はニッと笑った。
「可愛い可愛い曾孫の魂は俺の中に守ってある。依代を用意してくれたら、宗太は復活させられるぜ。安心しろ、黒魔術とかの類じゃねえから…それに、分離の術も今回どさくさの中で獲得できたしな。次こそは宗太を守ってみせるさ」
「リュウ…何から何まで…ありがとう…!すまない…!」
「俺達の仲だ。いいってことよ。んじゃこの体は宮崎に返す。代わりに儀式のためにオマエに憑いておくぜ、そのほうが負担もかからず楽だからな…」
そう言うと再び黒い炎に龍之介は包まれ、宮崎が現れる。強い霊を体に宿していたのだ、流石の宮崎も堪えたらしく、その場に倒れ込んだ。野間が宮崎を受け止める。
「…私は取り敢えず龍之介に指示された通り宗太を復活させる。貴様らは…一応彼女たちを追ってくれ」
「「ハッ」」
こうして、菊池と宮崎、野間は別々の方向へと走っていった。
八木は全速力で雑木林の中を走っていた。手持ちの鏡はすべてもう使い物にならないもの。くそっ、と悪態をつきながら走る。“白ウサギ”に任命されている者とあってか、八木は雑木林の中で完全に姉妹を撒いていた。そして軍に知られていない拠点の入り口を目指す。林を抜けたらすぐだ。しかし……
「こんばんは、白ウサギさん。今日は月が綺麗ですねえ」
そう言いながら現れたのは目の前を塞ぐように馬に乗った銀髪の騎兵。林の中に戻ろうとするも、他の騎兵が乗った馬たちによって周りを囲まれる。すぐに近くに待機していた憲兵に八木の体は拘束された。銀髪の男が馬から降りて近づいてくる。鋭いツリ目の男だが、口元には笑みを浮かべ、その手には扇子が握られている。
「白ウサギさん…いえ八木軍曹。あなたを拘束させていただきます。我々はあなたの尋問を任されましてね。殺さなければ何をしても良いとのお達しでして…優しくなんて一切しないので、覚悟しておいてくださいね、フフフ」
楽しそうにそう宣う男を前に八木は絶望した。目の前にいるこの男は…目的のためならどんな手段も厭わないという、陸軍の中では知らぬものは居ない、悪名高き恐ろしいあの男だと確信したためであった。そして、自分には…恐ろしい術がかかっている。終わりだ。八木は憲兵に連れられて行く。その様子を楽しそうに眺めた銀髪の男は小さく笑っていた。