【第3章】15話「闇夜のエンジン音」
「菊池のことです」
眉間にシワを寄せ、身を乗り出しかけたムラサメの動きがピタリと止まる。座り直し、話を聞く体勢になったムラサメを見て、にこりと微笑んでから内海は続ける。
「彼は祟り神です。それは誰もが知っています。…しかし、祟り神というものは信仰、畏れもそうですが本人の強い負の感情が原動力となることがほとんどです。しかし、そうでなかったら、どうなると思います?」
『…消滅。もしくは……祟るという目的が消え去れば、守り神に転ずる。……菅原道真やオオモノヌシのように』
「その通りです」
問われ、答えた自分の声は僅かに震えていた。菊池が消えるはずはない。なら、なぜ、このような話を……?
「不思議そうな顔ですね。私は、菊池はもう祟り神から普通の神さまになっていてもおかしくはないと思うのです。戦後の怪異による混乱や怪異に堕ちた戦友たちを清め、祓って回ったのは菊池です。祟り神から脱するには本人の意思と行動が大事なわけです。しかし、彼は未だ祟り神…清らかな神に転ずる兆候ひとつない。それは何故か?」
『……なるほどね。僕か』
内海は頷く。ムラサメとサミダレはひとつの身体からうまれた二柱の祟り神。魂は違えど一心同体。ムラサメの口調がサミダレに引っ張られているように、サミダレもまたムラサメに引っ張られている。
『つまり、僕が祟り神から脱する努力をしないと、サミダレも祟り神から脱することはできないというわけか』
「そういうことです。…貴方は、菊池のことを大切に思っているんでしょう?だって、貴方は菊池の――」
……
『ハァー…やっぱり気付いてたんだな。思わせぶりな態度と言い方ばかりしやがって。僕君のそういうとこ嫌い』
「ハッキリ言われてしまいましたね…でも、このことは椿らには隠しておきたいのではないのですか?」
『別に。そういうわけじゃないけど。…気を遣わせたくない』
そっぽを向いたムラサメに苦笑する内海。しばし、両者の間に沈黙が降りる。
『…君のサミダレを祟り神から脱却させてやりたいって気持ちは分かった。君も彼のことを想ってのことだろうし。でも本人はなんて言ってるのさ』
「興味ない、とのことです」
ムラサメは吹き出した。いかにもアイツらしい。
(どいつもこいつも、他人のことばっか考えちゃってさ…自分のことは後回し。もっと自己中に生きたらいいものを)
『…祟り神から脱することが幸せなのならば僕も本気で考えよう。でも、そうとは限らない訳だろ』
「まあ、そうですね」
『頭の端っこくらいには置いといてやるよ。まあ、僕のこの憎しみは、消えることはないと思うがな』
言い切ったムラサメを見据えていた内海だが、息を吐くと立ち上がった。
「分かりました。強制するつもりはありませんし、菊池の方も今はさほど気にしていないようですし、今回はこれくらいにしておきましょう。長々とすみませんね」
『あーはいはい、もういいから早く行って。おやすみ〜』
こちらには目もくれずベッドに寝転び、すでにテレビのリモコン片手に手をひらひらと振っているムラサメを見て、内海は少し笑みを漏らす。椿が小学生くらいのころを思い出す。
「では、失礼しますね。色々と制約の多い日々とは思いますが、相談なんかにはいつでも乗りますのでね、“クラナキサマ”」
再生ボタンを押そうとした手が止まる。今アイツ、なんて言った――?
咄嗟に上半身を起こすも、既に扉が閉まる音がした。靴音が遠ざかっていく。呆然としていたムラサメだが、込み上げてくる感情のまま内海が出て行った扉に枕を勢いよく投げつけた。
『ギイィィイーーッ!!なんだアイツ!どこまで知ってんだよ腹立つ!!』
堪らず叫べば壁をドン!と叩く音に思わず飛び上がる。隣の部屋は菊池隊の1人、大島軍曹である。このように騒がしくすると壁を殴って抗議してくるのである。深夜に叫べば大島が怒るのも妥当だろう。
『あ〜くそ、調子狂うな……』
外の空気でも吸おうと、ムラサメは窓を開ける。そして、懐から煙草を取り出す。菊池からもらったものだ。ライターで点火すると、口をつけ煙を吸い込む。
『ン”ッ…ゲホッゲホッ』
慣れぬ感覚に思わず咳き込むも、案外悪くはない。煙草を咥えたまま、ぼんやりと夜空を眺める。ビルどころかマンションもない故郷と違い、街が煌々と輝いているせいで星はほとんど見えない。しかし、あたりには静寂だけが満ちている。
『……ン?』
静寂。のはずが、何か音が聞こえる。今どきはもう聞かなくなったこの音。飛行機のエンジン音?窓から身を乗り出し、夜空を凝視する。
『あれは…!零戦?』
ムラサメの目がとらえたのは、飛行機の影。しかしそれはジャンボジェット機でもない、先の大戦で使われていたような戦闘機のような影。
『この気配…守り神のものではないな。私らと似ている?悪霊か、まさか、祟り神?……追ってみるか』
ムラサメが窓に足をかけた瞬間、視線に気が付いたのか零戦のような影は旋回して港の方へと消えて行った。
『何だ…アイツ……気味が悪い。まっ、いいや。録画見よ〜っと』
ムラサメは持っていた煙草を咥え、一気に吸い上げるとまだ淡い光を放つそれを握りつぶし、窓を閉めた。
*
「ふう…追っかけては来てねえな」
作戦前夜ともあり、せっかくだからと今の街を見ておこうと夜間飛行をしてみたわけだが、妙な気配の奴に気付かれてしまい慌てて戻ってきたところであった。
「引き返して正解だったな…まさか俺に気づくとは。コッチ来る気満々で焦ったぜ」
絡みつくような視線を思い出し、パイロットの男は思わず身震いをした。きっと奴も人ではないナニカなのだろう。気晴らしのために風防を少し開け、煙草を吸う。港を過ぎ、海上を飛ぶことしばし。ゆらりと空間が揺らぐのを感じたかと思えば、目の前に空母――によく似た姿の怪物が現れる。零戦は格納していた車輪を出し、艦上着陸に見事成功する。
「あら。思ったよりも早いお帰りね。何かあったのかしら?」
「別に。何もねえよ」
飛行機の近くにやってきたのは狐面の女、七隈。パイロットは風防を開け放ち、どかっと足を投げ出して煙草を吸う。そこに、人の姿をした怪物――鏡獣たちが近寄ってくる。その手には整備箱。しかし。
「やめろ!!俺の愛機に触んじゃねえ!!」
雷のような大声に驚いたのか、鏡獣たちは人の姿を崩し、四足歩行の獣のような姿となって逃げて行った。
「まあ、失礼な人ね、吹田さん。せっかくそのオンボロを整備してくれようとしていたというのに…」
やれやれといった風に首を振る七隈にパイロット――吹田と呼ばれた男は拳銃を向けた。
「俺の愛機がオンボロだと?ぶっ殺すぞ」
こめかみに青筋を浮かべる吹田だったが、後頭部に何か押し付けられる感覚と同時に、カチリ、という音を聞いた。銃のセーフティを外す音。
「私たちの七隈様にそんな態度を取るのは許さないぽ。殺意を向けるなんて、もってのほかぽ。今ここで殺されたいのかしらぽ?」
吹田は目線だけを動かし、コクピットの窓に映った人物を捉える。白いスーツの背の高い女。長い白髪につばの広い帽子をかぶっている。
「…俺の愛機に勝手に乗るんじゃねえよ。殺すぞ」
「まあ生意気ぽ。拾ってやった恩義も忘れるとはぽ。七隈様。こんな不穏分子、とっとと排除して――」
「よしなさい、サユリ。吹田さんも」
七隈の静かな声にサユリと呼ばれた背の高い女は銃をしまい、戦闘機から飛び降りた。吹田もしぶしぶ銃をしまう。
「今私たちは人が足りていないのだから。潰し合いは困るわ」
「ごめんなさいぽ、七隈様」
ぺこりと頭を下げたサユリの頭を撫でる七隈。甲板に足音が響き、もう1人が現れる。黒いゴシックドレスに身を包んだ、小さな少女。
「サユリ。七隈を困らせていないだろうね」
「も、もちろんぽ…!お姉様…」
「あら、ナナ。珍しいわね。こんな時間まで起きてるなんて」
「七隈様。ワタシを子供扱いしすぎだ。夜更かしくらいする。…それにしても、その男。本当に信用できるのだろうね」
子供にしては落ち着き払った口調に、鋭い視線で吹田を見据える黒い少女――ナナ。
「安心なさい。彼は重要な役目を果たしてくれるわ。…さあ、もう休みましょう。明日の作戦に支障が出てもいけないわ」
「七隈様の言うとおりぽ。憎き呪い師どもにアッと言わせてやるんだぽ」
そう意気込み、彼女たちは艦内へと戻っていく。はたと七隈は足を止め、吹田を振り返る。
「貴方はそこでいいのかしら?艦内には空き部屋もシャワールームもあるわよ?そんな狭いところで寝るより――」
「うるせえ、女狐のくせによ。とっととどっか行きやがれ」
吐き捨てるように言い放った吹田は風防を大きな音を立てて閉めてしまった。七隈は小さくため息をつき、サユリとナナの後へと続いた。




