【第3章】14話「訪問者」
『つーばき。何してるの?』
不意に名を呼ばれ、顔を上げた椿の目の前にいたのはムラサメ。寮の共有スペースのソファに座っていた椿の隣にムラサメも腰を下ろす。
「ああ…レポートの手直ししてたの。分かんないところあったからさっきまで師匠に色々聞いてたとこ。ムラサメは?」
『僕は…別に用があったわけではないけど』
再びタブレット端末に目を落とした椿をしばし眺めていたムラサメだが、小さく息を吐くと椿の目を見据えた。
『ねえ。椿。無理してない?』
「……へ?」
唐突な質問に目を丸くする椿。しかしムラサメの目はいつになくまっすぐだった。
「ああもしかして、今日のお昼のこと?もう気にしてないよ、謝ってもらったし」
『そうだけど、言われたことが消えたわけじゃないでしょ。…泣いてたでしょ。僕見てたよ』
「ええ〜?恥ずかしいなあ」
『椿。無理はいけない。辛い時は辛いって、言わなきゃ』
笑ってはぐらかそうとしてみたが、真剣なムラサメの様子に笑みを引っ込めた。確かに、あそこまで露骨に悪意を向けられたのは初めてかもしれない。攫われたり大怪我を負ったりしてきたが、あんな感情になったのは初めてだった。…それでも。
「心配してくれてありがと。でも、ほんとに大丈夫だから。…強い魔術師になるために、こんなことでへこたれてらんないよ」
『あいつのこと、憎くないの』
「分かんないよ、そういうの。でも、もういいかなって感じ」
何処か濁ったような瞳で椿を見据えていたムラサメだが、椿の言葉を聞き大きく息を吐いた。
『…すごいねえ、椿は。僕なら無理だな。大人だね』
「そお?なんか照れるな」
なかなか大人、と言われたこともなく、なんならいつも子供扱いの椿は照れ笑いを浮かべた。それとは対照的に、ムラサメはなぜか沈んだような表情だ。
『僕はどこまでも子供っぽいからなあ。頭ではわかっていても、ついカッとなって癇癪起こしちゃう』
「純粋で無邪気だからこそのムラサメでしょ。そんな悲観しなくてもムラサメには時間たっぷりあんじゃん」
作業がひと段落したのか、タブレットの電源を落とし伸びをする椿。俯いていたムラサメが顔を上げる。
『椿。子供でいられるのは今のうちだよ。大人っぽい椿も素敵で大好きだけど、なんだか僕には自分を抑えているように見える』
「……え?」
椿本人はいたってマイペースに、自由気ままに生きているつもりである。ムラサメの言葉は寝耳に水だった。
『もっと我儘でいていいと思う。無邪気に人に甘えて、好き勝手に生きていいと思うよ。責任なんかそこらへんの大人になすりつけちゃえばいいんだから。目標や使命に縛り付けられてしまっては元も子もない』
「…ムラサメ?」
『負け惜しみとかじゃないよ。でも、これは本音。後悔してほしくない。君のことを愛してくれる大人はいっぱいいる。もっと子供を楽しみな。大人になったらそん時考えりゃいいの。…君が今、あれこれ考える必要はないと思うな。浮き輪に乗ってる感覚で、もっと肩の力抜きな』
椿は思わずムラサメを凝視した。いつになく真面目な様子かと思えば自分の身を本気で案じている。
「ムラサメ…どうしたの?」
『…なんか、気にさわること言っちゃった?』
「い、いや!そうじゃなくて!びっくりしただけ。なんだかムラサメからそんなこと言ってもらえるの新鮮だなって」
慌てて弁明する椿を見てムラサメはふふっと笑った。でも……。
(どうして、そんなに悲しそうなんだろう)
『僕みたいになってほしくないだけ』
「ん?」
『ううん。なんでもない。でも、ほんとに辛くないんだね』
「うん。心配サンキュー。まあでも、そんなに気にしてくれるんなら明日、ストレス発散にショッピング付き合ってもらおっかな。いいよね?」
『…!もちろん!』
よほど嬉しいのか、ムラサメが破顔する。分かりやすい奴、と思いながら椿は立ち上がった。
「そうと決まれば準備しないと。明日朝から夕方まで付き合ってもらうからね。じゃーアタシ部屋戻るわ。また明日な、ムラサメ!」
『また明日。お休み、椿』
互いに手を振り、その場を後にする椿。その様子を見送ってからムラサメも立ち上がり、自らの部屋へ向かう。寮兼兵舎の部屋を借りる際、椿の部屋の隣を所望するも「男女で分けてるからダメ」と言われ見事に撃沈したのはこぼれ話である。ムラサメは自室の扉を開け、そのままベッドにダイブする。
『録画でも、消化するか』
だが寝転んだ今立ち上がるのもダルい。そこでムラサメは背から触手を伸ばし、テレビのリモコンと冷蔵庫から飲み物を取り出す。
『ふふふ。我が身体ながら便利便利♪』
元々テレビに微塵も興味のなかったムラサメだが、テレビ好きな椿とさらに会話を発展させるために椿の好きなバラエティ番組やドラマを追い始めたのである。そして、見事にハマった。睡眠を必要としないムラサメにとって、深夜の時間潰しにもってこいであった。寝そべりながらテレビを眺めていると、扉をノックする音が。こんな時間に誰だろうか。一時停止ボタンを押し、入るよう促す。
「すみませんね、夜分遅くに」
『ゲエ…お前か』
訪問者は内海であった。内海は置いてあった椅子に腰を下ろす。ムラサメはベッドの上で胡座をかいて内海を見据える。
「失礼。お楽しみの途中でしたか。私もこの番組好きでしてね。特に……」
『ねえちょっと。君とバラエティトークする気はないんだよね。何しに来たのさ?今日の昼間の嫌味?』
露骨に帰って欲しいオーラを醸し出すムラサメに苦笑いを浮かべる内海。
「失礼失礼。別に嫌味を言いに来たわけではありませんよ。貴方も私のことが苦手でしょうし、私とて貴方と会話するのはできれば…フフッ、避けたいので」
『は?なんだ貴様、押しかけといて――』
「菊池のことです」
カッとなりかけた激しい感情が引いていくのを感じる。サミダレが…どうかしたのだろうか。どこか不安げに視線を泳がせるムラサメを見据えつつ、内海は口を開いた。




