【第1章】5話「ニセモノ」
今日は師匠、菊池との東京の街のパトロールである。日本で東京ほど数多の感情が溜まる場所はないだろう。そんな感情の中でも、負の感情が溜まると怨霊やら悪魔が寄ってきたり、怪異が発生する元になる。だが、呪い師が対処するのは何も魑魅魍魎の類だけではない。
「椿!そっちに一人逃げた!私はこちらを追う!」
「了解!」
そう叫ぶ菊池と椿の先には全速力で逃げる2人の男。この男らは呪い師とは対になる――人に危害を加える――禍術師、と呼ばれる存在である。この2人は指名手配されており、菊池が2人に気付き追いかけっこが始まったところである。
「チィ…しつけーんだよ!」
椿の追う男が叫びながら妖力弾を放ってくるも、椿は華麗に避け髪を男に向かって伸ばす。
「グアッ!?何だコレ…!」
「捕まえたぜ」
長い髪を自在に操る椿に拘束された男は観念したのか、椿の髪の中でぐったりと項垂れた。
「椿ちゃん。そいつを引き渡してくれ。連れて行く」
その声に振り返ると、そこには大刀洗がいた。八木、百合もいる。大刀洗は男に手錠をかける。その時上の方から声がした。
「お!椿も捕らえていたか、流石だな。大刀洗!こいつも頼む」
声の主は電柱の柱の上に立っている菊池。その左手には追っていたもう一人の禍術師の男がぐったりしたまま担がれている。
二人を引き渡し、現場の引き継ぎを処理班に任せると、親友同士である菊池と大刀洗は談笑を始めた。そんな2人の様子を椿はじっと眺めている。そんな椿の顔を百合が覗き込んだ。
「どうしたの?そんな神妙な面持ちで…」
「ん、いや…あのね…何か…大刀洗さん変じゃないか?」
「変って、どう変なの?私にはいつも通りに見えるけど…」
「それがうまく言語化できねえんだなあ…うーん、なんか違うんだよなあ…違和感みたいな…まさか大刀洗さんも…すり替わってたりして…」
「…でも、テレビでもいつも通りだったし…ほら、菊池さんとも話してるじゃない。もしそうなら菊池さんが反応するはずよ。…椿、少し疲れているんじゃない?椿姫…ハチとの同化もなかなか体力を使うのでしょう?」
「それはそうだけど…まあ、菊地さんは普通に接してるし…アタシの勘違いかな…」
そう思いつつも、再び大刀洗の横顔をじっと眺めた。
「師匠。大刀洗さん…なんか変じゃなかったですか?」
「え?変?そうかなあ…大刀洗とは毎日会って会話したり酒飲んだりしてるけど…そうは感じなかったな…何でそんなこと聞くんだ?」
「いや…何でもないです、多分、アタシの勘違い…」
思い悩む椿を菊池はじっと眺めていた。その時百合の姿が見えた。ちょうどタイミングを同じくして寮に戻ってきたのだろう。
「あ!姉ちゃん!暇?こないだ話してた美味しいパフェのお店行こう!」
「ごめんね椿、私大刀洗さんから呼ばれてて。また他の日に行きましょう!」
それじゃあ、と百合は走り去っていった。何やら嫌な予感がする。
「椿。下見がてら私と行っちゃう?今日ずっとパフェ楽しみにしてたんだろ?奢るよ」
「ありがとう、けどアタシも用事できた!今度3人でいこ!」
そう言うと椿は百合の去った方向へ走った。菊池は黙ったままその行く先を目で追っていた。
「遅くなりました、すみません。それで話って?」
「構わんよ。…ここで話すのは少しな…場所を変えよう。ついておいで」
あたりは暗くなり始めているが、言われるがままに大刀洗の後をついていく百合。
「榊原百合。齢16にして一流の呪い師に肩を並べるほどの少女。それでいて潜在能力も未知数。本当に凄まじい子だと思っている」
「…?」
立ち止まった大刀洗の突然の言葉に百合は困惑を隠せない。話があるとは言ったが…
「…だからこそ。こちらに引き入れたいのだ。」
もう一人の声がした。百合が向いた先には大刀洗の副官、八木。その手には大きなノートくらいの大きさの鏡。百合は危険を察知しその場から逃走を図るも、大刀洗に羽交い締めにされてしまう。
「大刀洗さん!?いったい何を…大刀洗さん……?」
大刀洗の顔からは人形のように表情が抜け落ちていた。
(まさか…椿が言っていたのはこれ…?)
百合がそう思うまもなく八木の持つ鏡から手が伸びてくる。逃げようにも大刀洗に拘束されている今、ぴくりとも体を動かすことができない。百合が僅かに怯えた表情を見せる。手が百合の目と鼻の先に来た、その時。
「させねえよ!」
椿の叫び声とともに百合の眼の前まで迫っていた手を全て艶のある黒髪を操り切断する。腕たちは一斉に鏡に戻ってしまった。
「……姉ちゃんを離せ。この偽物野郎」
椿は偽大刀洗に拳銃を向ける。沈黙。しかしその沈黙を破ったのは八木であった。
「まさかここにきて邪魔が入るとは…お前一人で何ができる?椿。こちらは人質まで取っているのだぞ」
「1人ではないぞ」
そう声がした瞬間。
ドゴォッ!!
何かが上から落っこちてきた。その正体は…
「師匠!それに野間さん、宮崎さんも!」
「…さては貴様、白の教団の…“白ウサギ”だな」
菊池が八木を睨みつける。八木はにやりと笑った。
「ようやく、気づいていただけたのですね、菊池大尉。ご友人の変化には気づけなかったようですが」
「気付いていたさ。こちらが妙な動きをして貴様に勘付かれぬよう、泳がせていただけに過ぎん」
「フウン、そうですか。まあどちらでもいい。今や大尉殿のご友人は俺の下僕。なんせ俺の鏡獣と同化させているのだからな」
下僕、という言葉に菊池の眉がピクリと上がる。
「大刀洗を、他の奴らも元に戻せ。いったい何人引きずり込んだ?」
「十数人ほど。もとに戻せと言われてもねえ…俺は同化する術は知っていても人間に戻す方法は知らんよ。必要ないからな…にしても数が少し不利だな…どうせバレたのなら仕方がない。……鏡よ鏡。俺を守護せよ、下僕たち」
八木がそう語りかけると、鏡は光を放ち始めた。そして光が収まると…八木の周りには十数人の軍人が現れた。その中には、宮本の言う通り寺田の姿もある。だが、彼らの顔には偽大刀洗と同じく表情が抜け落ちている。
先に仕掛けたのは菊池だった。八木に一直線に向かうも、偽軍人達に阻まれてしまう。そのまま菊池は1人で数名を相手取り始める。
「椿ちゃん。俺と君で大刀洗のニセモンから百合ちゃんを救出しよう。大刀洗少尉はつえーぞ、気を付けて行くぞ」
「はい、宮崎さん」
百合を羽交い締めにしたままの大刀洗に2人が向かう。偽大刀洗は光のない眼でこちらを見据える。宮崎が刀を抜き一気に斬りかかろうとするも、上手く百合を盾にされ中々ダメージが与えられない。偽大刀洗が鋭い回し蹴りを放ち、宮崎は吹っ飛ばされてしまう。だがお陰で隙ができた。椿は百合の体と偽大刀洗の首に髪を絡みつかせ、偽大刀洗の首を絞める。偽物の顔が苦悶に歪み、百合を羽交い締めにしていた腕の力が緩む。その隙に椿は百合を一気にこちらに引き寄せた。
「ありがとう椿…助かったわ」
「流石は椿ちゃん!これで思うままに攻撃できる」
「いや、待て!」
叫んだのは野間である。
「こいつら…ダメージを与えるとヒビが入りやがる!もしこのまま攻撃を続けたら…」
「元になった人間もろとも死ぬぞ」
八木が淡々と答える。偽物達は体にいくらヒビが入ろうと襲ってくる。何とか無力化できる方法はないものか…椿は思わず思考にふけってしまった。八木の愉悦に満ちた声が聞こえる。
「いいのか?戦場で考え事なんかして」
ハッとしたその先には、刀を振り上げ、まっすぐこちらに突進してくる偽大刀洗――椿が目を閉じたとき。
ガキイィイイン!!
椿は目を開けるとそこには菊池が刀を同じく刀で受け止めていた。
「大刀洗…の偽物め。私が相手だ」
ニセモノも菊池を敵として認識したのか、刀を構え直す。
「椿!私達はこっち相手するよ!」
叫ぶ百合は菊池が相手していた寺田ら偽軍人たちを相手取っている。
「俺等も行くか」
野間と宮崎も八木の方へ向かう。続く椿。八木が笑いながら叫ぶ。
「ハハハハ!いいのか?そいつらを倒したら素体となった人間も死ぬぞ。…まあ今のそいつらは鏡獣だ、話は通じんがな、ハハハ!」
恐らくあのヒビが広がり、割れた瞬間に彼らは死んでしまう。どうにかして彼らの中にいる鏡獣を追い出ないものか…強い攻撃はできない。だが相手はこちらを殺す気で攻撃してくる。八木は未だ百合に未練があるのか、逃走を図ろうとしていないが………このままではジリ貧でこちらが力尽きてしまう。絶望的な戦いが始まった。