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朱月のアリス  作者: 白塚
第3章 海軍と炎幕編
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【第3章】10話「菊池涼太郎」



 近衛軍司令部。近衛師団の兵達が集まり、勤務する場所でありながら“魔術師養成高等学校”を併設している建物である。和モダンな廊下を歩きながら、椿は菊池がいるであろう部屋を探す。


(うー…ここいっつも迷うんだよね…)


 手元のスマホにダウンロードした地図を眺めるも、自分が今どこにいるかすらも分からない。手元を眺めるあまり、前を歩いてきた人物に気が付かなかった。


 ドンッ!


 勢いよくぶつかった二名だが、吹っ飛ばされたのは椿のみだった。思わず床に倒れ込む椿。まるで防火扉に思い切りぶつかったような感覚だ。


「いて…お、おい君。大丈夫か」

「す、すんません、よそ見…しちゃってて……」


 椿は心配そうに覗き込んできた相手の顔を思わず凝視した。


「…?どうした?俺の顔になんかついてる?」


 その男は、菊池――菊池孝太郎と瓜二つであった。違う点と言えば、ツーブロックの髪型に顔の右半分の大きな傷跡と、海軍服を着ているという点である。


「おーい、リョウ、どこ行って…ってあれ?椿?」

「あ、師匠」

「兄貴」


 兄貴?椿はリョウと呼ばれた男の顔を再び凝視した。そんな椿を見て笑いながら菊池が口を開く。


「椿は初めましてだな。紹介しよう。私の双子の弟、涼太郎だ。見ての通り海軍軍人だ」

「うっす!涼太郎でっす!リョウさんって呼んでくれ、椿ちゃん」

「あ、よろしくです。…師匠はいこれ、やり直しプリント」

「ああ、回収し忘れていたな。サンキュ」


 プリントを受け取る菊池の顔と涼太郎の顔を交互に見比べる椿。


「師匠も…双子だったんだ」

「言ってなかったかな?私の弟、可愛いだろう」

「かっこいいじゃなくて?」


 涼太郎が思わずといった風に突っ込む。仲良くじゃれ合う二人を見ながら、椿は考えていた。


(師匠たちも双子…アタシらの時でさえまあまあ酷い扱い受けたのに、それより昔は……)


 そんなことを思いはしたものの、椿は口には出さないことにした。双子を忌み嫌う風習は今でこそ弱火であるものの、一昔前はそうではない。


(きっと…師匠たちも乗り越えてきたんだ)


「リョウさんカチカチっすね…」

「えへへ。あんがと。椿ちゃん。椿ちゃんさえよければ俺らと一緒にお茶する?俺は全然構わないから」

「いや、遠慮します。リョウさん海軍なんすよね、師匠――孝太郎先生と会うの久しぶりじゃないっすか?兄弟水入らずで楽しんでください!」


 そんじゃ、失礼します!と椿は元来た道を駆け足で去って行った。涼太郎がふふ、と笑った。


「気を使わせてしまったみてーだな。まあ、せっかくだし、椿ちゃんのご厚意に甘えさせてもらおーかな」

「フフ、そうするといい。ここじゃ何だ、応接間を借りよう」


 

 *



「リョウ、疲れたろう。数日前まで日本海側にいたというのに、はるばる太平洋側に来るなんてな…。暫しこの部屋で休んでいくといい、今日は来客の予定もない。軽食と飲み物を取ってこよう、待っていろ」

「兄貴に会いたくて大和に無理言って戻ってきたんだよ。俺何か炭酸系がいい」

「分かった。ゆっくりしてろ」


 お言葉に甘えて、と涼太郎は質の良いソファに体を沈める。ここに来る前もなんだかんだ今日はあちこち動き回っていたため、心地よさに相まって眠気が襲ってくる。涼太郎は欠伸をすると、少しだけ仮眠を取ることにした。


……


 涼太郎はふいに目の前に誰かの気配を感じ、ゆっくりと意識を浮上させる。兄貴かな?いや、それにしては靴音もドアを開く音も聞こえなかった。はて、誰かな……そんなことを思いながらゆっくりと目を開けると。


『あ』

「えっ」


 目の前に、それもかなり近い、鼻と鼻がぶつかりそうなほど近くに怪異が涼太郎の顔を覗き込んでいた。右目は髪で隠れているが白目部分は赤黒く、おどろおどろしい。目尻には赤いライン、目からは垂直な黒い線が伸びている。それにしても、近すぎる。


「キャーーーーーーーーーー!!!!!!!!」


「リョウ!どうした!」


 バァン、とドアを勢いよく開け放つ菊池。片手にはまだ注ぐ前だろう、空のマグカップ。


『やあ、サミダレ。弟に挨拶しようと思ってね』

「バカ、泣いてるだろ」


 よほど怖かったのか、小さくなってぷるぷる震えている涼太郎。目には涙が浮かんでいる。菊池が困ったように笑いながら涼太郎に近寄る。


「そういえば言っていなかったな。紹介しよう、こいつはムラサメ。もう一人の私だ」

『ムラサメでーす♡お兄ちゃんですよー♡』

「もう一人の…お兄ちゃん…⁉︎」


 実はな、とかくかくしかじか。ムラサメについて懇々と説明する菊池。涼太郎は理解しているのかいないのか分からないが、兄の言葉をじっと聞いていた。飽き性のムラサメはいつのまにかふらりと消えていた。


「うーん、よくわかんないよお…何だよ、もう1人の兄貴って……菊池孝太郎はこの世に一人だけだろーがよぉー」

「その点なんだがな」


 頭を抱え呻いていた涼太郎に、不意に菊池が発言する。どこか畏まったような、真面目なトーンに涼太郎は兄の顔を見つめる。


「私は、あくまで憶測なんだが…ムラサメは私の、いや、私たちの――いや、よそう。何でもない」

「何だよ、思わせぶりだけして…気になるじゃーん、教えてよお」

「いやあ…やめておく。憶測でモノを語るのはよくない」


 ゆっさゆっさと兄を揺らしてみるも、菊池は口を閉ざしてしまった。菊池は変に頑固な部分がある。こうなるともう教えてくれないだろう。


「まあいいや…。でも、ムラサメ。ムラサメかあ。なんか兄が増えたというより弟が増えた感じ…」

「まあ、奴は子供のようなモノらしいからな。まあ、仲良くしてやってくれ。悪い奴じゃない」

「そっか。兄貴がそう言うなら、悪い奴じゃないんだな」


 ふんふんと頷きながら涼太郎は納得したようだった。



 *



「お、帰ってきた帰ってきた。お帰り〜!久々のお兄ちゃんとの時間は楽しんできたか?」


 横須賀海軍基地に帰投してきた涼太郎に、待ってましたと言わんばかりにお出迎えをする大和。他にも、重巡高雄や愛宕、日向もいる。しかし涼太郎はどこか上の空といった感じである。怪訝に思った高雄は単刀直入に聞く。


「涼太郎、何があった?お前らしくない」

「……てた」

「は?」

「お兄ちゃんが、ひとりふえてた……」


 お兄ちゃんがひとりふえてた。全く意味も状況も分からず、艦たちは顔を見合わせた。なんのこっちゃと愛宕が畳み掛けようとする。


「涼太郎。それはどういう意味だ、増えてたって…」

「バカ愛宕、よせ!」


 ぼんやりする涼太郎をよそに高雄があわてて愛宕の口を塞ぐ。


「むぐぐぐ。お兄ちゃん、一体……」

「声がデカい。…兄貴が増えてたってことは、何かしらあったのかもしんねえ。下手したら、ていうかおそらく重たい事情があるに決まってる」

「つまり……」

「…おそらくそっとしといてやる方が涼太郎の精神衛生上良い」


 涼太郎、俺たちは味方だよ…とうるうるした目を向ける高雄と愛宕。しかしそんな兄弟重巡を見やり、苦笑いを浮かべる日向。


「2人とも。よく考えてみるんだ。涼太郎が生まれてから百年近く経つんだぞ。菊池家の重たい事情が今更あるわけないだろ、そもそもお父様もお母様も戦前に鬼籍に入られているのだから」


 それもそうか、とお互いを見つめ合う重巡ズ。大和がそっと涼太郎に近づく。


「涼太郎。言いたくないなら言わなくて良いけれど、お兄ちゃんが増えてたってどういうことかな?」


……


「ハハア。祟り神になった際に人格が分裂した。こりゃあまたややこしい話だな。その増えてたって奴…ムラサメ?と菊池孝太郎は同じであり非なる者……む、難しい〜…」

「しょ、正直俺もよく分からん。だが、まあ一応兄ではあるみたいだし…ぶっちゃけ兄が増えてたというより弟ができてたって感じに近いがな」

「へえー、やっぱりこの世は不可思議なことだらけだね。俺もそのムラサメさんに会ってみたいな」


 にこにこと笑いながら大和が宣う。そうかなあ?と日向は若干怖がっているが。


「でも。兄貴、ムラサメについてなんか言いたそうだった。何か気付いてるんだろうけど『憶測でモノを語るのはよくない』つって教えてくれなかった」

「そうか…コウさんにも何か考えがあってのことなんだろうな」


 一行は軍艦越しに、海へ沈んでゆく夕陽を眺める。大和はふ、と笑って涼太郎たちへ向き直る。


「さ、もう行こう。飯の時間だ。それに、あんまり遊んでちゃまた船員から文句言われちゃうぞ、菊池艦長殿」


 イタズラっぽく笑う大和に、涼太郎もニッと笑い返す。


「今日は金曜日!カレーだカレー!カレー大好き!」


 顕現艦達の笑い合う声と、戦艦大和の艦長――菊池涼太郎大佐の叫び声がこだました。


 

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