【第3章】8話「倉庫の中」
「貴方は、この国…いいえ、何もかもが憎いのね」
「そうだ…。使い捨てるだけ使い捨てて、あとは俺のことを、俺たちのことは綺麗さっぱり忘れちまった。夏くらいにだけ、冥福を祈ってるフリなんかしちまってさ。憎い。何もかも憎い」
どこかの倉庫街。夜はだいぶ更け、静寂の帳が下りている。そんな中、密会を行なっている男女二人。蜜月とした雰囲気――とはかけ離れ、どこか不穏な雰囲気が漂っている。その二人の格好もまた異様であった。女の方は目立つ赤いワンピースドレスに、その顔は狐面で隠している。一方で男の方は、先の大戦時の旧式の飛行服に身を包んでいる。
「私たちの目的は先ほど話した通りよ。最後まで付き合えとは言わないわ。でも、この平和ボケした、のうのうと生きている彼らにアッと言わせたいのでしょう?…此度の作戦、協力してくれるかしら」
「…ああ。いいぜ。お前らの言ってることはよく分からんが、目先の目的は一致したわけだ。その後のことはその後考えるさ」
狐面の奥で、フッと笑う気配がした。飛行服の男も笑みを浮かべた。
「ああ楽しみだ。守り神だか祟り神だか知らんが、向かってくる奴はみィんな撃墜してやらァ。アメ公も日本人も関係ねえ。俺を捨てた、平和ボケした人間どもの時代は終わりだ。フフ、フフフフ……」
*
「本ッ当に、うちの子がすみませんでしたあああ!!」
平日の昼下がり。横浜の街のど真ん中にて、謝罪の叫び声がこだまする。
「いや、まあ、いいんすけどね?子供のやったことだし。でもこれは困るわあ…」
「本当に、本当に申し訳ありませんッ!なんてお詫び申し上げたらいいか…」
真っ青になって平謝りし続けるのは、山伏姿であることを除けば至って普通の男。その背に隠れるようにして同じく山伏姿の小学生低学年ほどの男の子。二人は“天狗”であった。親天狗の前でため息混じりに仁王立ちしているのは菊池隊の野間中尉。
「流石に都市部でトンデモ突風吹かされると困るんすよ。見てよ、車とか何台か横転しちゃってるし。死人はいないけど怪我人はいるし」
「すみません、本当にすみません…!ほ、ほら、お前も!一言くらい謝らんかい!!」
「…ごめんなさあい」
あまりよろしくない子天狗の態度に親天狗は真っ赤になって何やら叱りつけている。野間はまあまあ、と宥めつつため息をついた。
「野間中尉たいへんそう」
「な〜」
他人事のように眺めているのは学生ズ、椿、美幸、白川の三人。すると頭から蛸の触手を生やしている川西が苦笑いしながら近づいてきた。
「やあ学生さんたち。…見ての通り、だ。怪我人の搬送はもう手伝ってもらって無事終わったし、学生さんたちはもう上がっていいよ」
「はーい」
「お疲れした!」
「失礼します」
苦笑いする川西、途方に暮れる野間。我関せずとばかりに瓦礫の撤去を進める清掃班や憲兵。そんな軍人たちを尻目に三人は撤収することにした。
「にしても!アタシ天狗初めて見た。顔は赤くねーし鼻も長くなかったな」
「数は少ないみたいだけど、御伽話に出てくるような天狗はいないことはないみたいだよ。でも天狗といったら、あんな感じで人間の見た目に近い人たちの方が多いんだって」
のほほんと世間話をしながら歩いていた一行。しかし、次の瞬間三人の足元を毛玉のような何かが高速で掠めた。
「うおっ!なんだ、すねこすりか!?」
「ニャーコ、だめ!誰か、誰か捕まえてえ!」
毛玉の正体は脱走したと思しき飼い猫のようだ。そして必死に走る飼い主であろう老婆。学生の体は即座に動いていた。
「椿!私と白川で追い詰めるから、猫ちゃんがフリーズした瞬間に捕まえて!」
「おう!」
椿はハチと同化し、長い髪をゆらめかせながら走る。猫の逃げ先に手を広げた美幸。反対方向に白川。猫の足が止まる。
「今だッ!」
椿が髪を伸ばす。…が。
(待って…髪で猫ちゃん傷つかないかな…?)
椿姫と同化した椿の髪は刃物にもなりうる。椿に一瞬の迷いが生まれる。たった一瞬。されど一瞬。
「あーっ!」
伸ばされた髪をジャンプしてかわす猫。そのまま港の方へ向かう。
「ごめんやらかした!アタシが追う!」
椿は自戒のつもりか自らをぽこぽこと殴りながら走る。
「椿様、椿様、ご自身を責めるのはやめなされ…!」
「でも、アタシのミスだよ。もしこれが…戦場だったら」
戦闘において、一瞬のミスは致命傷にもなる。椿は今まで運良くミスしても生き残ってきたが、いつもいつも幸運が発動するとは限らない。椿は必死に心に刻む。
猫は港近くのわずかに扉が開いていた倉庫に走って入ってしまった。椿は倉庫の扉の前に立つ。
『キケン!関係者以外の立ち入りを禁ず 海軍』
「うへえ、よりにもよって海軍さんの倉庫入っちゃったのかよ…」
扉の隙間からそっと中を覗く椿。しかし薄暗く中はよく見えない。
「仕方ない…怒られたら説明すりゃいいか」
開き直り、勢いよく扉を開けた。
「すみませーーん!誰かいませんかーー!」
返答はない。誰もいないのだろうか。椿は倉庫の中に踏み入り、猫を探す。
「ニャーコ〜、ニャーコ〜。いい子だから出ておいで〜」
物置なのか、ダンボールや鉄材などが積み上げられている。布をかけられたものも多くある。その中に、明らかに兵器であろうものが見えているものもあったが、椿は見なかったことにした。スマホのライトで照らしながら猫を探す。椿の足が不意に止まる。
「うわ…なんだこれ……すっげえ……」
椿の目の前にあったものは、戦闘機。それも最新型ではなく、第二次世界大戦で使われていたようなレシプロ機。深緑色の機体に、赤い日の丸が映えている。
「これなんだろ…ゼロ戦?」
「お、嬢ちゃん物知りやなあ。正解やで」
突如男の声がし、椿は驚きのあまり飛び上がる。そこにいたのは旧式の飛行服を着込んだ丸サングラスの男。その腕には猫を抱いている。
「あ!ニャーコ!」
「ん?なんや、この猫嬢ちゃんのやったんか」
「あ、いや、アタシじゃなくておばあさんの…」
言いかけたその時、扉がさらに開けられる音がした。見れば、白川と美幸。猫の持ち主でもある老婆も一緒だ。
「やっぱりここにいたんだね。猫ちゃん捕まえてくれたんだ」
「うん。この人がね」
「ばーさんのなんやな。ほな、ニャン公。もう逃げたらあかんで」
そう言いながらサングラスの男は老婆に猫を手渡す。しかし、猫を手渡され一件落着のはずが、老婆は目を見開いたまま固まっている。
「ばーさん?どないしたん?」
「……さま」
「へ?なんて?」
「え、英霊神さま……」
英霊神。そう呼ぶのは基本的にご老人で、現在は“防衛神”と呼ばれている。そのワードは流石の三人でも知っていた。戦後、災害艦と呼ばれる化け物に戦力どころか燃料も何もない日本が侵攻されんとした時に現れ、“顕現艦”を呼び出し、共に災害艦たちを撃退したという、日本の守り神。
「え…あんた…いや、あなたが防衛神サマなんすか?」
椿の声に、男は困ったように笑って頭を掻いた。
「まあ、せやな。そういう風にも呼ばれとるな」
三人は仰天した。老婆に至っては涙すら流している。
「ああ…生きているうちにこの国の守り神様にお会いできるだなんて…いつもいつも、感謝申し上げます…!」
「ばーさん、そう泣きなさんなや。俺はそんな大層なもんとちゃうから。ニャン公が困っとるさかい、はよウチに帰ってやんな」
今にも平伏しそうな勢いの老婆を宥め、家路へと帰す防衛神。学生ズはぽかんと口を開けたままである。
「な、なんや、その顔。鳩が豆鉄砲食ったみたいな顔して……」
「いや、驚かない方が無理があると言いますか…」
白川の絞り出すような声に、二人が頷く。グラサン男は軽快に笑った。
「そない畏まらんでもええよ。言うたやろ、大層なモンやないってな。気さくに行こーや、気さくに」
「えっ、じゃああのゼロ戦は…ええと」
「北や。北、一。漢数字の一って書いてはじめや。ほなはじめちゃんとでも呼んでや」
「じゃあこのゼロ戦ははじめちゃんのなんだ」
早速はじめちゃん呼びを採用した椿を信じられないようなものを見る目で級友二人が見ているが、椿は一切気にしない。
「せや!零戦、カッコええやろ。俺の専用機やで」
「すっげー!コレに乗って結界張ったりってこと⁉︎」
「おー!嬢ちゃんよう知っとるなあ!」
「恐縮っス!姉ちゃんが会ってみたいって言ってたんで」
「白い竜の嬢ちゃんやんな?俺も噂は小耳に挟んどるで。姉ちゃんによろしくな」
謎に意気投合し、はしゃぐ二人を白川と美幸はぼんやりと眺めていた。
「コミュ強ってすごいね」
「美幸が言う?でも、すげえや…怖いもの知らずというか…」
いつのまにか椿と北は好きなテレビ番組について熱く語り出している。取り残された二人は顔を見合わせ、へら…と笑った。




