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朱月のアリス  作者: 白塚
第3章 海軍と炎幕編
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【第3章】6話「焼き肉回-前編-」



「それでは、堕天使らへの勝利を記念して!かんぱーい!」


 ビールのジョッキを高く掲げた菊池の合図に、皆が一斉に乾杯の声を上げる。今回居るのは活躍した内海ら公安職員に富田ら警官、大刀洗や小郡のいる憲兵隊、近衛歩兵の菊池隊、近衛騎兵真田隊。そして学生ズらである。もちろん、高鍋とムラサメもいる。ムラサメはしっかり椿の横を陣取っている。


「さあ、今日は私の奢りだ!各自好きなものを遠慮せず頼むといい!」

「よっしゃあー!!」


 宣言するのは菊池の上官、武内少佐である。隊員達が喜びの声を上げ、各々酒やら食べ物を頼んでいる。


「なあ、俺たちも来てよかったのか?大した働きをしていないと思うが…」

「何言ってるんすか。女子校の生徒達の保護救出や道路規制なんかを憲兵さんたちとしてもらったじゃないですか。めっちゃ助かったんで」

「そうか…だが菊池大尉。俺は上官でもないのになぜ敬語を?」

「いやあ、なんか、その、ノリで」


 菊池は女性が苦手だったか?と首を捻る真田。短く切り揃えられた髪に性格も男勝りな真田大尉だが、軍服の上からでも分かるその胸は弩級である。チラリと自らの部下である隊員達の様子を窺えば、皆もりもりと焼き肉を食べている。


「御船はいないんすね。八戸も」

「ああ…所用あるとかで不参加とのことだった」


 頷きながらビールを飲む菊池。真田の前では言わないが、居なくて正解である。


 菊池は御船がいる飲み会を知っているが、とにかく下士官が可哀想なのである。遠回しにネチネチと蛇のように部下のことをそれはもう“言う”のである。御船が居るだけで騎兵科の者が縮こまっている様子を何度見てきたか。上の者も御船相手には強く出ることはできない。控えめに言って地獄である。


「あれ、真田さん。箸が進んでないですけど。食べないんすか」

「ああ、いや、これはだな…その…ダイエット中で…」

「なら貰っていいすか」


 言い終えぬ間に次々と菊池は網の上の焼き肉を素早く回収してゆく。武内と肉の取り合いまで始めた。和やかで賑やかな場。しかし真田の心はずしりと重かった。それは、今日の昼過ぎのことである。



 *



「アハハハハハ!ほうら、その調子です!ンッフフフフ、ああ、愉快愉快」


 兵舎のある一角にて。ひとりの兵士が扇子を持った銀髪の軍人――御船の制裁に遭っていた。理由は単純、御船の機嫌を損ねたからである。御船は新品少尉だが、その一挙手一投足の影響力は凄まじいものだった。御船の家はかなり高貴な血筋であり、血縁の者は大概軍部や政治面の上層部に就いている。そのため、軍上層部の者も御船には頭が上がらず、その横暴さを黙認する形となっていた。


「ほら、声が小さい。また蹴られたいのですかね?」

「ミ、ミーン、ミーン……」


「蝉」、と呼ばれる昭和の世からの私的制裁。その名の通り、柱に登らせ蝉の真似をさせる、といったものである。恥辱と恐怖で蝉のモノマネをさせられている下士官はその目に涙を浮かべている。しかし、そんなことは御船には関係のない話。扇子で仰ぎながら笑っている。


「まあた声が小さくなっている。…許してほしいのではなかったのか?それとも、痛ぁい方をお望みで?」


 御船が下士官の髪を掴み上げ、目線を合わせる。下士官は涙目でふるふると首を振る。その時。


「…御船少尉。やめないか」


 その声に御船の取り巻きと下士官が振り向く。そこにいたのは軍服を着た女性――近衛騎兵の隊長、真田大尉。御船が笑う。


「おや、これはこれは真田大尉殿。貴女も蝉を見に来たのですか?」

「そんなわけあるか。御船少尉。いくらなんでもやりすぎだ。今すぐやめるんだ」

「お断りします。そもそも、この役立たずがきっかけなのですから。下の者の躾をするのは上官の役目。違いますか?」


 一切悪びれる様子を見せずにケラケラと笑う御船。真田はぐっ、と拳を握り込んだ。


「やめろ、と言っているんだ。上官命令だ」


 御船相手ともあり緊張している様子の真田は強く言い切る。御船は大きくため息をつきながら真田の元へ近寄る。


「御船少尉。これ以上黙って見ていることはできない。貴様には――」

「いいんですかね?そんな態度を私にとって」

「何…?」


 突如小声で真田に語りかける御船。怪訝な顔をした真田にぐっと顔を近づける。


「…先日の貴女の淫乱な醜態。軍部に、世の中にあの動画が出回れば貴女はどうなると思います?」

「動画…?まさか……」

「ふふ、そのまさかですよ」


 ハメ撮りってやつですかねえと宣いながらニタニタと笑う御船。真田は青ざめた顔のまま絞り出すように御船に問う。


「動画って…撮っていたのか」

「ふふふ、ええ。なかなか可愛らしい声で鳴くものでつい、ね。私は中々楽しめましたよ、上官を組み伏せる経験はなかなかし難いですからねえ」

「でも…あんたは俺のことを、愛してるって…」

「ううん?そんなこと言いましたっけ?覚えていませんねえ」


 絶句する真田を御船は楽しそうに笑う口元を広げた扇子で隠す。ぐっと御船は真田の耳元に寄り、囁く。


「動画を出回らせたくないのなら、私に従え。無論、外では上官として扱いますよ。…貴女は聡明な人間の筈だ。私の支配下に入れ。いいな?」


 真田の選択肢に、NOはなかった。嫌だと言えば、自分は社会的に殺され軍部に泥を塗ることになる。それに――


「妹さん。まだ小さいんでしたよねえ」


 くつくつと喉の奥で笑いながら御船が畳み掛ける。真田は頭がぐわんぐわんと揺れているような感覚を味わいながら、ゆっくりと頷いた。御船が満足そうに笑う。


「では、結構。戻ってもらって構いませんよ」


 真田はふらふらとした足取りで制裁の場をあとにした。


「そ、そんな、大尉殿…た、助け――」

「いつ私がやめていいと言った。蝉。続けろ」


 制裁は続く。その様子を見て御船側に回り、笑う者、目を逸らす者、そっと退出する者。


(ようやくあの女も、正式に私の支配下だ。ふふふふ、ああ、本当に愉快愉快)


 震える声の蝉の泣き声を聞きながら、御船は嗤う。彼の笑い声だけがこだましていた。



 *



 御船の高笑いが頭にこだまする。あの男はそういう男だった。騙された自分が悪いのだ。だがショックが大きく、食欲どころか酒を飲む気にすらなれない。ぎゅ…と拳を握り込む真田。その様子を菊池が眺めていた。菊池は、真田の身に何が起こったのかなんとなく察していた。以前、夜の街に出た際にホテル街に御船と真田が消えゆくのを目撃していた。


(可哀想に。助けてやりたいが――)


 だが、今の自分に出来ることはない。御船のことだ。菊池も知らないような真田の弱みを握っているのだろう。そうなると対処方法はない。


(私に出来ることはない。御船を裁けるその日まで、持ち堪えてもらうしかない)


 そう思い、ビールをあおる。菊池は温厚で優しい性格だが、全ての者に慈愛を向けるわけではない。時にはバッサリと切り捨てる冷酷な一面をも持つ。真田は可哀想だが愚かな女だった。ただそれだけのこと。菊池は酒を追加で頼んだ。

 

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