【第3章】2話「ミカエル」
「――以上が、件の堕天使事件のあらまし、対処です。前述した通り、堕天使らの駆除は完了しております」
内海は一気に話し終え、ふう、と息をついた。隣には陸軍の代表として武内少佐。円卓を囲むのは公安の重鎮たち。一人が口を開く。
「討伐ご苦労だった。…しかし被害が大きすぎやしないか?補填費は国民の血税で賄われるのだぞ。街をしっちゃかめっちゃかにしおって…」
「お言葉ですが。あれほどの大きな堕天使を討伐するにあたって街の損傷は免れないかと…部下たちは最小限にしてくれましたよ」
「フン、どうだか。ただ図体のでかいヤツをあてがっただけに過ぎんのではないのか?」
武内は冗談じゃないぞと思った。確かに菊池は大型の怪異だが、ただ大きいだけではない。しっかりとした実力者だ。
(これだから菊池の本性を知らん爺どもは困る……)
報告の際、菊池が大島を指差しこいつめっちゃ壊すんすよと言い訳していたのを思い出す。
「まあとにかく。以後気をつけます」
武内は頭を下げる。内海が気の毒そうに見ていたが、不意に立ち上がった。
「私はこれにて失礼します。今日は来客がありますので」
「なっ…内海貴様、円卓会議をなんだと……」
「メラ聖教会の代表が来るのです。それに我が国のかの防衛神も本日会いたいとのことでして」
メラ聖教会。一斉に重鎮たちがざわざわとしだす。メラ聖教会の主な活動場所は欧州だが、その影響力は凄まじい。無論、日本も例外ではない。内海は一礼すると円卓に背を向ける。
「それでは、失礼致します」
かつかつと革靴を鳴らし会議場を後にした内海。重鎮の1人がため息混じりに口を開く。
「全く……大悪魔だかなんだか知らんが、和を乱さんで欲しいものだ…」
お前が言うか、と武内は思ったが口には出さず笑みを浮かべたまま。
「では、会議の続きを。補填額についてですが――」
*
「ハア、やれやれ。ジジイどもの相手は疲れる」
大股で歩きながら内海はぼやく。そっと後ろについている側近、黒澤は小さく呟く。
「ジジイって…内海さんはいくつなんでしたっけ…」
「何か文句でもあるのか?黒澤」
「いいえ。なんでも」
ハアーと大きく息をつく。黒澤が続ける。
「代表様はすでに応接室でお待ちです」
「これ以上待たせるわけには行きませんね。急ぎましょう」
さらに早足になる二人。やがて応接室前の扉に着き、内海はドアに手をかける。黒澤は立ち止まり、内海を見やる。
「では、私は一旦戻ります。お飲み物をお持ちします」
「頼みます」
去ってゆく黒澤の靴音を聞きながら扉を開ける。そこにいたのは、金髪の葉巻を咥えている、少し内海に似た美丈夫と黒髪の男性の二人。内海は小さく笑みを浮かべる。
「遅いぞルシファー。一体いつまで待たせる気だ」
「すみませんねミカエル。ジジイどもの相手は気力と時間がかかるのですよ」
言い合いながらも場には和やかな雰囲気が流れる。大悪魔と大天使。対となる存在であるが、しかしながらルシファーとミカエルは古くからの縁であり、友人とも呼べる仲であった。そのお陰で日本とメラ聖教会の関係が良好であると言っても過言ではない。
「二人は元気にしているか」
「二人…ああ、百合と椿ですね。元気にしていますよ。元気すぎるほどですね」
「そうか……あの時は悪かったな」
「まだ言っているのです?お前が謝ることではないでしょう。処分は済んだのですし、もう水に流したことですよ」
あの時、とは百合と椿が内海に引き取られる前のことである。聖教会の孤児院にいた二人に、教会の者は不適切な扱いをした。無論、内海とミカエルによって関係者にはシッカリと処分が下されたわけだが。
「まあそれにしても。堕天使の件。ベルだったか。なかなか厄介な者だったようだな」
「そうなんですか?割とあっさり死にましたけど」
ミカエルは真顔になった。そりゃそうだろう。いくらベルが強く、高位の堕天使であったとして王位レベルのルシファーには敵うわけもない。ミカエルはそっとため息を吐く。
「…まあ、やはりこちらが動くまででもなかったな。お前たちは強いな」
「褒めたって何も出ませんよ」
「フフ、事実を言ったまで。まあ、こちらの初動が遅れたのもあるが。魔王の復活も阻止できたしな。後始末は我々に任せるといい」
「お願いします。口は出させてもらいますが」
内海はミカエルと黒髪の座っている真向かいのソファに腰を下ろす。時を同じくして紅茶一式を持った黒澤が現れ、それぞれの前に紅茶を淹れていく。
「ミカエル。そちらの御仁は?」
「ん?ああ、こいつか。井上だ。せっかく日本に来たんだ、詳しい奴に案内してもらおうと思ってな。ここに来るまでにいろんなところを紹介してもらった」
「仕事で来たんだか、観光しに来たんだか」
内海は紅茶を啜りながら黒髪――井上を見やる。にっこりと笑い会釈をする井上。
(いくら大天使といえど…ここまでの大物とどこで知り合うんですかね……)
内海はひと目で井上の正体を見破っていたが、わざわざ口にするまでもないと思い黙ったままにすることにした。どうせミカエルも分かっているはずだ。ふいにミカエルが口を開く。
「ルシファー。そういやさっき椿らを見かけたが…あの血塗れの男は何だ?お前の仲間の菊池と似て非なるようだが」
「ああ…ムラサメですか。菊池の魂の分離体みたいです。彼も立派な祟り神ですよ」
「フウン…まあお前が放置しているということは今のところ危害はないのだな?」
「まあ、そうですね」
堕天使の一件の際、自由に行動できるようになったムラサメに見初められてしまった椿。子供のように無邪気なムラサメは気に入った椿の言うことを聞いているようで、強い戦力でもある。鷲の堕天使が逃げて見つかっていないが、おそらくムラサメが殺したのだろうと内海は踏んでいた。
……ひとつ問題を挙げるとすれば、ムラサメは椿にべったりとくっついて離れないことだろうか。若干椿もうんざりしているようだが。
近況報告や今後のことを話し合うルシファーとミカエル。互いの側近は主人の紅茶を注いだりしつつ。その時、バァン、と大きな音を立てて扉が開け放たれる。
「内海ぃ!いるぅ!?」
「なっ、今は会議中ですよ!」
立ち上がった黒澤を内海が手で制する。ため息をつきながら内海が立ち上がる。
「何の用ですか、高鍋。今は大事な話をしていたのですが」
「えっ?ああごめん…ってあれっ?お兄ちゃん!?」
二メートル越えの身長に長い黒髪。黒い軍服を着込んだ男、高鍋。お兄ちゃんと呼ばれた井上は面倒臭そうに目を細めた。
「お、お兄ちゃん?」
この中で唯一流れが掴めていない黒澤が不思議そうに問う。ミカエルは和やかに笑って答える。
「井上はな、この国の神さんだな。ヒノカグツチ。知ってるか?」




