【第3章】1話「海の漢たち」
1945年。四月七日。坊ノ岬にて、戦艦大和は最期を迎えようとしていた。敵機による攻撃、敵艦による砲撃や魚雷により大和は傾斜し、海面からその赤い腹を見せていた。帝国海軍大尉、菊池涼太郎は傾いた甲板の上に立っていた。あちこちに戦友の亡骸が倒れている。破壊されたマスト、血に染まった甲板、怒号と絶叫がこだまする。
「ハッ、ハアッ、ハア…」
荒く息をする涼太郎は辺りを成すすべなく見渡す。最新鋭、世界一の戦艦「大和」は、負けたのだ。涼太郎は絶望に染まった瞳で呆然としていた。
「大尉!何をなさっているのですか、早く退却を――」
部下である八幡がこちらに駆け寄ってこようとする。その時、涼太郎の視線はあるものを捉えた。気づけば体は八幡に向かって駆け出していた。
ガァン!!
八幡は強い衝撃を覚え、そのまま倒れ込む。自分の体の上に何か重たいものがのしかかっている。八幡は首を動かし、それが何であるか確認するとその顔がみるみる青ざめていく。
「菊池大尉…?な、なぜ…」
涼太郎が目にしたものは砲撃により吹き飛んだ甲板の一部が、八幡に襲い掛かろうとしている瞬間だった。涼太郎は咄嗟に八幡を庇い、吹き飛んできた甲板は涼太郎に命中、涼太郎の顔の右側は無惨に抉れていた。涼太郎の大量の血が八幡を濡らす。
「あ、あああああ…たい、大尉…どうして…」
「うるせえ…お前は…逃げろ…生きろ…」
「で、ですが」
「うるせえ…!上官、命令を…守らんか…!」
今海上に脱出すれば駆逐艦雪風に助けてもらえるだろう。自分はもうダメだ。八幡は未練がましく何度も涙目で振り返ったが、涼太郎に凄まれ脱出していった。顔が熱い。かと思えば体は寒さすら感じる。全身の血と力が抜けていく。視界がモノクロになる。
(……ああ…俺はここまでか。俺の血が大和に流れていく。大和と一つになって逝けるのは、海軍軍人としては誉れだな…でも…)
「兄貴…会いたいよ…」
――そして、戦艦大和は大爆発を起こし、その身は3つに分断され、海へと沈んでいった。
――ああ。寒い。寒いよう………。
*
1945年。八月。忌まわしい戦争は終わり、誰もが平穏な日常が帰ってくると思ったのも束の間、軍艦の形をした化け物――災害艦が海に現れた。災害艦達は人間を敵視し、襲ってくる。海上のみにかかわらず、空襲を行うなど人間を無差別に襲っていた。しかし、それらに立ち向かう者達がいた。一度は海に沈むも、人間を救うべく蘇った艦たち。帰郷艦。それが彼らの通称。日本だけに留まらず、世界中で猛威を振るう災害艦たちに立ち向かうべく各国に帰郷艦たちは現れた。国という垣根を越え、彼らは一丸となって艦隊を結成し災害艦を討ち滅ぼす。人類を守るために。人々は彼らを畏れ敬い、こう呼んだ。“霊明艦隊”と。
*
大海原に轟音が響き渡る。その音と共に艦によく似た怪物が海の中へと沈んでいく。災害艦だ。倒したのは帰郷艦、戦艦『大和』、駆逐艦『雪風』。この2艦は先の大戦からの縁である。戦闘が終わり、海兵たちがどこかほっとしたように己の持ち場を離れていく。災害艦が沈んでいく様子を眺めている、顔に大きな傷が特徴的な男に1人の男が話しかける。
「やあリョウ、今日も流石の指示だったな。お陰で負傷者も最低限にとどまった。流石は太平洋戦争を経験しただけの男だな」
「負けて沈んだろうが、あんたと共に」
「ハッハッハ、それもそうだな!まあ、今こうしてここに立っているのだ、過去は過去。今を楽しもうじゃあないか」
「相変わらずだな、大和」
この艦と同じ名、大和と呼ばれた男。それもそのはず、この男が戦艦『大和』そのものである。帰郷艦とは、人の姿をとって現れることが多い。大和もその1人であった。
「さ、帰投するとしよう。数ヶ月ぶりの陸だ。それに早くしないと雪風にまた叱られる」
「ああ、そうしよう。俺も兄貴に早く会いたい」
そんな会話を交わしつつ、お互いの役目のために2人は別れた。
*
「こ、ここは…?」
強い光に包まれたかと思えば、ひとりの兵士が気付けば立っていたのは今は遠い記憶の中の懐かしい駅。いつの間に里帰りしたのか…?これは幻…?そんなことを考えていると、汽笛の音。黒塗りの汽車が現れた。『明星』というのがこの汽車の名前のようだった。ゆっくりと速度を落としながら駅に滑り込んできた汽車は静止すると、一気に蒸気を噴き上げた。
「入っても…いいものか…?」
切符を買った記憶もない。乗っていいものかとも思ったが、身体が吸い込まれるように汽車の車内へと入っていく。そこには。
「おお!山下!やっと来たか、遅かったじゃないか」
「本当だ、何年待ってやったと思っている」
「皆……!」
そこにいたのは、かつての戦友たち。本土に帰る事は叶わず、遠い離島にて散ってしまった仲間たち。自分もであるが。兵士――山下は目を潤ませて仲間たちとの再会に笑みを浮かべる。そして、その目はある女性にとまった。
「チヨ……?チヨなのか…?」
「……随分と、遅いお帰りでしたね…あなた……!」
山下は遠く離れた南方にて恋焦がれた愛する自らの妻、チヨの元へ駆け寄り、抱きしめる。
「チヨ…!チヨ……!」
「まったくあなたったら、逆に私を待たせてどういう了見よ、もう。……元に戻って本当に良かった」
その妻の言葉に僅かに少し前の記憶が蘇る。自分は、確か……戦っていたような。否、どす黒い感情のまま、暴れていたといった方が正しいか。思い出そうとして頭に痛みが走る。
『まもなく発車いたします。席をお立ちのお客様は席にお着きください。この先、揺れる箇所があります。ご注意下さい――』
「ほらあなた。座ってちょうだいな。ゆっくりお話ししましょう。時間はたっぷりあるわ」
「チヨ。この電車は…?」
山下の問いに妻は優しく微笑んだ。
「靖国…黄泉の国へと向かう列車でございますよ。どこで降りるのかは、わたくしたちにも分かりません。降りるその時まで、ゆっくりと旅を楽しみましょう…?」
「そうだな、そうしよう」
ようやく訪れた安寧の時。山下は思い出すのはやめ、妻や戦友たちとの思い出話に花を咲かすのであった。
汽車は動き出し、懐かしい故郷を通り過ぎていく。……やがて、汽車は線路から浮かび上がり、大空を走り抜けていった。
*
「どうか、安らかに……」
菊池は大空へ舞って行った汽車を眺めながらそう呟いた。街中で暴れていた先の大戦の戦死者と思われる悪霊。菊池らとの激しい戦闘の末、内海の権能によって浄化され、黄泉の国へと無事旅立った。
内海の権能は時に優しく、時に牙を向く。罪人は輪廻すら許されず電車の中に封じ込まれ、怪物たちの餌食となり永遠の苦痛を味わう。一方で黄泉の国行きの汽車、『明星』号は永く安らかな時を経ながらその魂を清め、次の輪廻へと繋げる。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の列車のように。
そんな内海の権能を菊池は好きだった。どこまでも優しい、内海そのもののような権能。あの悪霊に身を堕としてしまっていた者も、元の自分を取り戻し汽車に乗って旅立った。菊池も怨念から復活した身である故、死した兵士が悪霊となるのは痛いほど同感できた。また、そんな悪霊たちを戦後祓って回ったのが菊池その人でもあった。
「大切な人と再会できたようですね。やはり、あの方には待ってらっしゃる方がいた。今はきっと安らかに旅を楽しんでいる頃合いだと思いますよ」
内海の優しげな声に菊池は頷く。
「師匠〜!内海〜!終わったー?」
「ええ、無事に。そちらも残党は残っていなさそうですね」
駆け寄ってくる椿ら学生ズ。暫し談笑する一行だが、ふと思い出したように菊池が内海を見る。
「なあ内海。この後円卓会議じゃないか?私はこれから上の者にこないだの報告をせねばならないが」
「ああ…そうでした……行きたくないなあ……学生の皆さんは送迎の車で戻るように。私たちも行きますか」
「「「はーい」」」
生徒たちは学び舎に、大人は気怠そうに会議へと向かった。
そして、どこかの海の底。目覚めた彼は飛行機の中にいた。途方もないどす黒い感情が自身の中を渦巻いているが、とりあえず水中から抜け出そうともがく。だが自分の愛機を置いていくことなどできない。するとそこへ、何か触手のようなものが伸びてきた。触手は彼と飛行機を絡め取り、ゆっくりと引き上げていく。水上に引き出された先に彼が目にしたのは、怪物。空母の姿をした怪物。化け物、と彼は思わず呟いた。この怪物は一体なんなのか。そしてなぜ自分は生きているのか。空母の怪物の看板で呆然としていた彼に、一人の人物が歩み寄る。狐面をつけた、赤いワンピースドレスの、奇妙な女だった。
【第3章】海軍と炎幕編 開幕




